読書録:「ねぇ、私の話聞いてる?」と言われない「聴く力」
先日読んだ本の内容と、そこから考えたことについて書いてみる。
そもそも傾聴とは何をすることで、どうすれば「傾聴できている」と言えるのか。傾聴の目的は何で、そこに必要な知識や技術にはどんなものがあるのか。具体例や、練習の仕方などを交えながら、分かりやすくまとめられている。
■ 全体の構成
最初に、話が聴けない人をタイプごとに紹介している。
次に、傾聴という言葉が持つ行為の要素、傾聴のイメージやポイント等について説明している。加えて、多くの人が持つ「傾聴ってこういうことだよね」という傾聴に対する誤解を解いてる。
その後に、傾聴に必要な知識、技術、心などについて、具体例や、練習方法なども交えながら書かれている。
以下には、個人的に考察の余地が大きかった項目や、特に大切と感じた項目についてまとめてみる。
■ 話が聴けない人の11タイプ
この項目では、話が聴けない人のタイプを11に分けて紹介しているが、粒度の異なるタイプ分けになっている。
読み進めると「10のタイプに該当する人は上達しないけれど、11のタイプの要素を持ってる人なら誰でも上達できる余地はあるからがんばりましょうね」というメッセージで締め括られるが故の、やや無理のあるタイプ分けとなっている。そのため、自分なりに再度分類し直して考察した。
まず、9、10、11は、具体的な行動そのものではなく、人によってできるできない、あるいは、そもそもの個人の姿勢のようなものを示しているため、他のタイプとは一旦切り離した。
その上で、それぞれのタイプを付箋に書き出して眺めていると、それぞれの番号に共通点があるように映る。
[グループA]
1.勘違いタイプ・6.無関心タイプ
聞いているフリでやり過ごそうとしている
[グループB]
7.沈黙タイプ・8.沈黙恐怖症タイプ
話以外のことが気になり、緊張している
[グループC]
4.分かったつもりタイプ・5.会話泥棒タイプ
自分勝手の感情の重ね合わせや、言葉の無理な押し付けによって自己満足している
[グループD]
2.ロボットタイプ・3.カタルシス至上主義タイプ
ポジティブに受け取れる相手の反応によって自己満足している
上記のように4つにグループ分けした上で、更に大きく2つのグループ分けられるのではないかと考えた。
[グループA・B]
聴けていない自分には気づいてはいる
[グループC・D]
聴けていない自分に気づいていない(可能性がある)
前者は、「できていない」という認識は心のどこかにはありそうである。
一方で後者は、自分に満足しており、その認識はより希薄なのではないだろうか。その理由は、傾聴の目的を履き違えていることにある。本書によると、傾聴ができているかどうかの基準は、相手が喜んでいるかどうかや、本音を吐き出せているかどうかなどではなく、相手がいかに自由に話しているかにあり、後者はその点がずれている。
相手が自由に話しているかどうか(傾聴できているかどうか)は、例えば下の図のような反応として現れる。
できないことができるようになるには、できていない自分に気づくことが出発点になるはずである。その意味で、グループA・BはグループC・Dに比べ、「11.発展途上タイプ」の姿勢を持っていそうである。また一方で、グループC・Dは、グループA・Bに比べ、ある意味では「10.初めから聴く気がないタイプ」に近しい要素を持っており、この本を手にする可能性も低いのではないかと考える。
最後に、「9.身近な人は苦手タイプ」についても言及しておくと、このタイプは、人によって聴く耳を持てる持てないが変化するため、場合によってAに近い対応をとることがありそうである。
■ 共感と同感の違い
人は、他者に共感を求める生き物であり、傾聴では相手に共感することを重視している。では、似たような言葉である「同感」との違いはどこにあるだろうか?著者のいうそれぞれの言葉の意味合いは、以下のようになっている。
