死ぬまでに、また人間になりたいと思うこと。

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最近の記事

きっと会食恐怖症だった私へ

「お弁当の日」 が大嫌いだった。 人にお弁当の中身を見られることが嫌だった。 おにぎりの味はなにか? 入っている具はなんなのか? お弁当というのは、その家庭の何かを映し出す。 部屋の中、いや思ってることが透けてるのと同じぐらい、見られることが恥ずかしいことだった。 キャラ弁なんてもってのほか。 料理が得意だった母は、絶対すごく上手に作ってくれただろうなと大人になって思う。 けれど当時の私は断固拒否。 絶対にやめて欲しいと喚いた。 同じ具材に同じ形のおにぎり。同じ段に

    • 怖さの裏側。

        世の中には「怖い」を武器にする人がいる。 でも現実世界で、その人が怖さを武器にした理由を想像する人はどれだけいるだろう。 私がいう「怖い」とは、態度が威圧的、言葉が強い、あえて低い声を出す、目つきを悪くする、など。 怖いを使う人は、自分を守るためにそうしているように、私は見える。 ・自分を守る方法がそれしかなかった。 ・他の守る方法を教えてもらえなかった。  (選ぶ言葉や誠実さでも自分は守れると思う) ・教えてもらえる環境にいなかった。 ・周りの大人が、そうして

      • たぶん私は一生、ただの優しい人。

        私の人生はこのまま、淡々と続くのだと思ってた。 高校卒業の時に書いた二十歳の自分への手紙には、 「淡々と続いてきた私の人生が、 あなたの今いる世界でも淡々と続いていますか?」 とも受け取れる内容が書いてある。 し、そうなるのだとあまり疑っていなかった。 いつからだろう。 何者かになろうとして、 なれないのだと嘆き 何者かにならなくても良いのだと、 自分を受け入れる。 それを繰り返すようになったのって。 勉強はできなかったけど、 自分がどうなりたくて 何が許せなくて

        • 孤独と付き合うこと

          人生ってさ、 一生孤独と付き合うことです。 1人と孤独って、違う。 誰と一緒にいたって、 自分はずっと1人しかいない。 自分ってずっと1人だと思う。 心に誰かを飼ってみたって、 味方が心にいても、 自分が増えることはないし 自分ってずっと自分しかいない。 物理的に誰かを隣におくとか 一緒に生活をするとか そういうことで、 1人じゃなくなることってできる。 自分が電気をつけなくても、 誰かが電気をつけてくれる。 自分が鍵を持っていなくても、 中から開けてくれる人がいる

        きっと会食恐怖症だった私へ

          自分の大切な人の心をひどく傷つけたくなった日々

          自分の大切な人の心を、ただひたすらに 傷つけたくなる衝動にかられる時がある。 体に傷をつけるんじゃない。 心に、深い、深い傷をつけたくなる時がある。 こわいでしょ 人の心って一度深く傷ついてしまうと治りません。 浅い傷がいくつもついてしまったら、治すのに時間がかかります。 絆創膏を貼ることはできても、 綺麗にツルツルにすることはできません。 そのことを私は知っている。 人の心を深く傷つけることがどんなことなのか、 そうするとどうなるのか知っているから 私は全てを失

          自分の大切な人の心をひどく傷つけたくなった日々

          「あの人がいなかったら」とみんなが言うことについて(記事:理想主義の私は 追記

          逃げた先の人や出来事が 自分を助けたのだと錯覚して、 みんな「あのひとがいなかったら」と 話すんでしょうか。 それが錯覚でも、錯覚でなくとも どちらでもいいのだけど、 助けてくれたと思う思わないも自由で それがあなたを助けたと思うのならそれでいいんです。 そう思うことで、あなたが救われたということだから。 でも外側から見た時、 それはただの事実であって、 人や出来事が、 その人を助けたとは限らないと、 教えて欲しかった。 勝手に本人が決めたものだと、 教えて欲しかった。

          「あの人がいなかったら」とみんなが言うことについて(記事:理想主義の私は 追記

          理想主義の私は

          いつか、 誰かが私のことを救ってくれると 信じていた。 テレビで見る、ドラマで見る、snsでみる 「今の恋人がいなかったら」 「あの友人がいなかったら」 という言葉たちから みんな誰かに助けてもらっているんだと 地獄にいたら手を伸ばしてくれる人がいるのだと 掬い上げてくれる人がいるのだと 誰かが私を必要としてくれて 愛してくれて、 きっと、いつか、 だから助けにきてくれるのだと 信じていた。 ずっとそう思ってきたし、 待っていた。 待っていれば誰かが来てくれて、 こ

          理想主義の私は

          自分が自分にかけているプレッシャー

          仕事終わりの17:15。 お家へ帰る車の中で、 私が私にかけている あまりにも大きな、大きな、 プレッシャーに気づいてしまった。 3年。いや、 なりたいと願い、一歩を踏み出してから約7年。 自分への失望と絶望、ついて来ない体と心、 それでも溢れ出す夢や、 やりたいことにしがみつき 決して離すことがないよう結んでおいた。 なのに世界が、私が、 それを奪おうとする。 長い間、強い想いを持ち続けていると、 この想いが自分を縛っていないかと 不安になる。 一度、手放そうとしたこ

