【本メモ】自分を捨てる仕事術
本記事は、「自分を捨てる仕事術」という本を読んで、インプットしておきたい内容を、メモとして残しておいたものになります。前後の文脈は省いてのメモになります。
もし詳細な内容や、前後の文章が気になる方は、本書をお手に取っていただけると幸いです。
・自分なんてどこにもいない
・自分の中には何もない
・何かあるとしたら、それは外、つまり他人の中である
このことを自覚することで、生きること、仕事をすることはまるで魔法がかかったかのように楽しくなります。
「人を肩書きで判断しろ」
「普通は人を肩書きで判断してはいけないじゃないか?」
「君が今思っているような意味じゃない。抽象的に相手を判断するなということ。君は好き嫌いが激しすぎる。自分が好きな人にはよくするけど、嫌いな人には徹底的に厳しい。でもそれって君の主観だろう。そんなのは関係ないの。自分にとっていい人か、悪いとかっていうのはどうでもいい。大事なのは相手がどういう立場にいて、何ができる人なのかということなんだ。だから肩書きを見る。そしてその人と、これからどのような仕事ができるのかを客観的に判断をする。よく同世代で飲み会をやって将来の夢を語っているのがいるでしょう。ああ言うのが一番くだらない。決定権がない人間同士が愚痴を言っているだけ。俺は昔から同世代とはほとんど仕事をしてこなかった。同世代とできる仕事なんてたかが知れてるんだよ。
ある程度年齢を重ねてくると、自分の積み上げた実績もある。自分を捨てることは、それまでの自分を否定し裏切るような感情を抱くことにもなります。でも、小さなプライドのために、心を閉ざし自分にしがみつきそうになっている時、自分にこう問うようにしています。
「そのプライドを守って自分が停滞している時間に、相手はどれくらい先を走ることになるのだろうか」
「今の自分のやり方の先に、劇的に状況を変える可能性が、どれくらい残されているのか。」
自分と向き合っていてもよく知っている自分がそこにいるだけ。だから僕はこう考えるようにしています。
「テクニックを盗むことによって、相手が長年積み上げてきた経験と同等のスタートラインから歩き始めることができる。こんな近道は他にない。真似するのではない、盗むのだ。盗んで手に入れたものを使って、自分のために相手を利用してやるんだ。」
学ぶの語源が「真似ぶ」であることはよく知られています。教えてもらえることを待っているより、効率的に盗む方法を若い人が覚えた方が、上司も自らの仕事に集中できますし、盗んでもらうからにはしっかりと頑張らなければなりません。背中で語るというやつです。
「教えるんだから覚えろ」
「教えてもらっていないから分からない」
では何も進みません。
「俺は一生懸命仕事するから盗め」
「盗むからもっと仕事を見せてくれ」
という関係の方がずっと健全だと思います。
クリエイターは話をしている間に新たな思考が始まり、その場で黙考に入ることがよくあります。この時に沈黙に耐え切れずに、適当な話題を振ったりすることは決してしてはならないことです。相手は自分の世界に潜り、別の世界で思考をしているわけですから、戻ってくるのをじっと待てばいいのです。
・沈黙を恐れない
・相手が考えているときはじっと待つ
その時、相手の目を見続けたりするとかえって相手の気を散らしてしまう。自分の存在を意図的に相手の前から消すことも重要です。
若い頃、何度も相槌を打つ癖を指摘されました。
「そうやって細かく何度も相槌を打つと、相手の信用をなくすよ。相槌が多い人っていうのは、だいたいよくわかってなくて不安でそうしているだけなんだ。相槌は、数を少なくそして長く。ちゃんと相手の話を理解した後、大きく頷いて、相手の目を見る。自分が理解したということを明確に伝えなきゃダメだよ。
僕が理想とする究極の「聞く技術」があります。それは、相手が言ったことにするという方法です。明らかに自分が考え、そうなるように仕向けたのに、「あれは〇〇のアイデアだから」と相手を立てる。当然、言われた人は嬉しいし、やる気になります。相手が言った形にすることによって、その人も巻き込み、責任を持たせることもできる。「俺がやった」「自分が考えた」と自分の手柄に固執する人は、次第に仲間を失って行きます。チームで動く場面でこそ、自分を捨てることが良い空気を生み出すのです。
ある日、自席の机で新聞を広げていると、鈴木さんがちらっと横目で僕を見て通り過ぎました。しばらく経って、部屋に呼ばれました。
「さっき新聞広げて読んでいただろう。あれやめたほうがいいぞ。」
別に漫画や雑誌を読んでいたわけではありません。仕事のために読んでいたという認識でしたから、僕はちょっとカチンと来て、「どうしてですか」と反論しました。
「石井は今何歳?」
当時、僕は二十代半ばです。答えると鈴木さんはこう続けます。
「この部屋でさ、石井は一番年下だろう。その石井が、朝から自分の机で新聞を広げて読んでいたら、みんなどう思う?決して良い気分はしないんじゃないかな。でも、資料を読むスペースである共有テーブルで読んでいたらどうだろう。もっと印象は良くなるはず。自分がどう思うかは関係ないんだよ。周りが石井のことをどう見ているか、という事の方が大事なんだ。じゃないといい仕事ができないぞ。石井にバランスが足りないというのはこういうことなの。バランスというのは、社会的なバランスということなんだ。仕事をする以上、「社会に物を言って、通用するか」ということが一番大事なんだ。自分の考えや価値観だけを、受け手のことを考えずに伝えようとするなら、その前には大きな壁が立ちはだかる。革新的な事を言いたくても、相手によって、状況によっては通用しないことがある。特に対象が保守的である場合はなおさらだよ。その場合は、あえて言いたい事を内に秘め、まず相手の壁を崩して行かなければならない。そのためには、常に自分と世間との関わりと、自分が世間からどう見られているかということを考えなければならない。」
人には、年齢や経験といった様々な立場やイメージがあります。一方、内面では、「自分は本当はこういう人間である」という自我を持っている。僕自身、他者像と自己像が一致していないことに、長い間苦しみました。でも今は確信します。自分が見られたい自分よりも、人が見ている自分が、自分なのです。つまり、仕事を進めるためには、他者から見た自分を知らなければならない。それが鈴木さんの言う社会的バランスの答えでした 。
相手の話を大きな紙にメモをする。
鈴木さんの机の上には、いつも A 4用紙が積まれていました。相手が話し始めると、おもむろにペンを取り、その言葉を書き留め始めます。
これには二つの効果があります。
一つは相手の信頼が得られるということ。ただ、なるほどと聞くだけよりも、わざわざメモを取ることで、自分の話を真剣に聞いてくれているという信頼を得ることができます。
もう一つよりすごい効果があります。それは相手の真剣度を測れるということです。相手が、誰かの批判、告げ口、時には、情報操作のためにきている場合、そのメモは当人にとって、不利な「証拠」です。特にそれが個人的なノートではなく、人の目に触れる可能性のあるコピー用紙であればなおさらです。メモを取り始めると、急に語気が弱くなり、もごもごとなってしまう場合、その内容は必ずしも真実ではないことがわかる。もちろん物事に本当の真実なんてものは存在しませんが、少なくとも相手にとって都合のいい話なのだ、ということが見えてくる。相手の言葉を受け止めすぎると、自分も傷つきますし、相手をどんどん主観的にしてしまいます。メモを常に相手の目の届くところに置くことによって、客観性を維持することができます。
「どうにもならんことは、どうにもならん。どうにかなることは、どうにかなる。」