宇宙の記憶とは最後の誕生となる創世記における神の言葉、始まりから終わりまでのメロディーのしらべ
自分はニューエイジのような事を語るが、神智学を話しているわけではなく、神を前提にして考える神学を話している。この心の中にある愛とする感情、それが神のものと認識しているので、その本能から発せられる言葉は全て神の言葉と同じであると認識する。
宗教としての固定概念だけで解らない物事は必ずあるわけで、その解らない抜けた部分を別な知恵や哲学から持ってくる、それはパズルのピースを集めているような感覚。
意味のない事は起こらない、全てには意味がある、そう断言できるのは科学的な考え方で例えるなら、全ては振動であり摩擦、その熱によって物質が形成されている。ではその振動とは何かと言えば素粒子の動きでありその動きによってもたらされた電磁波、光、その屈折した光が音そのもの、光とする言葉、それが創世記における神の最初の言葉、始まりから終わり、最後の誕生となる宇宙の誕生となったビッグバンエネルギー。
神が地球上だけの神と誰が決めたのか、天使が宇宙にいないと誰が決めたことか。天の国とは空の彼方にある、つまりそれは宇宙の果てを言っているわけであり、空に天の国は存在しないことは現代社会では誰もが知っている。世界中の人々にとっての天とは宇宙の事であり、その果てにあるのが天の国。
生命の苦しみとは何か、それは生命と人間にとっては苦しみであるかもしれないが、別次元の感覚で言えばそうはならない。グノーシス主義的な考え方は人間の固着した考え方からのものであり、我々がいる宇宙が悪い神によって支配された宇宙とし、良い宇宙があるとするならそれは未来の宇宙でもあり過去の宇宙でもある。未来は最後の誕生から始まった最初の言葉、我々の動き、音、振動が創るもの、だから苦しみの世界となるか、幸福の世界となるかは我々が持つ神の心、愛にかかっている。
愛は沈黙であり静寂、平穏、無音、それは神の絶対領域、最後の誕生となる0へと向かう音階とメロディー。宇宙の終焉であり始まりの場所、我々が行く場所はそこだけ。それが進化であり魂の精進、時間であり言葉でありメロディー、振動であり光であり神の全て。
我々が思い出せない全てを知っているのは、その最後の誕生であるメロディー、神による言葉を既に聞いているから、だから我々は本能としての感覚を持って産まれてきた。
神の体内としてある素粒子の一部、光の意識となる魂は神の意識と繋がる神経細胞ニューロンであり、我々生命は神経伝達物質であるシナプスと同じ動きをする生命となる。
神智学者ルドルフシュタイナーが名付けた宇宙の記憶とされるアカシックレコード、それが神の最後の誕生として発せられた言葉、音であり、その音は宇宙の果てとなる始まりへと向かい、終わりへと近づき、最後の誕生を繰り返す。眩きものは眩きままに、崩れ行くものは崩れ行くままに。美しいもの、眩しいもの。アウトロはイントロへと流れ行く。
アウトロとは音楽用語で曲のクライマックスを意味する。我々にとってはそれが宇宙のクライシス、ビッグバンクライシスであり、やがてその曲の終わりは神の場所、0の領域から新たなる時を越えて始まりの言葉、ビッグバンへと向かいイントロへと移り変わる。その始まりから終わり、アルファからオメガの全てが神となる。つまりは宇宙の全てが神となる。
有名な元スピリチュアリスト、キリスト教に転向したドリーンバーチューが天使から得たとする不思議な感覚も全て間違ってはいない。意味のないことは起こらない、意味があるから何かが起きて心に変化が伴われる。そういった事も全ては創世記における神の言葉があったから起きた現象であり、その天性なるスピリチュアル的な感覚は神からの記憶であり、そのソウルメイトやツインレイとされる魂の導き、引き寄せの法則のようなもの、感覚は間違いなくユダヤ教の契約の箱、死海文書に書かれている2つに割れた十戒の石板の概念と同じもの。それは日本神道におけるイザナミとイザナギの神話とも繋がるし、三種の神器も同じ意味がある。この世の心理を覚ったからそういった感覚を得た。
ニューエイジ思想にもその感覚があり、だからこそルドルフシュタイナーやカールグスタフユングは宇宙の記憶を思い出すことができた、全ては神を前提とした愛からのもの。
全ての生命、我々人類は既に全てを知っているので思い出すことはできる、しかしそれを表現する方法が思いつかないだけで、その表現方法さえあれば思い出した全てを表現できる、宇宙とは何か、人類史上最も謎となる哲学、なぜ何もないではなく何かがあるのか?そういった哲学の答え、それらの全てを説明する事ができる。
元にルドルフシュタイナーもドリーンバーチューも一部しっかりと説明している。アカシックレコードと名付けられた感覚も、ソウルメイトとされる感覚も全て宇宙の記憶からのもの、言葉によって自身が思い出したこと、そのネーミングが誕生した時点で人類はそれを解明したことになる。いや、既に知っているので思い出したことを言葉の形として表現した、と言うのが正しい。
