嫌われる勇気 No33 神器:自己受容
共同体感覚に至るために、自己への執着を他者への関心に切り替える。そこで必要になるものとして哲人は三つを挙げます。
自己受容
「われわれは”わたし”という容れ物を捨てることもできないし、交換することもできない」哲人は言います。
そう、器は変えられないのです。ではどうするか。
「”与えられたものをどう使うか”です。”わたし”に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくことです」と。「それはもっとポジティブになって自己肯定感を強く持て、~ということですか?」と尋ねる青年に哲人は、「自己肯定ではなく、自己受容です」とくぎを刺し、その違いを説明します。
自己肯定:できもしないのに”できる”とする。自らに嘘をつく生き方。
自己受容:”できない”としても、それをありのままに受け入れ、できるように前に進んでいくこと。自らに嘘をつくのではない生き方。
誰しも向上したいと思う状況にいることが前提、そして、100点満点の人間なんてひとりもいない、そこを積極的に認める。
肯定的なあきらめ
「ポジティブなようにも聞こえるし、ネガティブな響きも持った話」と評する青年に、「わたしは、肯定的なあきらめという言葉を使っています」と哲人。
ポイントは、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める。それは課題の分離とも同義。
そして、哲人は、自己受容を再定義します。
「交換不能なものを受け入れること。ありのままの”このわたし”を受け入れること。その上で、変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと。それが自己受容です」と。
「自分を受け入れましょう」とか「自己受容感が大事」という言葉をよく耳にします。目にもします。しかし、その実情は、青年が懸念したように、「今のままで良いんだ。ちょっと安心…」という感じで、どちらかというと甘えのニュアンスを感じることもあります。
でも、アドラー心理学は違います。それよりは、ちょっとシビアさをもって自分を受け入れること。できないことにしっかりと向き合うこと。
やはり、ここでも”勇気”ですね。