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文豪、嫁姑問題に疲労する 森鷗外『半日』 【読書感想文】

 1909年に発表された『半日』は、森鷗外にとって初の口語体小説です。テーマは、嫁姑問題。主人公は大学教授の高山峻藏博士となっていますが、あまりにも臨場感があるので、鷗外本人の体験談なのだろうと感じました。
 最初の妻と短期間で離婚したのを知っていたので、その時の話だと思ったのです。

 ところが、後にWikipediaで確認したところ (鷗外の後妻、森志げの項)、最初の結婚ではなく、二度目の結婚の話だとわかりました。つまり、1902年に結婚して(鷗外40歳、志げ21歳、どちらも再婚)、1916年に鷗外の母親・峰子が亡くなるまで、作中で書かれるような嫁姑問題が続いたとは…。森家の人達は、さぞ大変だったでしょう。
 何しろ、これは橋田壽賀子ドラマか? と錯覚しそうな話なので。晩年の森鷗外には哲人の風格があると感じていましたが、家庭内でこれだけ鍛えられたら、哲人どころか、仙人にだってなれそうです。
 

 『半日』という題名は、高山家の半日を書いているためだと思うのですが、午前七時の台所で、「おや、まだお湯は湧かないのかねえ」と母親がこぼす声が聞こえたかと思うと(女中に向かっての言葉)、幼い娘を挟んで隣に寝ている妻が「まあ、何といふ聲だらう。いつでもあの聲で玉(娘)が目を醒ましてしまふ。」と叫ぶ。大声で癇走った声だから、台所の母親には確かに聞こえただろうと高山博士は考える。――そんなエピソードから始まって、現実の出来事と過去の回想が嫁姑問題に絞った形で語られていくんですね。主に高山博士の視点ですが、一部妻視点で語られる部分もあって。

若し夫を持ち更へて、その男が博士より嫌であつたら、どうしようと思ふ。二度目では大學教授位の位地の人を夫に持つことはむつかしいかも知れぬとも思ふ。一轉して夫の母がゐさへしなければ好いのだと思ふ。どこぞへ往つてしまへば好い。夫の姉の内へでも往けば好い。いや、あそこにも姑があるから、所詮徃かれぬ。いつそ死んでしまへば好いと思ふ。かう思つて、自分で怖ろしい事を思ふとも何とも感ぜぬのを、不思議に思ふのである。

 自分を顧みても、義理の家族の問題になると自分の最も嫌な部分が出てしまうのですが(困ったものだ)、これはちょっと過激ですね。姑の死を願ってしまうほど、妻は追い詰められているらしい。
 そうかと思うと、博士の方も妻について、「精神病とまでは言わないが、境界線上にあるのでは? そうとでも考えないと、妻の心理が理解できない」などとキツいことを考えている。

 ただ、過激な話が続く割に、読んで憂鬱な気分になる小説ではありません。夏目漱石の自伝的小説『道草』を読み終えた後には、重苦しく澱んだ気分になりましたが、『半日』の場合、面白いから読んでみてと人に薦めたくなりました(嫁姑問題の渦中にいる女性にはおすすめしませんが)。
 小説全体にコミカルな雰囲気が漂っていますし、真面目な顔をして、こんな話を書いている鷗外の姿を想像するのも楽しい。

 鷗外自身も、この小説を書くことで、悩みを芸術に昇華させたのかもしれません。この後、鷗外の小説には妻と母親の板挟み問題は全く出てきませんから。
 もちろん、百年後の世界に住む私は、細かい点では妻の望みに従いながらも(食事の時以外はお母さんと喋らない等)、金銭管理など重要な点では母親側に立つのが当然だと考えている博士を「マザコンだなあ」と思ってしまうのですが、それにしても、「大学教授にまで昇りつめた人が、お母さんにはこんなに従順だなんて」と微笑ましく思う気持ちの方が大きいのです。
 妻の方も、相当奇矯な人ですし。姑のせいで極端な思考になっている面もあるにせよ、それだけではなさそうです。

 いずれにしても、気の強い母親とエキセントリックな美しい妻、二人の女性を博士(=鷗外)が深く愛していることが伝わってくる作品でした。愛は万能薬ではありませんが、家庭内の問題では、愛があれば、文句を言いながらも、破滅に至ることなくやっていける気がします。愛があれば、幸せな家庭が築けるとまでは言いませんけど。
 

時代を超越していた知識人達

 江戸時代の生活史に詳しい知人にこの小説のあらすじを話すと、「母子関係の濃さが武士階級らしくないね」と腑に落ちないようでした。
 言われてみれば、武士の家庭では、こどもは乳母に育てられるので、母子の絆は薄くなりがちなんですよね。それに、封建制&家父長制下では女性の地位が低いので、母親が家の会計担当になったり、息子夫婦のことに矢鱈と口を挟んだりするのもちょっと不思議です。

 ところが、その後鷗外の史伝小説の影響で江戸後期の知識人(学者・医者・文人等)について調べたところ、彼らが色んな意味で時代を超越していたことがわかりました。作家の中村真一郎さんは「(江戸幕府とは別の)知の共和国があったのだ」と書いておられます。
 彼らの間では、恋愛結婚も既に存在しましたし、そうでなくても、知識階級の女性は男性と同等の教養を身につけているので、夫婦が同じ世界観を持っているのです。
 例えば、頼山陽の母親は儒学者の娘なのですが、和歌や文章に優れていました。息子達の教育にも積極的にかかわり、育児日記まで残しています。
 森鷗外の母親も、医者の娘ですから(夫は婿養子)、こどもを乳母や教育係に任せるだけの母親ではなかったのでしょう。
 そうした背景を知ってみると、鷗外が近代的な自立した女性を小説に登場させることができたわけもよくわかります。
 一方で、まるで現代のホームドラマのような嫁姑戦争が繰り広げられたのも、森家の人達が時代を超越していたためなのかもしれません。


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海人
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