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「偏らない」生き方がしたい


私は、近くにいる人に否定されることをひどく怖がる。
「他の人の方が_」
「〇〇も出来ないの」

こんな具合で、少しでも否定的な言葉を、重みの大小はあれど、私にとっては全てど直球にぶつかる。


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大学院1年の恋人はついに(やっと?)就活を始めた。
研究職に就くと田舎に行く羽目になるから、総合職を探す彼。

「年収1000万見込みじゃないと」と軽く言う自尊心の高い彼を見て
ふと理由を聞くと、贅沢な暮らしがしたい、余裕がある生活がしたい、エリートになりたいから、だそう。30歳までに大きな家を買うのが目標で、途上国の貧困を救うような援助活動もしたいそう。

彼の語る未来に完全に私は組み込まれていないのが容易にわかってしまう日常の中で、私は少し覚悟をした。媚びるようなことをして生きると、余計に自分が悲しく思えてくるから一線を画して生きよう。今年のバレンタインは、去年みたいにホワイトデーを忘れられる事態を繰り返すんだろうと思って、彼に用意はしなかった。本当は手作りチョコと毎年買ってた星の王子様のチョコレートを用意して、可愛い手紙とか付けて張り切りたい想いがあるけど、なんか、そんな用意をしても、頑張っても、なんか本当に自分が滑稽だなと思って、やめた。

けれど私は日々彼の朝起きるペースに合わせたり、お弁当を作ったり、遅くなるときは夜食の準備に奮闘したりする。
留学生の彼の就活のESの文章を添削もする。



好きな人のために何かができることは嬉しいことだ。

と書くと、「まさに」とおもう自分と、「なぁに綺麗事言ってんだ」と後ろめたく思う自分がいて気分がもやもやする。



「俺が就職したら、〇〇連れて行くよ!」とか、嘘でもなんかワクワクするような未来の話を、もはや作り話でも実現可能性が低いことでもいいから言ってくれたら、
バカな私はその瞬間から脳内お花畑になって、ワクワクして、今、彼を綺麗な視線で見れそうな気がするのに。


でも、そんな作り話さえもなくて、
ただただ私は彼のサポーターみたいな、不器用なサポーターなんだろうなって、我を振り返って時々落ち込む。


友達と会っているときに、恋人の話になった。
私は最近、病気になったときがあり、彼がご飯を用意してくれたこと、心配してくれたことがちょっと泣けるくらい嬉しかったので、そのことを話した。

友達A「え、それ当たり前じゃない?恋人なんだから病気したら心配するでしょ」



・・・私の中で今年に入ってのハイライトの惚気エピソードだったのでショックだった。



私が仕事で疲れて帰ってきても、彼は自分のことでいっぱいだ。
大学生を批判するわけじゃないけど、所詮学費を払っている以上、彼は如何せん「サービスを受ける側」としての生活だと思うので、働いてる私に帰宅してからも「女子力」とか求められてもと思う。少し労ってほしい。お金も私の方が多く払っているし、この家の名義人も私だ。
なのにいつも私はなんで顔色伺って生きてるんだろう。哀れな感じ。


私が落ち込んでも、ショックを受けても、
「私は便利屋なのかなー?」と聞いたら

「そんな便利なことも出来ないでしょ笑」

と言われたので、確かに、便利にもなれないですよねという気持ちで死にたくなった。

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「副業」とか「複業」とか、そういう類の言葉をよく耳にするようになった。

馴染み深い言葉にもなりつつある。


その背景には、「会社に頼って生きていても安定じゃない」とか「自分でスキルを身につけたほうがいい」とか「将来への不安」とか
色々あると思うけど、

詰まる所、「生きやすさ」の観点で合理的だと思う。


一つの環境、組織で、「うまくやっていこう」と思うと、そこへの集中が望んだものであれどなかれど、依存心になるし、それ以外の視野が狭くなる。
次第に、「ここでうまくいかないと、他でも・・」と刷り込まれてしまうし、うまくいけばポジティブの最高潮を得れるかもしれないけど、うまくいかないと、どうしようもないネガティブの底辺を知ることにもなる。

「副業」とか「複業」を持っていると、多少収入が減っても、Aでうまくいかない部分はBで補充するかなと思えるし、Bがあることで、Aに足りない要素を知ると言った具合に比較したりもできる。

心の余裕にも繋がると思う。


ここで世間では批判されがちだけど、「浮気」とか「不倫」の類はどうか。

複数の恋人を持つことを肯定する「ポアモリー」の人が表に出てくるようになったのも、「複業」とかそういう類の部分と根底では近いのではと思った。


好きな人は一人。というのが誠実さの証であり、象徴だと言われている。

でも、当然ながら、選択肢がたくさんで、色んな世界を見る知ることができる夢溢れた時代に、忙しいがリア充だと思われる世の中で、
恋人一人で精神が満たされるのかなぁと思う節がある。

私は器用じゃないし多分ポアモリー的な生き方を選べないけれど、

例えば、「好きだけどインドアなA君」を恋人に持つ「アウトドアな女性」は、
どこかで常に満たされない部分があると思うので「アウトドアなB君」といい感じになってもいいのでは、と思う。



うまく書けないけど、そうすることで、「生きやすさ」の程度は上がると思う。


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自分の思いや欲求は前提として「自分で満たす」ことが出来てスタート
なんだろうな、と思うと
全てを一度断捨離したくもなる変なモヤモヤ感に苛まれてしまったりと

わかってほしい苦しみとか、
色々あるし、毎日会うんだから素通りできないんだよーわかってくれよーという変なモヤモヤ。


(あまりに確認もせずに書き連ねたので後で修正したほうがいいかも。。)

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