眩い光の中で…
嫌われる勇気 No46 過去も未来も関係ない
青年、「先生は、〜過去を見つめることを否定しました。〜自らの意思によって未来を変えることさえ否定しておられる。〜そんなものは、まるで道なき道を目隠ししたまま歩けといっているようなものだ!」。
哲人は言います、「当然のことではありませんか。いったい、どこに問題があるのでしょう?」。
あまりにも平然と目隠しをして歩く人生を肯定した哲人。ただ、青年も分からずやです…。
点を繋ぐって、いまここでのダンスだって言ってるのに。
私も含め、多くのひとがストーリーを語ることに、読むことに慣れすぎている。この電車が、どこから来て、どこに行くか、無意識に信じて疑わない…。それを哲人は戒めるのです。
スポットライト
「もしもいま、ここに強烈なスポットライトを当てていたら」と哲人は問います。
そんな経験、ほとんど無いですが、中学生の頃、学習発表会で英語劇“裸の王様”をやった時、とか、もっと前、ピアノの発表会で、なぜかアニメドラゴンボールのテーマを弾いた時とか…。
当然ながら客席は暗く、ステージは照らされ、スポットライトが当てられる。みんなに見られるから緊張してたはずが、みんななんて見えりゃしない。
その例えを出し、哲人は、その瞬間、「過去も未来も見えなくなる」と言います。「いま、ここだけを真剣に生きるべき」と。
「人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符与えようとしている」と。
厳しい意見です。もちろん青年は強く反応します。「それは刹那主義、いやもっと悪質な享楽主義です!」と。
哲人は、強く強く「違います」
「そこに物語はありません」
あるのは、いま、ここに強く照らされている、ステージの上の、自分だけ。