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【本要約】考える力が身に着く 哲学入門

はじめに

同じ問いに答えるにしても、哲学者たちの思想に触れる前と後では、考え方やその説明の仕方に大きな変化が見られます。
それはおそらく「哲学」というものの本質によるところが大きいのではないでしょうか?
哲学にとって大切なことは、「~である」という事実よりも、「なぜ~なのか?」という根拠を考える作業の中にあります。
つまり、特定の答えを出すことではなく、「考えること」自体が目的なのです。「なぜ~なのか?」と考えることで、曖昧だった世界がクリアになる。そして、そこにある根本的な問題を発見し、解決の方法をスムーズに探せるようになります。

第1章 「哲学って何?」を考える

・哲学は学問ではなく行為である

「哲学を学ぶことはできない。哲学することを学べるだけだ。」
これはカントという哲学者の言葉です。つまり、哲学はただのお勉強ではなく、哲学するという行為こそがその核心になければなりません。
例えば、学校で習った道徳などの知識は、それを実践することができて初めて本物の知識だと言えます。「人を殴って苦しめてはいけない」ということを、いくら頭で分かっていてもそれを実行できなければ、それは道徳としての意味を持ちません。
哲学も同じです。ただ、哲学者たちの思想を丸暗記していても、それは本物の哲学ではありません。むしろ、哲学を行為として実践するとき、つまり私たち自身が自分の頭を使って、「哲学する」時に初めて、そこに本物の哲学が生まれるのです。

第2章 古代の哲学を考える

・ソクラテス

小学校の通学路の途中に近道がありました。そこを通ると15分かかる道のりが3分になるのですが、通学路には指定されていませんでした。ある日、その近道を使っているのが見つかってしまい、先生に怒られたことがあります。どうやら、良くないことをしたらしいと感じたのですが、その理由を聞いても先生は「みんなはちゃんと通学路を利用している」としか言ってくれません。みんながやっていることが「良い」ことで、そこから外れたことをやるのが「良くない」ことなのか。深く考えないままこれは「良い」とかそれは「良くない」とかという判断を、みんな下しているのではないか。そんな疑問を抱きました。この境界線を見定めようとし続けたのが、ソクラテスという哲学者です。
ソクラテスは、「何が良いことで何が良くないことかを自分は知らない(無知の知)」という自覚を持ちながら、弟子や当時の知識人たちと対話し、人間の行為のあり方を吟味しました。ここで、ソクラテスと弟子とのやり取りの一部を紹介しましょう。弟子グラウコンがギュゲスの指輪の話をします。
ギュゲスという羊飼いが持っている指輪は、玉受けを内側に回すと自在に自分の姿を消すことができる。ギュゲスは王妃と共謀して王を殺してしまう。 もちろん、彼の姿は誰からも見えていない。だから彼は決して誰からも良くない人間だと言われることはない。そこで、グラウコンはソクラテスにこう 問いかけます。「誰にもバレないならばギュゲスは悪人だとは言えないのではないか」
ソクラテスはこれに対して、「魂が歪む以上、それはやはり不正に他ならない」と答えます。つまり、ソクラテスは良いということの根拠を、他人の判断にではなく「魂の良さ」に求めるわけです。
私たちにはギュゲスの指輪のような魔法の道具はありませんが、それの代わりになるものがあります。それは「嘘」です。日常生活の様々な場面で、私たちが作る嘘は、自分の本当の姿を偽ることに他なりません。それらの嘘はそれが人にばれようとばれまいと、やはり良いとは言えないのです。どんな嘘も自分自身を騙すことはできず、知らないうちに自分自身の魂を傷つけることになってしまうのです。

・プラトン

プラトンは紀元前427年アテナイの貴族の息子として生まれました。若い頃は政治家志望だったそうですが、やがてソクラテスの門人となります。そんな中紀元前399年、彼にとって生涯で最もショッキングな出来事が起こります。死刑を宣告されたソクラテスが、毒杯を仰いで刑死したのです。この後 プラトンは、国家や政治のあり方に対する問題意識を深め、「国家」という 著作の中では哲学者が国家を治める、「哲人政治」の思想を打ち出したりもしています。
プラトンは紀元前387年、アテナイ郊外に学園アカデメイアを設立しました。ここでは、天文学・生物学・数学・政治学・哲学などが教えられたと言われています。興味深いのは、幾何学が非常に重視されていたことでしょう。学園の入り口の前には、「幾何学を知らぬもの、くぐるべからず」という言葉が掲げられていたそうです。 アカデメイアでは「感覚」ではなく「概念」によって知ることが重視されていたので、幾何学の訓練が不可欠だと考えられていたのです。
プラトンは、私たちが今生きている現象界とは別に、イデア界というものがあると考えていました。かつて、人間の魂はイデア界で「善そのもの(善のイデア)」「 美しさそのもの(美のイデア)」「真理そのもの(真のイデア)」を見ていたと言います。しかし、この現象界では、魂は肉体に結びつけられた状態になっています。そのため、プラトンは肉体のことを「魂の牢獄」と呼んでいます。
そうなると魂は、イデア界で見たイデアに憧れを抱くのだと言います。このイデアへの憧れが「エロース」です。つまり、人間の魂が何かに対して愛情を抱く時、それはかつて、イデア界で目にしていたイデアを、魂が想起し、それに対して、憧れを抱いているということに他ならないのです。
「なぜかわからないけど好き」ということの中に、あなたもかつて見たイデアを思い起こし、それに憧れを抱いてるのかもしれません。

