cosmos【掌編小説】
あなたはたしかに生きていました。
入れ物である体は失いましたが、わたしの中に足跡を残し、これからも生き続ける。
そうでしょう?
ゆらゆら、ゆらん。
ベンチが一基あるだけの小さな公園で、桃色や濃紅、純白のコスモスが秋風に揺れています。雌蕊は気道を確保するかのような角度で、空を見上げていました。
わたしも同じような角度で秋の空を仰ぎます。そうしなければ、下瞼に溜まっている涙がこぼれ落ちてしまうからです。
2カ月前まではあなたと一緒に、この公園をよく訪れていました。ベンチに座り、いろいろな話をしましたね。あなたは歩いているときも座っているときも、手をつなぐのが好きでした。わたしの右手は今、行き場を失い、空を握ることしかできません。
コスモスの茎はこんなにもか細いのに、強い風が吹いても折れたりしないそうです。
それに比べわたしは、容易く心が折れてしまいました。あなたを亡くし、心は意図せず剪定された花のように、呆気なく落下したのです。
それでも生きてゆかなければなりません。空っぽになったわたしの、その空いたスペースを埋めるように、新たな生命が宿ったからです。
コスモスはあなたの好きな花でした。
公園を囲むように咲く背の高いコスモスは、風を受けて、ワルツを踊っているかのように、優雅なターンを繰り返しています。
その動きを目で追っていると、いつしかわたしも揺れていることに気づきました。
下瞼に溜まっていた涙はそのせいで、いよいよ頬を伝い、さらには土の上にもポタリポタリと落ちてゆきました。
土に吸収された涙は、コスモスの生きる糧として役立つでしょうか。もしそうなら、流した涙にも価値があると思えるのに……。
あなたに会いたい。
ほんの少しでいいから。
伝えたいことがあるのです。
蒼斗。
寂しいよ。
心細いよ。
涙は止まることを最初から知らないみたいに止め処なくあふれ、コスモスも公園も何もかもが視界から消えて、水の中にいるようでした。
いえ、実際にわたしは水の中にいたのです。あの湖のような神秘的なミルキーブルーに包まれていました。
水は安心感を覚えるような柔らかさと温かさで、体の力が抜けてゆきました。そしてやがて、心地よい眠りに誘われていったのです。
水の中にいるのが当たり前のこの感覚は、まるで羊水に浮かんでいるかのようでした。
どのくらいの時間が経ったでしょう。
わたしは公園のベンチに座ったまま眠り、夢を見ていたようです。
ふと誰かにもたれかかっていることに気づきました。そして、空を掴んでいたはずの右手が温かいことにも……。
「紅亜。お目覚めですか?」
わたしは驚きましたが、すぐに蒼斗に抱きつきました。二度といなくならないよう力を込めて。
「どうして? 蒼斗、本当に会いに来てくれたの? どうやって? 今、わたし、テカポ湖の水の中にいた夢を見ていた……」
「僕も同じ夢を見ていたよ」
「え?」
「僕は君の中にいるから。同じ夢も見られる」
「なぜそれを?」
あなたは唇の前で人差し指を立ててから、そっとわたしのおなかに手を当て、少し寂しそうな笑みを浮かべました。
わたしはあなたの形のよい唇に近づくため、背筋を伸ばし、あごを上げると、その逞しい腕でわたしを優しく抱き寄せてくれました。
「蒼斗だ……」
欠けていたピースがピタリとはまった音が、体の隅々まで振動を介して伝わってゆきます。
「紅亜は相変わらず痩せっぽっちだな」
「これから、蒼斗が抱えきれないくらい太るんだから!」
わたしは泣きながら笑っていました。
心の隙間に、愛おしいという感情が充填し始めてゆくのがわかりました。
ゆらゆら、ゆらん。
静止していたコスモスが一斉に動き出しました。
わたしはあなたの好きな濃紅のコスモスに、涙のような水滴を湛えている一輪を見つけました。それは秋の木漏れ日を受けて光を優しく反射させたのち、ポタリと滴り、土に還ってゆきました。
「蒼斗。……また、ね」
〈完〉
©️2024 ume15
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