広島原爆投下の日に 平和とは #シロクマ文芸部
お願い
戦時下の具体的な遺体の記述があります。心が弱ってみえる方、また、繊細な方は読まないでください。よろしくお願いします。
平和とは、なんだろう。
わたしは、何が出来るだろう。
そう考える、8月。
戦争を決して、忘れないこと。今は亡き人々が、語ってくれた体験を語り継ぐこと。それが、今のわたしの答え。ささいなことだ。けれど、それを、しつこく、積み重ねたなら、どうだろう。わたしは、それに期待する。
2020年9月、一宮市三岸節子記念美術館で、特別展「墨は流すもの 丸木位里の宇宙」を観た。丸木位里《雨乞》に惹かれて、訪れたのだが、ある絵の前で、わたしは動けなくなった。
数えきれないほどの人々が描かれている。折り重なる遺体。顔を腫らした人、血を流す人、ケロイドの人…生きている人はすべて絶望したようなうつろな眼をしている。水に沈む遺体。水を求めて連なる人々の途切れることのない列。傷ついた母は、すでに事切れている子どもを抱いている…
「原爆の図 第三部 水」。※
本当に広島でおこったこと。恐ろしくて、眼を背けてしまいたい。でも、それもできないほど吸い寄せられてしまう。あまりにもリアルで、わたしもその場にいるような気になってくる。わたしは、この惨状を何もできないまま、ただみている。湧きおこる、さまざまな感情に混乱しながら……
ふと、わたしは亡き伯母の話を思い出した。
戦争が終わる年、伯母は小学6年生だった。
「自転車でおつかいにいっとってねぇ。くらなる前にかえらなかんって、急いどったの。そしたら、空襲警報がなってねぇ。」
その日、伯母は急いで帰ろうとしたが、まだまだうちは遠かった。どこか隠れる場所をと思ったら、前方の建物の入り口で手招きする人がいる。慌てて、自転車ごと建物につっこんだ。
次の瞬間、
バリバリバリッ!
轟音がして爆弾が落ちてきた。
慌ててふせる伯母。ガタガタと身体が震える。目をつむり、死を覚悟した。何分くらい経ったのだろう。放心して、身体が動かない。爆撃機は去ったようだ。
間一髪で、命が助かった。
空襲が終わると、手招きした人が
「あんたさん、よう間に合ったねぇ。よかったねぇ。」と、疲れた顔でぎこちなく笑ってくれた。
とっぷりと日が暮れたころ、クタクタの伯母がうちへ戻ると父親が、涙目でいった。
「おまえ、生きとったか!」
遠くを見つめながら伯母は話す。
「あのときは、もう死んでまうかもと思ったねぇ。生きとるのが不思議だったねぇ。」
今、生きていることは当たり前ではない。この平和な日本は、たくさんの人が苦労してつくったものだ。
誰も怖い思いをしてほしくない
理不尽に命を奪われることなく
安心して暮らしていきたい
子どもたちに明るい未来を
約束したい
どうかどうか
地球上に
争いがなくなりますように
※「原爆の図 第三部 水」 丸木位里・丸木俊 作
一宮市三岸節子記念美術館にて
特別展 「墨は流すもの 丸木位里の宇宙」
会期:2020年9月1日(火) - 10月11日(日) のうち、2020年9月1日(火) - 9月22日(火・祝) まで展示されていました
⭐︎シロクマ文芸部さんの企画に、初参加しました。よろしくお願いします。