・アリストテレス

「人間の幸福とは何か」と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、アリストテレスの倫理学は、この幸福について明らかにすることを目的にしています。その時に登場するのが、「中庸」という概念です。これは、決して難しいことではなく、中間を意味する古代ギリシャ語が元になっています。
極端な行為というのは一面的であり、誤っているというのがアリストテレスの立場です。そのため、人間の行為の最も良い在り方は、両極端の中間にあるというわけです。
例えば運動をしすぎるのも、運動不足もどちらも体にとってはよくありません。同じように、過食も拒食も共に健康を損ないます。怖がりすぎて物事から逃げるのは「臆病」 全く恐怖を抱かずに突き進むのは「無謀」。 どちらもアリストテレスは認めません。両者の中間、つまり「勇気」こそが恐ろしいものに立ち向かう時のあるべき姿勢だというのが、彼の考えなのです。
でも、肝心のその中間はどうやって見極めればいいのか。結局のところ、ちょうどいい状態というのは、その行為の「目的」を冷静に「観想」して「思慮」していくこと。そして、ある程度の時間をかけて、習慣化させていく中で見えてくるものです。
例えば最初の2つの栄養失調の話を例に考えてみましょう。食べるという行為には、生きるという目的があります。しかし、食べ過ぎれば胃を壊すし、何も食べなければ死んでしまいます。生きるという目的を実現するための、ちょうど良い状態がアリストテレスのいう「中庸」です。そして、そのちょうどいい状態というのは、その目的は同じでも、絶対的なものではなく、入院中の人と育ち盛りの高校生とでは異なるということになります。
今自分は、何のために その行為をしているのか。仕事でも勉強でも、その行為の目的を考えていくうちに、ちょうど良い状態が見えてくるのではないでしょうか。

第3章 近代の哲学を考える

神を信じる時代から自分を信じる時代へ。近代という時代を、ごく簡単に説明するならば、この人間の可能性を信じた時代と考えて良いでしょう。そして、それを抑圧してきた「ローマカトリック教会」からの解放、つまり人間の自由を求めていく時代だと捉えることができます。
14世紀から16世紀にかけて起こった、ルネッサンスが近代の先駆として説明されます。なぜなら、このルネッサンスは「自由意志」という人間の可能性を最大限に強調したからです。これを機に、時代はこれまでの教会中心の文芸から人間中心の文芸へとシフトしていきます。その拠り所となったのが古代ギリシャ時代の文芸でした。 このことから、ルネッサンスは「文芸復興」とも呼ばれます。
さらにこうした態度は、自由意志により人間がどこまで物事を知り得るのかというところまで広がっていきます。いわゆる「近代科学」の誕生です。またこの考えが政治の分野に拡大されると、一人一人が等しく社会の方向性を自己決定できることが重要視されるようになり、「近代民主政治」が作り上げられることにもなりますし、経済の分野に拡大されると一人一人の自由意志による生産と消費を原理とする「近代資本主義」が構築されることになります。
これにより、国家には個人の自由意志を最大限に尊重する政治や経済を営むことが要求されるため、教会同様に人々の生活への干渉は最低限にすべきという主張につながっていくことになりました。

