未来日記の効用
断捨離を進めている。
とはいっても、本当に日々少しずつしか進まない。一日にベッド下の引き出しを一つ、とか。衣替えも兼ねて、衣装ケース一部だけをする、とか。一気にするのもいいと思うのだが、今の体調なども考えて、ゆっくりと一つずつ徹底してやっていこうと思ったのだ。一つ一つ、完了していくと、とても気持ちがいい。
昨日は、引き出しの一つである手紙や年賀状ゾーンの片付けに突入した。これまで書き続けてきた日記やノートなども入っている。
ところで、みなさんは手紙や年賀状などの保存、どうされていますか?
年賀状はそこまで多くない方かもしれないが、それでも年々増えていくし、捨てるに捨てられないというか、捨てたくないものだし。
手紙でいうと、今まで受け持った子たちの手紙や文集などは置いておきたい。・・・ということで、結局残しておくことになった。
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これまで書き続けていた日記をパラパラとめくってみる。(大抵、片付けする時ってそういうことに時間が割かれ、気づけば片付けが進んでないってことあるあるかもしれない)
2018年、2019年、2020年...しっかりと3年間分の日記(手帳)が残っていた。読み返すということはほとんどないことではあるが、これも残しておきたいなと思った。
ふと、2018年の日記を読み返してみると、その日の出来事だけではなく、自分の望みに焦点を当てて、「こうなっていたい」という未来の望みを一言書いてあった。
ところどころに、マスキングシールが貼られてある。シールが貼られているところは、達成された望みだということが分かった。
へえ。そんなことやってたのね。
なかなかおもしろいじゃないか。
その後は、単なる出来事を記述するのみになったり、何かに影響されて「いいこと」「感謝」に目を向けた日記に変わっていたり、いろいろ変容はあったが、今は、その日の出来事とその時の気持ちを書くにとどまっている。
自分と対話をする、その静かで孤独な時間に、自分の望みと向き合う。望みが叶うかどうかは脇に置いて、その「望みと向き合う」ことが、とても尊く豊かな時間であると思えた。
自分のやりたいことは何なのか。
自分の興味があることは何なのか。
自分がありたい姿とは何なのか。
そういったことは、普段考えることはない。
それが長く続けば、心の中で埋もれて見えづらくなってしまっている。
本当の望みは、もっともっと奥の方にあって、自分でも何なのかわからないかもしれないが、日記を書くときに、自分の望みと向き合うことを通して、そこに近づけるかもしれない。
自分の未来はもっと、自分の想像以上に未知なるものかもしれないが、自分の望みに目を向けて心の声に耳を傾けるのもいいんじゃないかなぁと思わされた。
2018年の自分からの贈り物となった。
thank me.
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![やまだ めぐみ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150222198/profile_8506300418365f08c42b0ed5c75fc69b.png?width=600&crop=1:1,smart)