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誰もが、本当の気持ちを隠しているカメレオン
愛や優しさより、知恵やマウント、崇拝される事がそんなに重要なのかな。
なぜ人を思いやれと言う言葉が悪にされるのかな。分け隔てなく、偏見を持たずにいる事を変人のような認識にさせる。この世界に本当の愛と優しさなんて、どれぐらいあるんだろうね。
そんなにお金って大事かな、何よりもお金はそんなに大事なものなのだろうか。
そんなものいくらあったって虚しいだけだろ。どんなに人気のステータスを得ても、承認欲求を得ても、満たされることなんかない。多くに崇拝されたって、それは自己満足にしかならない、お金を錬金するための、たんなる数字にしかならない。
自分はたった1人でもかまわないけど、自分以外の人が笑ってないと嫌なんだよ。悲しい顔なんかさせたくないし、淋しい思いもさせるのは嫌だ。自分は1人でいいよ、でも1人で淋しいって人が悲しむのは嫌だ。
偏見やレッテルなんか間違ってるんだよ、その陰謀論が間違ってる。それを何とかしたくて陰謀論を推理し、追求し、その謎を解こうとしてきた。人々の心を守りたかった、何かも解らない支配、その陰謀に苦しめられてると思い込んでる人達のために。
俺はね、大金持ちを羨ましいなんて思わないし、多くの仲間や賛同者がいる人気者も羨んだりはしない。逆にその人達の幸せを願う。俺なんかそんなに欲はないから、少しでいい。そんなにいらないんだ。
俺にくれるぐらいなら、もっと欲しがってる悲しくて淋しい人にあげてほしいと願う。
かまわないんだよ、世界中の人に嫌われ石を投げられ血まみれになっても、いいんだよ俺なんか。そんなこと重要じゃない、そんなことより大事な事がある。
こんなに心を苦しめてる人が大勢いる、どんなに言葉を尽くしてもその心には届かない、いくら叫んでも届かない。それでも最後の瞬間、一瞬まで諦めない。
我々は人を憎むために生まれてきたわけじゃない、争うために今を生きてるわけじゃない。お金のために存在してるわけじゃない。
心を苦しめるために生きてるわけじゃない。誰かの苦しみや悲しみは自分の苦しみや悲しみになる。人を憎めば自分も憎まれ、人を疑えば自分も疑われる。
なぜイエスキリストが十字架の張りつけにされたのか、解った気がする。いつも平和を願い、争いをやめろと言う者は人々によって裁かれ排除される。
争うなと言えば憎まれる。許しを持てと言えば罵られ、偏見を持つなと言えば怒りを買う。その小さな怒りの蓄積が十字架となり、その張りつけにされてしまう。
いつの時代も変わらない、魔女狩りが消えることはない。人間はとても残酷な生き物、だからその残酷さを否定されたら怒りが出るのは当然で、克服できない心の痛みを、さらに悪化させる。心は痛いけど、それが修復される痛みである事に気がつけずに、それを何者かが苦しめる呪いのように感じて振り払う。
一枚の羽が舞い踊る。その揺らめきは心の揺らめきと寂しさのように宙を漂い、最後は水辺に水着し、小さな波紋を広げ、水の中に沈み行く。
その儚さの面影は心の動きと波長を合わせ、命のざわめきを寂しく消えさせる。天を仰ぎ、その羽の持ち主を探すが、涙で溢れるその眼に見えるのは歪んだ世界。
虹色の光が目の前に広がってもそれをはっきりと見ることができない。美しき七色が世界を形成し、この心に色とりどりの世界を見せてくれる。それが眩しくて見られない。
あの頃、自分は悲しみに暮れた。たった1人の友達だった。あの日から1人ぼっちになった。毎晩空を見上げた、そこにいる、そこにいるって思いながら。
月が見える日はとても悲しかった、あの日の夜は月がよく見えて美しい夜空だった。そんな美しい夜空が次から次へと流れ出る涙で歪んではっきり見えない。
子供なのに何であんなに悲しかったのかな。どんなに泣いても癒されなかった。その時から、この世界は何なんだろうって1人考え続けた。大人になるまで、友達と呼べる人は確かにいたかもしれない、それでも、その時の関係が無くなればそれまでだった。
自分が平然と愛と優しさとか、そんなことを語るから、やっぱり誰もが気味悪く思っただろうか。どう思われたって、これは変わらない、これが自分の答えだったから、変えようと思っても変えられない。
集団とかグループとかじゃない、個人の気持ちが知りたい。1人ひとりの想いを、それを把握したかった、いつもそうだった。
だから挑発したりした、無理矢理怒らせるために。人は怒ると本音を言う、心の中にあることを恥ずかしがらずに正直に言ってくれるから、だから怒らせた。子供なのにそんなことをやっていた。
口には出せない不満とか、想いとか溜め込まずに吐き出させたかった。何で怒ってるのか、その理由を知りたいから、その怒りの原因を何とかして解決したい、その人の心を守りたかった。
でも、それは逆に苦しめたのか、心を傷つけたのか、今の自分には解らない。
なぜ人は争うのか、なぜ分断してアメーバの一部になってしまうんだろうか。何よりその思想主義を守ろうとするのは何でなんだろう。それは絶対ではないのに、どうしてそんなものに支配されてしまうのかな。
最近の自分は、重い空気の話ばかりしている。明るく、くだらない冗談のような話がしたい、ふざけたような話がしたい、でも今はできない。あまりにも心を苦しめてる人が世界中に増えすぎた。
お祭りとか、人混みの中に紛れる事ができない。人の笑ってる顔を見て安心できない、楽しそうに話してる人の声に、安心していられない。あまりにも哀しい、世界が悲しすぎる。
その他大勢で良い、その中に紛れて、安心して人々の中に埋もれていたかった。
子供の頃母の後ろで寝るのが好きだった。周囲はざわざわ、楽しそうに会話をしてお酒を飲んで、ずっとそんな騒がしい声が聞こえていた。ウトウトして気持ちよくて、心地よくて、母の後ろで安心して眠れた。
楽しそうにしてる人達の中に埋もれて眠りたかった。それが俺の幸せだった。
自分は特別でなくてもいい、注目なんかされなくてもいい、会話に参加しなくても、影に1人ぼっちでも、ただ、その人々の楽しそうにしてる声を聞いていたかった。それを子守唄のように感じて、ウトウトしていたい。
でも、喧嘩が始まると不安で仕方がない、争いが始まると心が辛くなる。だから、何でそんなに怒ってるんだと、叫びたくなる。
だから笑っていてほしいんだよ、怒りなんか見たくない。誰も、さよならなんて言わせない、さよならを言うのは俺1人でいい、その言葉を背負って、この世界からいなくなる。
自分の罪は、過去に友達を守れなかったこと、犬や猫に優しくできず守れなかったこと。母を守れなかったこと。とても未熟な心を抱えて生きてきたこと、重い罪。
何も言わなくても、この罪は神や天使はちゃんと把握してる。隠しても無駄で、自分の心の罪は消えないし、今も蓄積される。何とか人に解ってほしい、この心の中にある想いとかを、表現するために言葉を使う。
ありったけの表現方法を使って、伝えたい、この感覚を、想いを、自分の全てを。解らない、自分は何も解ってなんかいない、解ってはいないが、この想い、心の中にあるものは全力で、ありとあらゆる手段、方法を使って表現する。
眩きものは眩きままに、崩れ行くものは崩れ行くままに。美しいもの、眩しいもの。
自分はこの色とりどりの世界で崩れ行くもの