高等遊民はなぜ恋をあきらめるのか 夏目漱石『それから』 【読書感想文】
主人公の代助が、人妻・三千代に自分の気持ちを告白するシーンのセリフです。
『それから』は何度も読んでいるので、ここでこのセリフが出てくるとわかっているのに、「そうそう、これだよね」と思わずにはいられませんでした。こんなことを言ってもらえるなんて、三千代さんは幸せな女性だ…と呑気に考えていたのは昔の話で、今では、「よく言った、代助!」と思いつつも、シニカルに眺めてしまうのですが。
だって、三千代は昔から代助が好きだったのに、代助がお節介をして、他の男と結婚させるわけですから。三千代にしてみれば、頼みの綱だった兄を失い、父には娘を養うだけの甲斐性がない。代助にすすめられるままに、平岡と結婚するしかなかったのでしょうね。
明治時代のミドルクラスの独身女性の立ち位置がよくわからないのですが、民法上、財産権などがないのに、就ける仕事は限られるという感じでしょうか。代助と結婚できないなら、誰とも結婚したくないと思えるような状況ではないのでしょう。まあ、三千代がずっと自分を思っていたと考えるのは(多分、考えているはず)代助の自惚れで、平岡と結婚した当初は、代助のことなど忘れていたのではないかと思うのですが。三千代のような一見おとなしく、他人に人生を決めてもらうタイプの女性を何人か知っていますが、よくしたもので、そういうタイプの女性って、気持ちの切り替えが早いんですよね。彼女達もまた、強い女性なのだなぁと感じます。三千代も多分、一時は代助のことなど忘れていたけど、夫との間がうまくいかなくなって、初恋の人への思いが再燃したのかもしれません(こう書くと、何だか不倫あるあるの下卑た話になってしまいますね…)。
恋をあきらめる高等遊民
若い頃は、三千代を親友に譲るという代助の行為を、高等遊民(高等教育終了後、働かずに暮らしている人)という彼の立場と結びつけていました。
プーシキンの小説『エフゲーニイ・オネーギン』に重ねていた気もします。チャイコフスキーのオペラにもなっている作品で、世に倦み、無為に生きる主人公が、魅力的な女性に愛を打ち明けられたのに、自分は結婚に向いていないと彼女と距離を置く話です。先にオペラを観たためか(チャイコフスキーらしい、とても美しい作品です)、オネーギンの抱える憂鬱がよくわかり、好きだからこそ、女性を拒むこともあり得るのだなと感じました。
また、ディケンズの『二都物語』の主人公、シドニー・カートンも、弁護士として多少働いているので厳密な意味での高等遊民ではないのですが、仕事に倦み、生に倦み、ヒロインに愛を告白した上であっさり身を引くという、オネーギン的なことをやっています。
オネーギン、カートン、そして代助。現実との関わり合いを避け、恋からも身を引く哀しくも美しい男達。そんなロマンチックな印象を抱いていました。
友情>恋
恋愛や男性に対して冷めた見方をするようになると、代助の印象も変化しました。別に人生の美学として三千代を遠ざけたわけではなく、親友に三千代への愛を打ち明けられて、仲を取り持つことになった…つまり、恋よりも友情を選んだわけねと考えるようになったのです。それほど、代助にとって平岡との友情が大事だったのか。自分にとって大事な二人を結びつけることに喜びを感じていたのか…。
三千代の気持ちなんて、考えもしなかったんだなと思い、少しかなしい気持ちになりました。『こころ』もそうですが。お嬢さんとの恋愛の話なのに、先生の中では、なぜか男同士の関係だけがクローズアップされている。まあ、それが漱石文学なんですけど。男性の、男性による、男性のための小説。
結婚に向かない男
ところが、最近またこの小説を読み直した時、以前は読み飛ばしていた代助の神経質な性格に気付きました。身づくろいに長い時間をかけ、美しくかぐわしい花々に囲まれる生活。臆病で、こんな世間に出て行けば、神経衰弱になってしまうと言って世の中に関わることを拒否する。
代助が高等遊民になったのも、三千代を親友に譲ったのも、この神経質な性格ゆえではないかと感じました(この点を読み飛ばして、代助にロマンチックなイメージを抱いていたなんて、若い頃は、今以上に男性をわかっていなかったようです)。
女中や書生といった、家事雑事をやってくれる人がいる時代とはいえ、夫婦として代助と生活を共にするのは、なかなか大変そうです。
小説の最後で、代助は高等遊民として生きるのをやめ、三千代と共に生きる道を選ぶのですが、それが実現してしまえば、慣れない仕事に追われ、三千代という他者に生活のリズムを崩され、結局は平岡と同じように、荒れて妻を軽んじる男になってしまうのかもしれない。そんな風にさえ思えてきました。
それにしても、漱石の小説を発表順に読んでいくと、この『それから』で一気に、主人公の性格描写が深まる気がします。短期間でこれほど円熟味を増すなんて、漱石に何があったのでしょうね。
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