しかし自分はニューエイジでもスピリチュアリストでもない、占い師でもないし、世界三大宗教を信仰している教徒でもない。では何なのか、そう思われるかもしれないが、何にも属すことはない。当然ながら自身でカルト宗教など絶対にやろうとはしない。
それでも心の底から神を信じている強い信仰心は持っている。自分が従っているのは人間や人間が造った偶像ではなく、この神の心となる愛、神に従っている。
だから、これは宗教の説教でもなければ、ニューエイジの神智学でもないし、スピリチュアルや霊能力でもない、神のみ、神の心のみを信じた哲学、しっかりとした神学。
カタカムナ、それも本物だとするなら、その文字、紋様は音の形を表現したものであり、それも宇宙の記憶、アカシックレコードとされるものを表現した言葉、それそのものがメロディー、振動であり音となる。
宇宙人グレイとされる者、それは我々に古来から天使を魅せていた、神に従う宇宙の守護者、惑星守。その者たちが神なのではなく、その光の者たち自身が神の遣いであり、我々と同じく神を信じる信仰者となる。その光の者たちは我々よりも遥かに優れた心を持っている、三位一体の力を極めし、次元を越えた覚りを持つ者。
宗教やスピリチュアル、哲学や科学など、1つの概念だけでは解り得ない物事を解明するには、全ての叡智から必要なパズルのピースを持ってきて、足りない部分にぴったりとはめ込む。それができるから覚る事ができるし、魂も成長する。聖書だけでは解らないこともある、ニューエイジだけでは降りてこない感覚もある。
それら全ての神秘的なものは絶対的に神を信じることが大前提。神を信じない者がどれだけ考えようが既に知っていることを思い出すための表現方法など思いつかない。固定概念になれば、それが足枷となり新しい何かを閃くためのヒントを得る邪魔になる。
世界三大宗教、他宗教、ニューエイジやスピリチュアル、霊能力のようなものを信じてもかまわない、しかしそれだけを絶対とはせずに、森羅万象宇宙の全て、この世の全てを覚る、思い出すために神を信じなくてはいけない、これは全ての神秘と哲学や科学を解明するためには、絶対的に大前提となる。神とは全てにおける中心、神の心である愛、それを信じずに覚ることはないし、意識を高めることはできない。
我々は夢を見るが、そこにも多くのヒントは隠されている。レム睡眠中は脳が覚醒している状態なので、夢を見ている時は思い出している最中、それは瞑想している時に近い感覚、催眠療法を受けている時に近いものがある。夢は忘れてしまう、いくら覚えようと書き残しても全てを覚えているわけではないので、真相心理から導き出した重要な答えも忘れてしまう。複雑で難しい、簡単には覚えられない、思い出せないこと、それを夢を見ている時に思い出す。
自分も最近とても重要なことを夢で思い出したが、やはりあまりにも難しく複雑だったので目が覚めると同時にそれを忘れてしまった、覚えてるのはとても簡単なことだけ。何とか夢の中でその重要なことを把握し、それを表現する方法を考えたが無理だった。あまりにも複雑で表現ができなかった、夢の中ではあれほどしっかりと思い出せたのに、覚醒している状態でなければ理解ができる事ではなかった。
これを説明できたら陰謀論を使った洗脳プロパガンダや世界的な動き、コントロールされた時事問題、世界政治、人間の支配における嘘や欺き、支配の謎、全てをしっかりと説明できた、その答えがあった。しかし残念ながら目が覚めたと同時に忘れてしまった、とても大事なことだったがいくら考え思い出そうとしても出てこない、出てくるのは簡単な夢の中の断片的な記憶だけ、とても残念だった、残念だったが既にそれは知っていること、そのうち表現方法さえ見つけられたら、それを表現すると同時に思い出す事ができると思う。
こういった話を信じるか信じないかなど、そういったことは重要ではなく、問題なのはこれをどんな表現方法にするかであり、今表現しているものはデタラメなんかじゃなくて、自分が知っていて思い出した宇宙の記憶を説明している内容。その宇宙の記憶としてあるアカシックレコードはこの心の中にある、全ての生命、人々の中にもちゃんとある。それはカールグスタフユングが既に心理学で表現している。
我々は既に全てを知っている、それが思い出せないのは、それを表現する方法を思いつかないだけで、感覚的なものは既に理解している。表現方法さえあれば、誰もがこの世の全てを説明できる。
植物の動きも、虫の動きも、動物の動きも我々の動きも全て脳内シナプス、ニューロンの動きと同じようなものであり、それが音であり振動であり形となる。最小ミクロの動きは最大マクロとなっても同じ動きをする。螺旋の動きはどこまで行っても同じ、ミクロの世界はマクロの世界の動き、創世記における最初の言葉、音の動き、振動でもある。