・デカルト

デカルト以前の中世世界では、カトリック キリスト教に基づく神学が学問の中心になっていました。「哲学は神学の婢」と言われ、全ての学問はその下位に位置するものとされていたのです。デカルトの哲学は、神を中心とした このような学問制度との、徹底的な対決姿勢の中で生まれました。彼はこうした状況をひっくり返し、人間をあらゆる学問の基礎に持ってきたのです。 そのためには、哲学は全ての土台にならねばならず、「絶対にこれだけは確実」と言えるような核が必要になります。これをどうやって見つければいいのか。その方法としてデカルトがたどり着いたのが「方法的懐疑」、つまり 疑うということです。
絶対に確実なことを見つけたいのであれば、疑いの余地のあるものをどんどん排除していけばいい。そこで、最後に残ったものがあるとすれば、それが絶対に確実なことだ。逆転の発想です。まず彼は、感覚に基づく認識全てを疑います。つまり、目で見たり、手で触ったりして経験できるものはどんなにそれが確からしく思えたとしても、幻である可能性があるということです。それだけではありません。デカルトは自分の身体そのものも存在しないのかもしれないと言います。実際に存在しているのは、私たちが知っているようなこの身体ではなく。何かまったく別のものが夢を見ているだけなのかもしれないというのです。さらにデカルトの懐疑は続きます。感覚に依存しない認識、つまり「三角形の内角の和は180°」だと言った数字・幾何学の真理も疑うのです。
私たちがこういうことを考えるために、神様が私たちを騙している可能性があるのだということが彼の言い分です。こうなると、もはや何も確実なものはないように思えます。世の中には、何もなく、天も地もなく、精神も物体もないと、自分を説得してしまった彼は、ここでふと気付きます。何も存在しないという風に、自分を説得したのだとすれば、その説得という行為をしている「私」はやはり存在していないとおかしいのではないか、その「私」を疑おうとしても、疑おうとしている「私自身」はやはり残る。その事実にデカルトは思い至ったのです。
「われ思う、ゆえにわれあり」
私は疑っている。だから、私は存在するという言い方をしていることからもわかる通り、デカルトの発見した確実なものとしての「私」はこれまで述べてきたような懐疑と一体をなしています。デカルトの疑いはあくまでも、この「私」にたどり着くための手段であったということから、方法的懐疑と呼ばれています。
人間は死ぬとどうなるのか。「人間は死ぬと夢を見ないまま眠っているのと同じ状態になる」。これは主観的な意味では正しいのだと思います。つまり、自分は夢を見ているのではないかと疑うことができない状態になってしまえば、デカルトの発見した「私」すらも、もはや見つけることができません。人間の死と同時に、「意識」と呼ばれているものが、本当に消えてしまうのだとすれば、死とはやはりそうした「私」が消えるということを意味するのでしょう。
また「考えること=人間が存在すること」という立場は現代にも息づいているように思われます。例えば「脳死は人の死」とする考え方は極めてデカルト的だと言えそうです。というのも、意識の消滅をその人の消滅と同一視しているからです。あなたはこの考え、どう思われるでしょうか。

・ベーコン

経験論の立場に立つベーコンは、デカルトとは対照的な方法をとっています。 しかしながら、両者は決定的な部分で共通してもいます。従来のスコラ哲学への鋭い批判、そして人間を中心とした学問の構築というモチーフを、2人の思想は共有しているからです。
その「人間」の「理性」に光を当てるのか、それとも「人間」の「経験」に光を当てるのかが、違っていただけだとも言えるかもしれません。ただし、ここには問題もあります。
ベーコンの「知は力なり」という言葉にも、象徴されるように「知の主体」として確立された人間は世界を知り、支配する力を持つようになりました。 これによって自然科学やそれに基づく技術は、目覚ましい進歩を遂げましたが、一方では、現代の環境破壊の淵源となるような人間観が生まれたことも確かなのです。こうした批判や反省については第4章の中で詳しく見ていくことにしましょう。

・社会契約説

市民革命の理念となった、市民の契約として国家のあり方を説く。
主権国家体制の最初の形態である絶対王政の政治理念であった王権神授説に対して、17~18世紀の市民革命期に成立した、新たな政治理念。
社会の基礎を個々の人間におき、それぞれの主体が互いに契約を結ぶことによって社会が成立すると考えるのは、ホッブズ、ロック、ルソーらに共通であるが、国家のあり方、政治権力と人民の関係ではこの三者でも違いがある。
17世紀前半のホッブズは、人民は政府に自然権を委譲していると考え、抵抗や革命は許されないと考えたが、ロックは人民は自然権の一部を政府に委託しているのであり、主権者である人民に抵抗権・革命権があることを認めた。
18世紀中期のルソーは各個人は自由・平等であり、その集合体である人民の意志(一般意志)は最高絶対の権力(人民主権)であって、人々の契約の目的は国家ではなく人民の共同体にあるとした。一方で、18世紀前半のフランスのモンテスキューは、基本的人権の保障の観点から、国家権力を立法、司法、行政の三権分立という、より具体的な人民と国家のあり方を提唱した。

