愛した人 (短編小説 6 )
【 あらすじ → 5年前に亡くなった恋人、隼人がかつて住んでいた住居を美紀が訪れると、隼人そっくりの住人がいた。イヤ、隼人本人に見えた。それとも幽霊なのか? 隼人と一晩を過ごし、お互いの愛を確かめあった。が、翌日ドライブに出かけた海辺で、さよならと言い残したまま、隼人は消えてしまった……】
《 最終回 》
何だか寒気がした。
美紀は身震いすると同時に目覚めた。
ぼんやりとした意識の中で、煤けた色合いの天井が見えた。
(ここは、どこ?)
視線を周囲に動かす。
日に焼けたような、所々破れたカーテンが掛かっている。
ゆっくり半身を起こす。
窓が大きく割れている。そこから風が入り込んでいるようだ。
次第に記憶が戻り始める。
(そうだ私、隼人の家の様子を見に来たんだ。そしたらなぜか隼人は生きていて、翌日2人でドライブに出かけて、そして隼人は消えてしまった。でも、あれはもしかしたら、夢?)
隼人が消えて、涙が溢れて止まらなかったのを思い出す。頬に手を当てると、今まで泣いていたかのように濡れている。
ここに来てからの様々な出来事が夢だったとしても、隼人が生きているような感覚が消えない。
「隼人、隼人いるの?」
美紀は部屋中を見回す。
と、そこで異変に気づいた。
床とテーブル、その他の家具が埃にまみれている。
壁紙が剥がれかけている所もある。天井には蜘蛛の巣が幾重にも連なり、垂れ下がっていた。
体を横たえていたソファーも、皮が所々破れていて
埃が溜まっている。
ソファーから立ち上がり、窓辺に近寄ってみると
庭一面に雑草がびっしりと生い茂っていた。
ここに来た時とは明らかに違う雰囲気に、美紀は狼狽する。普通に人が住んでいるように見えた住居は、今は明らかに空き家の様相を呈している。
住人がいるなら、こんなに荒れ果てているわけがない。
(ということは、私が見てた隼人は幽霊? それとも、私がここに勝手に侵入して、いつの間にか眠りに落ちて、隼人の夢を見てたってこと?)
もし、夢なら……。
美紀は呆然とした。
(あんな夢を見るなんて、酷いわ。 まるで天国から地獄に落とされたみたいだわ)
いずれにしろ隼人が亡くなったのは、やはり事実なのだ。
(だったら幽霊でもいいから、また隼人に会いたい)
美紀は居間を出ると、隣の部屋に足を踏み入れてみた。机と椅子、本棚が配置してある。隼人が書斎として使っていた部屋だ。どの家具も、やはり埃が溜まっている。
ひと通り見た後、改めて机に目を向ける。すると、ある物に注意を引かれた。リボンがかけられた小さな箱だ。リボンと包装紙が色褪せているため、部屋に入った時は気がつかなかった。
(隼人が誰かにプレゼントされたのだろうか? それとも……)
見つけてしまったからには、開けてみたい気持ちが抑えられない。
(ごめん隼人、勝手に見ちゃうね)
箱を手に取り、薄いピンク色の包装紙を取り去ると、白い小箱が現われた。少し緊張しながら蓋を開ける。
中にあったのは指輪だった。プラチナだ。真ん中に小さなダイヤモンドが埋め込まれている。
シンプルなデザインが、ダイヤモンドの存在感を際立たせている。
美紀は手に取り、ダイヤモンドの輝きにしばし見惚れていた。
(これは、いったい?)
再度箱の中を確認する。
小さなメッセージカードがあった。美紀へ、と書かれている。
(隼人の字だわ)
ドキドキしながらカードを開いてみると、
【美紀、誕生日おめでとう。将来、美紀と一緒に生きていきたいと思ってる。指輪、気に入ってくれたかな】
隼人のメッセージと予想外のプレゼントに、胸が熱くなった。
(隼人、指輪を用意してくれてたのね……)
そういえば隼人が事故死した時、美紀の誕生日が数日後に迫っていたのだ。
本当なら、指輪は隼人が美紀に直接手渡ししたかっただろう。
(5年もの間、ここに置きっぱなしになってたのね……)
美紀は指輪を左手の薬指にはめてみる。
サイズはぴったりだった。
(指のサイズ、覚えてたのね)
付き合い始めて間もない頃、隼人に指のサイズを聞かれたことがある。その年のクリスマスに、トパーズの指輪をプレゼントされて嬉しかったのを覚えている。
指輪をしげしげと眺めた。プラチナの、しっとりとした重みのある感触が心地良い。
(隼人が傍にいるみたい……)
隼人の想いが伝わってくるようだ。
「隼人、ありがとう。嬉しいわ」
涙が溢れ、視界がぼやけてくる。喜びと、それでも隼人がいない寂しさがごちゃ混ぜになる。
不慮の事故で亡くなった隼人と言葉を交わす時間さえなかったため、指輪は隼人の愛を代弁してるかのようだ。
指輪は美紀の心に小さな明りを灯した。隼人の愛を、ひしひしと感じた。
(隼人、ずっと、傍にいてね。忘れないわ。
死んでも忘れない。愛してる……)
今後、もう誰も愛したいと思わない。イヤ、誰も愛さないだろう。隼人の愛と思い出を胸に生きていく。
涙で潤む目で指輪を眺めながら、美紀は心に誓った。
了