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きっと会食恐怖症だった私へ

「お弁当の日」

が大嫌いだった。

人にお弁当の中身を見られることが嫌だった。
おにぎりの味はなにか?
入っている具はなんなのか?

お弁当というのは、その家庭の何かを映し出す。
部屋の中、いや思ってることが透けてるのと同じぐらい、見られることが恥ずかしいことだった。

キャラ弁なんてもってのほか。
料理が得意だった母は、絶対すごく上手に作ってくれただろうなと大人になって思う。
けれど当時の私は断固拒否。
絶対にやめて欲しいと喚いた。

同じ具材に同じ形のおにぎり。同じ段に同じ具を入れてくれと頼んだ。
唐揚げじゃなくてミートボール。おひたしはほうれん草。おにぎりは塩味で海苔をつける。それをふたつ。あとはミニトマトとフルーツは絶対みかんの缶詰。

思い返すと胸が苦しい。

他の子がお弁当の中身を見せて美味しいとか、今日のグラタンのカップの底は星がいくつだったとか、なにが楽しいのか全然わからなかった。
すごいお弁当をきゃっきゃ見せてるのをみて、なにも羨ましいとは思わなかった。

お弁当を食べる時はカバンで前を隠す。
ひとつ具をとったらお弁当の蓋を閉める。
そうしないと落ち着いて食べられなかった。味がしなかった。早く給食なんて終われと、いつもおもってた。なんでお弁当の日なんてあるんだよといつも思ってた。
母が作ったお弁当が恥ずかしかったわけじゃない。
誓って。

自分の私生活が現れるお弁当と言うものを
見られることがとにかく恐怖だった。

お弁当じゃなくても、その気持ちはあった。

給食。
なにをどの順番でどう食べるか。
これを見られるのがとにかく嫌だった。
特に嫌だったのは、食べ方が分かれる給食。
ソフト麺とか。手巻き寿司とかあった日には、巻くだと?もってのほか。全部別々で食べた。
あとは揚げパンとかも苦手だった。
食べてる姿をみられるのがすごく嫌だった。スムーズに口に運べないから。

人前でのご飯がとにかく嫌いで、親戚一同集まるお正月はいつも違う部屋で妹と一緒に時間が過ぎるのを待った。お腹が空いてても我慢した。みんなの前で食べるより空腹に耐えた方がましだったから。


こんなに食べることにものすごいこだわりや、恐怖があった私が、いつの日か管理栄養士という仕事を志し今は栄養士として働いている。

人生なにがあるかわからない。

会食恐怖症は、ある日突然治った。
堂々と食べればいい。焦らないこと。ゆっくりと口に運んで、動作をゆっくりとして、食べればいい。
それをある人の食べ方から知って、意識するようになった。大学生の頃にはもう、ずいぶん治っていてなんでもどこでも食べられるようになっていたな。

他にもこだわりが強かった幼少期。
また話そうと思う。


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