・カント

カントに至るまでのヨーロッパの近代哲学には、大きく分けて2つの潮流がありました。1つはデカルトの、典型的な合理論の立場。これは「理性によって正しいと認識できるものは全て現実的にも正しい」とする考え方です。 もう1つが経験論の立場。つまりベーコンのように「認識のためにはまず経験がなければならず、それの積み重ねによって正しい認識に到達できる」とする見解です。カントはこれらのいずれも間違っているという立場を取りながら、独自の哲学を展開します。「純粋理性批判」の序論にはこんな言葉があります。「私たちのあらゆる認識は経験と共に始まるのだとしても、だからと言ってそれらが全て経験から生じるということにはなりません。カントは「認識を経験によって始まる」ということと、「認識には、経験には起源を持たない要素が含まれている」ということを、両方同時に認め、合理論と経験論を見事に調停してみせました。
狭い意味での哲学が「正しさ」を探求するのだとすれば、倫理学の方は「良さ」を探し求めます。カント倫理学に特徴的なのは、「良さ」を行為の結果ではなく、行為の原因、すなわち「意思(動機)」に求めたことです。つまりある行いが道徳的かどうかを判断する際の基準は、それが良い結果を生み出したかどうかではなく、「良い意思」から出たことなのかどうかになるのです。
純粋理性が発する道徳法則は、私たちにとっては「命令」の形をとり、なすべき行為は「義務」として意識されます。つまり、個人的欲望である傾向性を排して、法則に従わなければならないのです。
ここで重要なのは、カントが「定言命法」と「仮言命法」を区別していることです。後者は「〇〇ならば△△しなさい」という条件付きの命令、前者は「〇〇しなさい」 という無条件の命令です。
カントはたとえ、行為の結果が望ましいものであったとしても。それが仮言命法に従ったものであったとすれば、良いとは言えないと考えます。〇〇ならばという条件を認めてしまうと、道徳にとって大切な不変妥当性が損なわれてしまうからです。つまり、定言命法(道徳法則)によって、意思が動かされた時に初めて、いつでも、どこでも、誰にとっても「良い」と言えるのです。
例えば、なぜ人を殺してはいけないのかということで考えてみましょう。”刑罰を受ける可能性があるから”、”法律に書いてあるから”、”自然に反したことだから”、”誰かを悲しませることになるから”、こうした理由をあげる限り 人を殺してはいけないという命令は、条件付きのものになってしまいます。そして、その条件が当てはまらない時にはこうした命令は効力を失いかねません。人を殺してはいけないのだとすれば、それはとにかく「純粋理性がそう命令するからだ」というのが 、カントの考えなのです。カントならこう言うでしょう。
「人を殺してはいけないのではない。殺せないのだと」

・ヘーゲル

ヘーゲルの弁証法の大枠を理解するために、次のような例を考えてみましょう。花が咲くと蕾は消えるので、花によって蕾は否定されたことになります。次に果実が現れると花は消えるので、同じく果実によって花は否定されたと言えます。しかし、本当はそうではなくて、蕾があったからこそ花が咲き、花があったからこそ果実ができたのです。それぞれが成立するための重要な要素として、お互いが関係しているのです。つまりヘーゲルが言いたいことは「何かが成立するためにはその裏側で何かが否定されなければならない。そして物事はこのような変化を経ながらより高い次元へと向かう」ということです。このように、否定を通じて物事がより高い次元に発展する運動のことを、彼は「止揚(アウフヘーベン)」と表現しています。
あらゆる歴史は「テーゼ(ある立場)」が「アンチテーゼ(ある立場の否定)」に排除され、「ジンテーゼ(より高い次元の新しい立場)」が生まれる流れそのものだと言えるのです。そしてまたこのジンテーゼは否定され、新たなジンテーゼを生み出していきます。こうして人間の歴史は進歩を続けるというのが、彼の弁証法の考え方でした。
では何がこうした運動の原動力になっているのでしょうか。そのエンジンとして、彼が持ち出すのが「世界精神」という概念です。彼は世界精神が、人間を使いながら「自由」を目指す運動こそが世界史に他ならないと考えない 考えました。つまり、自由になりたいがために、ある立場への否定が生まれ、新しい立場が生まれるというのです。
この説明は実によくできていて、それまでの近代思想の歩みにしっくりと当てはまるように思います。カトリックに基づく世界があったからこそ宗教改革や近代科学が生まれ、絶対王政があったからこそ市民革命が起こり、合理論と経験論の対立からカントの哲学が生まれ、カント哲学への批判からヘーゲルの弁償法が生まれたというように、あらゆる対立構造やそこから生まれる変化を、肯定的に捉える彼の考え方は非常に巧みにできています。

第4章 現代の哲学を考える

近代が自由と科学の万能を標榜し、人間の無限性を信じた時代であったとするならば、現代はその推進の結果、人間の有限性を垣間見ていく時代である とも言えます。近代が拠り所としていた人間の自由や理性に、綻びが見え始めたのです。
例えば、人間の自由な経済活動としての資本主義は、資本家と労働者の間に富みの格差を拡大させました。例えば、新たな市場としての植民地を獲得するべく、諸国の利害がぶつかり合った結果、大勢の民間人が命を落とすことになる2つの世界大戦が引き起こされました。例えば、人間が信じてきた科学は、様々な化学物質を生み出し環境問題の原因になっています。
こうして人間の自由と理性を信じた近代という列車は暴走を始め、色々な事故を起こしつつあります。これに対する抜き差しならない不安を代弁したのが、現代の哲学だと言えるでしょう。
実存主義は、現代人に共通する「主体性を失った状態」を問題視し、この瞬間を「主体的に生きること」を人間に取り戻させようとしました。化学や資本主義、マスメディアに流されている私たち自身を、もう一度自分たち自身に引き戻そうとしたのです。言ってみれば、人間の内部に眼差しを向けた人たちです。
またマルクスらは資本主義というシステムによって、労働の商品化が起こっていることを問題視しました。そこで、私たちを不幸にしている経済システムを再構築しようとする社会主義のような考え方や、それに基づく運動も登場し始めます。これらは人間の外部に着目した立場だと言えるでしょう。

