kk。
旅行とか、一人旅とか、些細なお出掛けことを若干大袈裟に記録するだけ、、です!
食べたもの記録するだけ、です!
中国語学習のために見た映画、試験の結果など!
ただのつぶやき(されどつぶやき)
コロナコロナと朝から夜まで全世界皆で感心を持ちはじめて早3ヶ月弱くらいかなぁ 中国のニュースはweiboなどを通してよく見てるから1月からゾワゾワしてた。 1月に3月末に有給を重ねて10連休を獲得しインドネシアの旅のチケットを買っていて、行く予定だったけど、もちろんキャンセルになり有給はそのまま。。南無阿弥陀!!! 自宅で10連休ってどうなる、、、闇が深すぎてもう根暗がこんなに家にいたらやばいぞ、、どうしよ、と思ってたけど意外と開き直って楽しめていた。 以下↓ ①
次に目がさめる朝は2020年が来てるんじゃないか ってくらい、日々が早くて、どこか怯えてる。 今年半ばに、毎日を大事にしようと決めて、大事にしてるのは1日3食を欠かさないことぐらいかもしれない。 —————————————— 大学からの仲良しでかつサークルも同じだった友達の婚約をお祝いして、イタリアン店でサプライズケーキ企画を別の友達と練っているとき、一方のわたしの現状と言えば“恋人がマッチングアプリをやめてくれない”という陳腐な悩みを抱えていた。 お祝いの場で「きなこ
明日明日と思っていたら間が空いてしまいました・・・はっ! 少しの間、気楽に書ける場所としてhatenaブログを書いてみたり Twitterを少し再開してみたりなんかしたりして、とりあえず。 ふらふら〜。 ・・・迷走してました(相変わらず でも人生したいな〜とおもっていたことはいくつか叶った。 その1:イランに行ってきた! 6月中旬から半月ほど、初夏のイランをぐるぐるしてきました。 と言ってはなんだが、初夏のイラン=「平均温度40度」で、クーラー直下で涼んでるだけのような
なんでここにいるんだろう。 なんで一緒にいるんだろう。 中身があるのかなあ。 そんなことをふと、しばしば思う。 時間が経つのと比例して密度が増す なんて風に簡単なものではなくて 時間が経つだけで、空虚なものだってあるのかもしれない と過ぎた2年間をふと思い返す。 2017年の夏、一緒に暮らし始めた頃、 リビングの壁の一部をデコレーションして、思い出の写真とか記念チケットを貼るコーナーを作った。いつもご飯を食べる机の近くで、振り返れたら素敵だなあと思ったから。実際に順調
中華料理の何がいいかというと、 間違いなく、本格であればあるほど、辛さがあればあるほど 「食べたーーー!」 という気持ちが湧いてくることじゃないかと思う。 この日の火鍋屋さんも、本格的だったし ヒィヒィ汗もかいたし、食べるだけなのに疲れたし、やっぱりこの感じ、、、中華! 火鍋全種類食べ放題かつデザート付きで安かった。素晴らしいコスパ…! 唐辛子にテンションが上がる。 7時半から行って、 友達のマシンガントークが収まらず11時半まで…。楽しかったなあ。 ---
最近ふつふつと思っていること。 まとめもせず口語体で書く日記。(つまり、手抜き・・!) ・【今年は防げた!5月病】 5月病掛からないために、GW沢山色んな場所に行って、色んな友達と会った。美味しいご飯を食べて、行きたい場所に行って、新鮮な空気を吸って、人を見て、話して、なんだろう特別なことではないけど、全部全部大事だな〜。 去年は5月病に半年くらい掛かっていた気がするんだけど、なんでそんなに?って思うと、去年と今年の何が違うのかなあと思うと、「止まって考えていた」と「動きな
最近駅前で「障害者の作ったクッキーを買ってください!支援になります!」と呼び込みをしている屋台販売があって、スタッフ2名と障害者の人1人がそこに立っている。 なんだか、違和感…。その売り文句じゃまるで「障害者」という存在自体を商材にしているし、障害者の人はそんな形を望んでるのかな
