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始まりの始まり
2021年4月1日
私は、今後きっと幾度となく、今日という日を思い出すだろう。
ぱきっとしたスーツに身を包み、おろしたてのネクタイを締め、ピカピカの靴を履いて、入社式の会場へと向かう。
それは、私が経験しなかった、もう一つの日常だ。
就活中。満員電車に揉まれながら、説明会の会場に向かうときの気持ちを思い出す。
都内を走る電車の広告の大半は転職に関するものばかりで、それ以外は、大体が自己啓発書の宣伝か、脱毛の呼びかけ。
「自己啓発書で自分を高め、脱毛で体に自信を持ち、希望を胸に入社(転職を視野に入れています)。」
この狭く苦しい電車内で、日本の縮図が完成しているように思えた。
さらに息苦しくなった。
そして、絆創膏を貼り忘れてストッキングに血が染み出てきた自分の足を見て、これが今の私なのだと悟った。いくら隠しても、無いものにしようとしても、自分が一番見せたくないものほど、染み出てきてしまうものなのだと。
自分には、才能があると思っていた。だからこそ、認められないのが悔しかった。でも、認められる、とは?
最近は輪郭がぼやけてきた。
誰に?なぜ?認められなければいけないのか。
自分らしく、生きたい。
履きなれないパンプスで街中を歩き回ってできた傷さえも、愛せる自分になりたいと思った。
どんな形であれ、どんな結果であれ、自分という絶対的な存在に、自信を持ちたいと思った。
相対評価じゃなく、絶対評価。自分の中に、ぶれない軸を立てておくこと。
ダメな日があったっていい。才能がなくたっていい。自分のことを認めてあげられる自分を、持ち続けることができるように、生きたいと思った。
「大事なのはスタート地点ではない。ゴールまでの過程が自分を語る。」
これは、私が大切にしている言葉だ。
早咲きの桜は美しいが、あたり一面が緑に染まった中に咲く桜もまた美しい。そして、どの桜よりも、長く輝き続けられる。
夢を見つけられてからの日々は、素直に笑える日が増えたように思える。重くのしかかっていた重圧から解放され、自由になれたからだろう。
とても怖いし、想像できない未来が、確実に待っている。
でも、現段階で正しい、間違ってるの答えは、出すことなど到底不可能だ。それに、出すつもりもない。なぜなら、私は今日という日に、笑えているから。
私は、今後きっと幾度となく、今日という日を思い出すだろう。そしてその度に、自分のことを可愛がってあげれるに違いない。
春は、新しい自分に出会える季節。
いつの日か必ず、あの日々のことを思い出して涙する。あわよくば、その涙を見た者が、明日も頑張ろうと思えてくれたら本望だ。
新しい私は、もう生まれている。
始まりは終わりの始まり、ではなく、始まりの始まりだ。
ガンバロウ。