・社会主義

近代に確立された資本主義は、規制による市場保護などを除き、国家からの市場介入を極力排除するような形へ収まり始めていました。市場に経済を委ねる自由競争を加速させていけば、経済は自然と拡大していくという考え方です。これを象徴するのはアダムスミスの議論でしょう。資本主義の市場はある程度の景気変動を繰り返すものの、本来的に調整機能(神の見えざる手)が備わっている以上、国家による介入をするべきではない、と唱えたのです。いわゆる古典的自由主義経済の立場です。
しかし、この時同時にこうした経済自体が引き起こす弊害もあらわになりつつあったのです。例えば、18世紀後半のイギリス産業革命の当時、児童も労働に駆り出されることがあったと言います。朝3時に工場に行き、夜10時半過ぎまで実に19時間以上労働させられていました。少しでも遅刻すれば、賃金が1/4に減らされるというところもあったようです。
経済成長を留まることなく求める資本主義は、次第にこうした劣悪な労働環境を生み出し、多くの労働者たちを苦しめることになってしまいました。その一方で彼らを雇っている資本家には、どんどん富が蓄積されていきます。 このようにして不平等を助長する資本主義に対して、疑いの目が向けられ始めました。そこで登場したのが社会主義の思想だったのです。
資本主義の矛盾を是正することが、社会主義の目的でした。それに対して、様々な思想家が自分なりの解決策を提案したのです。抑圧された労働者を保護しようとする試みはいくつかあったものの、理論的な分析を背景にして資本主義の仕組みそのものを、国家レベルで乗り越えてしまおうとする壮大な社会主義思想はマルクスの登場を待たねばなりませんでした。
マルクスの盟友エンゲルスは、マルクス以前の社会主義を「空想的社会主義」 と名付け、マルクスの「科学的社会主義」と峻別しました。マルクス 以前の社会主義には、科学的な歴史分析が欠如しており、どうすれば社会主義へ移行できるのかについて説明がないとエンゲルスは考えたのです。

・マルクス

マルクスによれば、人間は本来「労働によって自己実現していく生き物」であると言います。つまり、労働の本当の目的は、お金を稼ぐことだけでなく、 自己実現にあるのです。しかし、資本主義という経済システムの中では、労働から本来の意味が失われてしまいます。お金を稼ぐ「手段」であったはずの労働それ自体が「目的」になってしまうというのです。このように 労働が本来の姿から逸脱し、人間にとって苦痛なものになることをマルクスは「労働からの阻害」と呼びました。要するに、今働いているのは何のためなのかを見失ったまま、それでもなぜか働き続けなければいけないように駆り立てられている人間の状態です。
例えば、今あなたの預金口座に1兆円が振り込まれたとします。その時あなたならどうするでしょうか。色々な使い道が考えられると思いますが、世界が可能性に満ちたものに感じられるのではないでしょうか。逆に極端な例ですが、全財産が10円しかなかったらどうでしょうか。不安でしょうし、何をしていいのかわからず、絶望するかもしれません。このように、経済状態というのは人々の意識に大きな影響を与えます。マルクスの唯物論も、このような考え方の延長線上にあると言われます。
マルクスは、社会は2つの構造から成り立っていると考えました。1つは政治・法律・文化などの上部構造です。これは人間の意識が生み出すものです。これに対して生産形式(工場や農業など)・生産力・経済などを下部構造と呼んでいます。つまり、社会の中でも、より物質的な側面と理解していただければ良いでしょう。マルクスの思想の特徴的なところは、下部構造が上部構造を規定すると考えた点です。これは、例えばフランス革命のような社会変革の流れとは対照的だと言えます。こうした市民革命は、政治制度という上部構造を変革することで、社会を変えていくことを目指していたからです。マルクスはそれとは正反対に、経済状況や産業の発展度合いなどによって、人々の意識が左右されると主張しているのです。下部構造の変化が上部構造の変化を生むというこの構造を、マルクスは歴史の流れの中に当てはめていました。これを「唯物史観」と言います。
マルクスにとって大切なことは、この下部構造を労働者が支配することでした。そして、そのような変革のためには革命が必要だと彼を考えていました。実際20世紀に入るとソビエト連邦や中華人民共和国など、マルクスが描いた社会を標榜する共同体が誕生していきました。ただし、これらの国々では、資本家は打倒されたものの、国家という仕組みは存続したため、国民生活の隅々までを国家が統制するということが生じました。それによって、かえって経済が非効率化したという事実もあります。そのため、マルクスが唱えた理論がどこまで妥当なものだったのか、そしてそれを実行しようとした人々がマルクスをどこまできちんと理解していたのかということについては 様々な議論があります。
とはいえ、資本主義の立場を取り続けた日本でも労働環境が完全に改善されているかといえばそうではありません。また2008年9月のリーマンショックに端を発する経済危機は、資本主義や市場自由放任の考えに対して、重大な見直しを迫りました。このような時代状況の中で「労働からの阻害」を招かないような社会の仕組みを作るために何が必要なのか。それを考える上での新しい視点を、マルクスの思想は提供してくれているのではないでしょうか。