(『リア充』という言葉は、令和にもなった今、もう死語なのかな・・・) 「どんな人が本当に充実しているんだろう」 「どんな人を自分は充実している人だと思うんだろう」 ということを最近よく思っていて、 それは、沢山海外旅行や特別なイベントに参加している人でも 誰もが憧れるブランド物で囲まれている人でも BBQやパーティなどとにかく忙しく人に囲まれている人でもなく、 日々の小さなことに感想を持てていたり、それを言葉にできる すごく綺麗に日々を汲み取っている人かなあと思った。 (
【令和開始!】 令和開始は北海道にて。 Mr.Childrenのライブに…! ちゃんとGolden Weekをするぞぉぉぉぉ! #日記
タイトル通り。 絵に描いたように「頑張ってないな」と感じる日々と、 相変わらず理想だけはどこかに保っている矛盾の違和感のなかで、 どうして自分は努力もせずに日々を過ごしているのだろうと思っていると、あ、そうか。なんとなく生きていても人生は無害で無難なんだと悟ってしまった。 傷つきそうな機会は、なんとなく避けて生きている。 求められる場では、自分のハードルを自分で下げる。 とは言っても、あまりにも色のない日々を送るわけにもいかなくて、時々は何か目新しいところに行ってみたり
最近、誰かに何か求められることや頼られることが増えた ・・・・・ 増えた、というのは適切ではなく、 厳密に言うと、「そんな風に意識することが増えた」のかもしれない。 といっても、変な相談系のこともあるけれど ・小学校時代の親友の結婚式の友人代表スピーチを任された! (人前あがり症の自分だけど、友達のためには頑張る!) ・タイ人の彼女ができた大学時代の同級生から恋愛相談 (これ週一で電話来るんだが、タイ女性の気持ち詳しいと思われているのだろうか・・・) ・恋人の
生きることを、生活を、たくさん実験台にしていけばいいのかな、と最近思う。 **** 今の自分のオフィスワークは6時間勤務だ。 10時〜17時という、会社員的な面からみるとかなりホワイトというか、時短勤務感。 新卒の時は8時40分には仕事開始!な生活の中にいてワタワタしてて、 今のところは10時開始、9時50分前後についていれば十分な環境。(ゆるい) 今年に入り6時間勤務で生活してみて思うことは、6時間勤務はラクすぎる。終業後も元気があることは、メリットかなと思う。今は
最近、身が軽い。 生きやすい気持ちと、このままでいいのかなあという迷い。 時間がかかるけど、人は点と点を結んで生きているというか、そうしないと生きていけないんだろうなと思う。なんでここにいるのか、なんでこうしたいのかずっと不明瞭だったけど、どうしてもそこに辿り着く自分と出会った。
私は、近くにいる人に否定されることをひどく怖がる。 「他の人の方が_」 「〇〇も出来ないの」 こんな具合で、少しでも否定的な言葉を、重みの大小はあれど、私にとっては全てど直球にぶつかる。 *********** 大学院1年の恋人はついに(やっと?)就活を始めた。 研究職に就くと田舎に行く羽目になるから、総合職を探す彼。 「年収1000万見込みじゃないと」と軽く言う自尊心の高い彼を見て ふと理由を聞くと、贅沢な暮らしがしたい、余裕がある生活がしたい、エリートになりたいか
”言葉”と”態度”は真摯なものだから、使い方によって残酷なものになる。 この人といると、私は一生減点法の生き方で、日々便利屋としての機能しかないんだろうなって、毎日どこかで自分を悲観する瞬間がある。 人の価値とか人生とかって、偏差値みたいに測れないものなのに。
生きていると色んな人を見かけるし、知る。 「隣の芝生は青い」に揶揄されるような身近なものではなくて、 「こんな人生もあるんだなぁ」 強く望むわけじゃないけど、「こんな生き方、選択があるんだな」ってそんなことを他人をみては日々思う。 そんな人生を自分が選ぶとは思えないけど、 そんな人生も経験してみたいな。 そんなことをふと、色んな人に対して思ってしまう。 ******** 大人になったら、もっとビジネス書とか、 いわゆるライフハック系を読むのかなあと思っていたけれ