          自分が自分にかけているプレッシャー

          「しょうもない」「どうでもいい」は世界を救う

          わたしは学生の頃から、しょうもない、どうでもいい話が大好き。 「ねえ、今空を飛んでる鳥ここからどこいくと思う?」 「最後の晩餐何食べたい?」 「あの車、めっちゃオレンジ色。赤に近い濃い色だよね。朱色?みたいな?」 自明の話や、答えのない話を、多くの人はどうでもいい、しょうもない、と言う。 友達と話していて「しょうもなー笑」「なんの話よ笑」なんてよく言われる。その度に私は「しょうもないは世界を救う!!」と笑って返す。 答えの無い話には、自分の想像がたっぷり入る。 こうであっ

          「しょうもない」「どうでもいい」は世界を救う

          神様ってさ?

          「神様」ってみんな言うじゃん? 神様っているの? 神様ってさ、多分いるんだよ 神様は人間にさ、 平等に「ひとつ」だけ命を与えて 感情を与えて 感覚を与える そして、母親を1人と父親を1人与える 世界に産み落とされてから、 どちらかがいなくなったりする時もある でも、初めに全員に母親と父親を1人ずつ与える いくつもの枝分かれした人生を、 幾度となく選択して、 私たち人間は1人ひとり、 唯一無二になっていくじゃない? 母親と父親を「平等」に与えるけれど、 いなくなってしま

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          社会不適合者であることを、私はまだ認められていない

          私は確実に社会不適合者だと思う。 高校3年生、そろそろ進路を決めるタイミング。 そこで私はとある国家資格を志すようになる。 奨学金を借り、 高校1年生からアルバイトで貯めた貯金で、 理系大学へ入学した。 文系だった私にとって理系の学習は あまりにも難しく、ついていくのがやっと。 でも、なんとかしがみついて前期を終えた。 難しくてとても大変な半年間だったが、 自分の興味ある分野を学ぶことは、 とても楽しかった。 だが、後期が始まる頃から、私の心は崩れ始めた。 学業では

          社会不適合者であることを、私はまだ認められていない

          不幸になりたいわけじゃないのに不幸を願う理由

          なんとなく昔から、 不幸になりたいわけじゃ無いのに 不幸を願ってるような自分がいた。 まあそのあとほんとに不幸になったんだけど。 誰かが怪我をした。 誰かが体調を崩した。 誰かの大切な人が亡くなった。 誰かの大切なものが無くなった。 誰かの心が理不尽に傷つけられた。 そう言うのを聞くたび、 私は代わりたいと思った。 私も経験したいと思った。 私も不幸になりたいと願った。 構って欲しいとか、 自分が1番可哀想だと思いたいとか、 そう言うことなんだろうと思ってたし、 自

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          こうでなければならないを手放す

          私は、自分の中で「こうでなければならない」が強すぎる。 例えば仕事 正社員でなければならない。社会人だからこうあるべき。 そんなしょうもないルールに縛られて、自分の心や気持ちは置き去り。自分じゃない人が、そのルールに当てはまっていなくても何も思わない。むしろ素敵だと思う。なのに、自分なると途端に甘えているんじゃないか、と思えてくる。 なぜなら、過去の自分はできていたから。 1年前はできてた。先月はできてた。昨日はできたのに。 そう思ってしまう。続けることがいかに凄いことか。

          こうでなければならないを手放す

          あなたにもらったもの

          私が◎と考えるものを、あなたは△と考える。 私が◉と言うものを、あなたは◎と言う。 私が△がいいと言ったものを、 あなたは□もいいねと言う。 あなたはいつも、私とは違うところを見てる。 私とは違う世界を見てる。 私とは違う世界を生きている。 でも決して、 あなたの生きている世界を 信じているものを押し付けたりはせず、 ただ、こうも見えるね。 僕はこう見えてる。 そう教えてくれる。 一つしかなかった私の世界に、 もう一つの世界ができて、 私の世界での当たり前が、 当た

          あなたにもらったもの

          もしあなたが生きていたら

          ようやく文字に残して、 気持ちと向き合えるぐらいの月日が 経ったように思う。 就活を目の前にしていた3月の初め。 ゆっくりお風呂に入っていた時、 その知らせを聞いた。 頭に浮かんだ言葉は、 「ついに人を殺した」。 頭が真っ白になって、 すぐ、 思い浮かんだ言葉だった。 拒絶して、 逃げて、 それでも切りきれないのは、 彼女の人間としての一部が 私にとっては大きすぎたから。 でも、 それすらもついに消えかけようとした。 あまりに受け入れられない現実だった。 立場上葬

          もしあなたが生きていたら

          また会えた

          私がボロボロになった頃から、会えなくなった友達がいる。いた。 最近、4、5年ぶりに会えたんです。 彼女たちは年月を感じさせないほど相変わらずで、会っていなくても繋がれている子達でした。 どこかで、私の思いの一方通行を感じて大切にしたいと思ってたはずなのに自分で壊して、悲しんで、悔やんで、そうやって思ってたことがあった。大きな間違いだった。 大人になって会った彼女たちに対する感じ方が、少し変わってみえた。感覚的には、家族だけど、マンションに1人一部屋隣同士で住んでるみたい

          また会えた