・実存主義

なぜかわからないけれど、みんながしていることだからやっておくというのは、私たちにとっては珍しいことではありません。判断の基準を、「私」ではなく「みんな」に預けてしまっている状態です。誰しも自分がない自分を不甲斐なく感じた経験があるのではないでしょうか。
19世紀、資本主義と科学技術至上主義が台頭する社会の中で、そうした自己の喪失に対する猛烈な反省が起こりました。情報が広く行き渡るようになった分、人々は主体性をなくし、平均的・匿名的な行動をとるようになってしまっているのではないか。そんな疑問を抱く人たちが現れたのです。それがいわゆる実存主義の哲学者たちでした。
現代の哲学は、そうした哲学的営みの中に埋もれてしまっていた「私」にクローズアップします。しかし、従来の哲学の方法では、そのような個別的存在としての「私」に近づくことができません。そのため、哲学の対象が変わっただけではな、その対象に近づくための方法自体も新たに模索され始めることになったのです。
「宗教的実存への飛躍」により単独者として、神の前に立つことを目指した キルケゴール、意味のない生を乗り越えて自己を想像する「超人」の思想を唱えたニーチェ、「死への存在」としての自己を引き受けることを説いたハイデガーなど、哲学を語る言葉も枠組みも大きく変わっていくことになりました。

・キルケゴール

「僕はサッカー選手になりたい。サッカー選手になれる」
そう考えていた高校生がいたとします。しかし、彼の心の中や、周囲の人々からは、「そんなの無理に決まっているよ」「普通に大学に行って就職する方が安心だ」という声が聞こえます。「みんな」にとっては、それが正しいことなのです。でも、本当にそれは正しいのでしょうか。努力を続けていれば、ひょっとして数年後にサッカー選手になれるのかもしれません。また、プロにはなれなかったとしても、サッカーを続けている方が幸せかもしれません。みんなにとって正しいことと、自分にとって正しいことというのは、しばしば食い違います。近代が、前者を重視してきたのだとすれば、キルケゴールは後者、つまり「主体的心理」を追い求めた哲学者だと言えるでしょう。
自分自身の中に打ち立てられた心理のことを、キルケゴールは「主体的真理」と呼び、これを「そのために生き、死にたいと思うような理念」と言い換えています。それぞれの人の中にあるそうした心理の道を阻むのが、「普遍的心理」です。こうして誰もがどの道を行くべきかを知っているのに、誰一人としてその道を行こうとしないという事態が起こるのではないかと彼は考えました。
もし、「主体的心理」のもとに自分を方向つけていければ、その人生は「実存的」な生き方になるはずだ。それがキルケゴールの確信でした。
みんなが正しいと信じていることを信じるのではなく、「自分が正しいと信じることを、信じること」その大切さに哲学者たちの目を開かせたことが、彼の哲学の何よりの功績だと言えるでしょう。

・ニーチェ

ニーチェが何よりも問題視したのが、プラトン以来ヨーロッパの思想的伝統の中に根を下ろしている二世界説でした。すでに見たようにプラトンは世界を、イデア界と現象界に分けていました。またキリスト教も、神の国と地の国というように世界を分けて捉えています。ニーチェによれば、これ自体が特定の人物たちによって捏造をされたフィクションでした。つまり、そうした理想的世界や道徳的規範は、現実の世界で力を持てない弱者たちが、自己肯定をするために作り出したものでしかないというのです。自分たちに力がないからこそ、彼らは強者への怨恨(ルサンチマン)の感情に基づき、人間の生き生きとした力を、道徳によって抑圧してきたというのが、彼の考えでした。そのため、隣人愛に代表されるようなキリスト教道徳を「奴隷道徳」と呼んで批判しています。
生きる意味を探すのではなく創造する。そんな「超人」のあり方を唱えたニーチェの思想について見ていきたいと思います。ニーチェの価値創造の考え方を理解してもらうために、次の文章を読んでみてください。
もしもある日、またはある夜、君がひとりぼっちでいる時に悪魔がそっと入ってきて、こう告げたとしたら。「君が今生きている人生、そしてこれまで生きてきたその人生をもう1回、いやさらに無限回、君は生きなければいけない。」そこには何一つ新しいことはなく、あらゆる苦痛とあらゆる快楽、あらゆる思いとあらゆるため息、君の人生の中の言い尽くせないような大小全てが、君に回帰してこないといけないのだ。しかも全部が同じ順序と脈絡で。
この部分は ニーチェのいわゆる「永劫回帰」の考え方が現れている箇所です。 新しいものは何もなく、ただ同じことがこの人生の前にも後にも繰り返されているのだとしたら、という一種の思考実験をニーチェを設定しています。もしもそうなのだとしたらどうでしょうか。人生が全く同じように回帰するのだとした場合、もっと深刻なケースがあるはずです。例えば今ここで 人を殺してしまえば、その人はこれまでも人を何度も殺し、これからも殺し続けることになります。何度生まれ変わっても、殺人者としての寸分違わぬ人生を繰り返さなければならないのです。
ニーチェは19世紀以降のヨーロッパは、崇高な存在だとされてきた神を、人々が殺した時代、つまり神のいない時代であると言います。この神とは一体何なのでしょうか。それは、人々に「生きる意味」「善・悪」のような価値観と規範を与え続けた存在です。そして、この神が死んでしまったということは、意味のない時代としての「ニヒリズム(虚無主義)」が到来したということに他なりません。こうなると、人々が自ら価値創造することが求められます。言い換えれば、意味がなくなったからこそ、自分たちで創造できるわけです。
こうした神なき世界の中で神を探している、つまり「生きる意味を探している」状態をニーチェは侮蔑を込め「 受動的ニヒリズム」と呼びました。神に意味を求めて彷徨う人々は、やがては絶望していくのだというのです。一方で、この神無き世界を潔く受け入れ、「神は死んだ。よって自らが自らを支配し、乗り換え、新しい自分・価値を創造しよう」と逞しく生きる態度を「能動的ニヒリズム」と呼びました。つまり意味がなくなった今こそ、人間自身が、自らを創造する崇高な生き方です。これは広い意味では伝統的なヨーロッパの価値観を破壊し、再創造する行為でありました。
このようにニーチェのニヒリズムは、ある種の諦めとともにあるような受動的なものではありません。というのは、このように無限に繰り返されるこの人生を、創造しながら肯定することこそが、ニーチェが最終的に主張したかった立場だからです。人生の永劫回帰に振り回されるのではなく、「これが人生か。 よし、ならばもう一度」と言って、その繰り返しを肯定できる人間、 それをニーチェは「超人」と呼びました。つまり、そうした人間には、己の運命に対する愛情、すなわち、自己肯定の連続としての運命愛が不可欠なのです。
「生きる意味はない。だからこそ生きる。」

