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生きとる証拠
バッターン!
転んだ。豪快に。
手のひらはかろうじてついた。
膝に肘も負傷。
バスケットボールを新調し、調子に乗って、息子と、ワンオブワンをしていたら…
なんのことはない。動きのイメージと、体の動きがチグハグなのだ。イメージは昔のままだが、それに体がついていけず、転倒。つまり、運動不足ということ。
座り込んで、両手を眺める。手のひらの擦り傷から血が滲んできた。じんじんとする。わぁ、久しぶりだなぁ。この感じ。子どものときは、いつもこう、だった。大人になっても、時々は、こう、だったけれど、最近はなかった。
子どもたちの怪我には、うろたえるけれど、自分のことなら、なんてことない。心配そうに見つめる息子に、「大丈夫大丈夫」と言いながら、立ち上がり、歩いてみる。うん、擦り傷だけ、みたい。
大きな怪我じゃなくって、よかった。あと、顔からいかなくて。わたしは、結婚式1ヶ月前に、自転車で転んで、顔に怪我をしたことがある。前から来た人を避けきれなくて、ぶつかりはしなかったけれど、転んでしまった。しかたないことだった。深い切り傷がひとつ。擦り傷、あちこち。
夫に、どれだけ呆れられたか。顔半分、包帯に包まれたわたしを見て、言葉を無くしていた。今でも、時々、夫はその話を持ち出す。結婚式までに、綺麗に治ったのは、奇跡だ。肌は丈夫に出来ている。ありがたい。あぁ、今回も夫に、何か言われるだろうなぁ。
怪我で思い出した。亡き祖母は、幼いわたしが怪我をして、泣きべそをかいていたとき、よく笑いながら、こう言った。
「痛いのは、生きとる証拠。」
意味はよくわからなかったけれど、痛いって、ありがたいことなのかなと思った。痛いのは変わらないけれど、生きてるから、当たり前なんだろうなって。
久しぶりに、じんじんとする痛みを味わっている。まだ、そんなに気温も高くないから、傷がうんだりはしないだろう。
さて、新しいバスケットボール。弾むボールはいい。ドリブルやシュート、パスを息子と少しだけ、やろう。身体の感覚、そのうち、ちょっとは戻るんじゃないかな。
そういえば、息子も、再びサッカーをし始めた去年の春、よく転んでいたっけ。今は、転ばなくなったなぁ。
流水で両手を洗う。
いててててて…
なんだか、笑えてくる。
おばあちゃん、わたし、
生きているよ。
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