同感とは、一言で言えば賛成であるが、傾聴においては、相手に対して賛成であっても反対であってもどちらでもよく、相手がどう思っているかが分かり、その気持ちに反応すること(共感すること)が大切になる。よって、共感と同感では、聴き手の応答の主語が異なってくる。図の表現をやや極端に変換してみるとこうなる。
同意を主軸に聴くことは、相手の話を聴いているふりをして自分の話をしている状態に近い。けれども、同感と共感を使い分けられていないと、自分でそこに気づくことは難しい。
同意を主軸にしていると、同意できない話に対して、無理に自分の意見を相手に合わせたり、自分の考えを相手に押し付けるようになる。そして、自分の感情が相手の感情に巻き込まれていき、結果的に苦しくなる。だから、自分と相手の感情をきちんと認識した上で、切り離して聴く必要があり、それが共感の必要条件になる。
また、著者は、共感は気持ちに焦点を当てて相手の話を聴く行為であるため、内容自体は必ずしも理解できる必要がなく、故に、同意できない話はあったとしても、共感できない話は存在しないという。(「ネガティブな話を聴いていると、自分もネガティブな気持ちになっていく」という現象も、感情の切り離しができていないことに原因があるという。)
■ 技術①:あいずちとうなづき
傾聴の具体的な技術は2つある。1つは「あいずちとうなずき」である。
あいづちとうなずきの本質は、相手と一緒に踊る(揺れる)ことだという。そして、その目的は、相手に「自分一人で話しているのではない」と感じてもらうことによって2人のペースを作ることにある。そのために意識してやるべきことは、楽しい話は楽しそうに聴き、悲しい話は悲しそうに聴くということ。シンプルで当たり前のことのように聞こえるが、自分はできていないことも多いように思う。
どれだけ一生懸命伝えていても「はいはい」という感じで無味乾燥な返事をされてしまっては、聴き手が人であっても物であっても変わらない。
相手と一緒に踊るという行為を具体的にすると、大きく2つある。
・相手の声の大きさに合わせる
・相手のテンションや、トーンに合わせて聴き手が変化する
こういったうなずきは、相手に積極的に関わろうとする姿勢の現れであり、とても大切な傾聴の要素になる。
■ 技術②:くり返し
もう1つの技術は「繰り返し」。基本的なポイントは2つある。
・相手の言葉を変換せず、そのまま繰り返す
・「事柄」ではなく、「気持ち」を繰り返す
①の文章を読んで、「ディズニーランドに行ったのだから嬉しかったに違いない」と思ったのなら、それは聴き手側のフィルターを通した解釈ということになる。このようなシンプルな話であれば分かりやすいが、人は無意識にこういった自分のフィルターを通して話を聴いていることが多々ある。
上に挙げたポイントに沿って、②の発言に応答するとこうなる。
ここで聴き手が、「ディズニーランドに行った」という事柄に焦点を当てて繰り返すと違和感がある。
では、気持ちを表す言葉というのはどんなパターンがあるかというと、4種類に分けられる。
[感情を表す形容詞]
嬉しい、悲しい、楽しい、寂しい など
[副詞全般]
つい、やっぱり、ちょっと、ふつうは、いつもは、全然 など
[独特な言い回し]
(例文)私の人生は波乱万丈な人生でした
(例文)あの人と話していると宇宙人と話しているみたいだ
[事柄に含まれる場合]
(例文)昨日、離婚しました
(例文)10年前、離婚しました
最後に、上に記した2つのポイントの補足事項を追記しておく。
傾聴において一貫して大切なことは、相手の気持ちに耳を傾け、一緒に踊ることであり、そのためには、上記のような点も合わせて心得たいポイントになる。
ここまで、普段きちんと意識できていなかった部分や、特に学びの多かった項目に絞ってまとめてみた。言葉や図にすると、無機質で表面的な話に映る部分もあるけれど、相手に寄り添う気持ちが大切であるということに変わりはなく、「それを行動にするとこうなりますよ」、「こういうところに気を配ると伝わりますよ」という話なのだと思う。日々のコミュニケーションの中で意識してみようと思う。