・ハイデガー

西洋哲学の中には、形而上学の伝統があります。その中でも中核をなすのが 「存在論」という分野でした。これは「存在としての存在についての学問」であり、簡単に言えば「存在とは何か」を探求することを主な目的としています。アリストテレス以来、様々な哲学者がこの枠組みに従って存在について考えてきました。
ハイデガーがまず目をつけたのがその点でした。ハイデガーによれば、これまでの存在論が向き合ってきたのは、「存在者」であって「存在」ではないというのです。例えば、本やペンは「存在するもの(存在者)」であり、「存在」そのものではありません。存在者を存在させている当のもの、それが「存在」です。この違いを彼は、存在論的差異と呼んでいます。
ハイデガーはこのような誤解に注目することで、西洋形而上学の歴史が、存在忘却の歴史に他ならないのだと主張しました。では、その存在というのは一体どういうものなのか。そのとっかかりになるのが、人間の存在(現存在)でした。現存在が特殊なのは、存在についてある種の仕方で常に何かをあらかじめ了解しているということです。また、存在について問いを発することができるということ。これらが、他の存在者と現存在とが決定的に違う点です。
現存在は、常に他の存在者との関係性の中にいます。(「世界-内- 存在」)
欲しいもののことを考えたり、周りの目を気にしたり、将来の自分のことを心配したり、という風に、自分の存在(実存)ではなく、それ以外の「存在者」のことを常に気にかけながら、存在しているのです。このように世界の中に埋没しきった状態のことをハイデガーは「世人」と呼んでいます。
ハイデガーによれば、「みんながいいと言うから」「みんながダメだと言うから」というように、周りのことばかりに気を取られて、己の存在を忘却している「現存在」は同時に自分がいつかは死ぬということを忘れてしまっていると言います。
人間にとって死は、誰にも代わってもらうことができない、自らの存在に固有な可能性です。そのため、ハイデガーは人間を「死への存在」であるとしています。生まれたその瞬間から、人間は死の可能性にさらされ、そこに向かいつつあるのです。それにもかかわらず、人は「死はまだ当分やってこない」と考えているのが普通です。その可能性を直視し、自分自身に必ず訪れるものとして死を引き受ける時、人間の実存は回復される。それがハイデガーの見解でした。
確かに私たちはあることの「終わり」を意識して、初めてその尊さに気づくことがあります。かつて、ロバート・リンドという英国の批評家は、「詩人はその花がしおれるということを知っているが故に、その花を愛おしむのである」と述べています。そういう意味では、自分自身の終わりとしての死を思う時、自分の存在(実存)のかけがえのなさが見えてくるというハイデガーの主張には、それなりの説得力があるのではないでしょうか。あるいは彼の思想があまりにも敷居が高く感じられるのだとすれば、もし死なないのだとしたらと考えてみてはどうでしょう。自分自身の生命が永遠であるならば、 無限に長い時間が与えられているのならば、あなたは今日から何をしますか?何をしませんか?
「推しは、推せる内に推しとけ」

・サルトル

人間と物の違いは何ですか?
そう聞かれたらあなたならどんな仕方で両者を区別するでしょうか。
今、目の前にはコーヒーカップ、そこに入ったコーヒー、スティックシュガー、スプーンがあります。これらは何のために存在しているのでしょうか。 コーヒーカップは何のため?飲み物を入れるため。では砂糖は?コーヒーを甘くするため。スプーンは?それらをかき混ぜるため。コーヒーは?眠気覚ましのため。各人、そこに色々な目的を見いだすことと思いますが、さしあたってそんな風に考えられそうです。
それでは、それを飲んでいる「私」は何のために存在しているのでしょうか。少なくとも限定的な理由をそこに探すことはできません。これが物と人間との大きな違いです。つまり物は、「〇〇するため」という意味(本質)が先にあります。そしてその後にコーヒーカップという存在が可能になるのです。「存在に先立って本質がある」と言えるでしょう。
しかし、人間はどうでしょうか。人間が生まれる時、そこには何か特定の目的や意味はありません。つまり、まず存在してしまうのです。そしてその後自分なりに、目標を探しながら、自分がいる意味(本質)を創造していきます。サルトルはこの点に着目し」「人間の実存は本質に先立つ」と主張しました。
人間はまっさらな状態で生まれる以上、ある意味では自由です。しかし、これは裏を返せば、生まれたその瞬間から、自分をどのような存在にしていくのかは全て自分で決めなければならないということを意味します。そのような決断はひと時も休むことができず、全て一人で責任を負わなければなりません。決して誰もあなたはこういう人ですよということを教えてはくれないのです。そういう意味では、人間の自由は非常に過酷なものだと言えます。サルトルはこれを受けて「人間は自由の刑に処せられている」と表現しています。その苦しい自由を責任とともに引き受けて、主体的に生きることこそが本来的な人間のあり方だとサルトルは考えていました。
「自分以外の何かに対する責任とともに生きれば世界が変わる」
それは具体的にはどのような生き方なのでしょうか。サルトルによれば、自由の刑に処せられている人間は、「自己拘束」する時、つまり自分以外の何か、つまり「他者」に対する責任とともに生きる時、初めて実存的な生き方が実現するのです。こうなった時、各人の自由な振る舞いは決して身勝手なものとはならず、自ずと全人類をある方向に秩序付けるというのです。
サルトルが社会情勢や政治に積極的に意見したことも、このような思想とかなり密接に関係しています。そして他者への責任を引き受けて生きる中で、世界を変えていくような、そうした生き方をサルトルは目指していたのでしょう。
皆さんは他者に対する責任を引き受けると聞いてどんな他者を想像しますか。自分の子供が生まれた途端に、人の生き方が大きく変わるのも、そのような他者の発見とも関係しているのかもしれません。

・レヴィナス

戦争から解放されたレヴィナスが、故郷で発見したのは親しい人たちの死でした。そして彼は自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感にとらわれていきます。太平洋戦争の時の日本でも、戦場から帰国した兵士の中には、自分だけが生き残ってしまったということに、強い戒めを感じる人たちがいたそうです。レヴィナス にとっては、これらの死者たちのために生きることが、何よりも自分自身の使命となりました。彼の倫理は他者を自己に取り込むことを、その至上命題としていますが、それをこうした彼の人生の体験の中から確立されてきたものなのです。
その意味で「他者のために生きる」というのは「他者に変わって生きる」つまり「死者に代わって生きる」ことに他なりませんでした。レヴィナスによる「存在」の考察も、このような体験に強く影響されています。彼が言う存在は、例えば「石がある」という場合に考えられるような「ある」ではありません。石がたとえ破壊されたとしても、やはり世界がそこにただあり続けるというような、より不明確で漠然とした「ある」なのです。
レヴィナスの言う存在は何があるのかは特定されないが、しかし確かに目の前にそれがあるというような非人称的な存在なのです。そこで鍵になってくるのが、「他者」の存在です。自分とは同化しない存在、自分とは全く異質の存在、の中にこそ彼はヒントを見出したのです。
他者は自分とは取り替えが効かない存在として、レヴィナスの言葉を借りれば「顔」として現れます。そして、その顔が倫理的命令を呼びかけてくるのです。レヴィナスの思想は難解な言葉で語られますが、他者の顔こそが倫理を生むという点は比較的分かりやすいように思われます。
部屋の中で1人で閉じこもって毎日を過ごすというような、そうした生活の中では倫理的な思考は失われていきます。他者に変わって何かを引き受けて生きようとする意志も生まれてこないでしょう。倫理というものを考えてみようとする時、そこには必ず他者の存在というものを想定せざるを得ません。たった一人で世界に存在しているのだとすれば、道端に空き缶を投げ捨てようが、大音量で音楽を聞こうが、ゴミの分別をしなかろうが、何も問題ではないのです。むしろ他者との関係性があるときに、そこには「まずいな」という意識が現れます。他者に対するある種の責任があって初めて、倫理的に生きることが要請されるのです。

本書では取り扱われていない「ストア派」という哲学について要約した記事も過去に執筆しています。ぜひこちらも読んでみてください。

・本書でも取り扱われていたマルクスやアダムスミスの思想を「経済学」の視点でまとめた記事です。マルクスについて深堀りしたい方はこちらも合わせて読んでみてください。


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