見出し画像

うつ病時代からコーヒーに目覚めてからの猛烈な努力と軌跡の話①

こんにちは!


今日は久しぶりに自己紹介的な投稿をしてみようと思います!

私時々コーヒーに関する投稿をしていますが、バリスタとしても活動していまして、専門学校でコーヒーの授業も受け持っています。今となっては管理職業務がメインなので、コーヒーに関わる時間も減ってしまいましたが、20代前半の頃はコーヒーに深くのめり込んでおり、その突き抜けた努力の姿勢はすさまじく、変態以外の何者でもなかったその姿は同僚の間では有名な話です。

おかげで未だに変態扱いされるわけですが…

あの時の突き抜けた努力と成功体験という経験のおかげで、社会人になってぶち当たった数々の壁を乗り越えることができたり、土壇場で力を発揮することができたと思います。なによりも、自分のアイデンティティの根底を作るきっかけとなりました。

なんて言っておきながら大した成果を出したわけではないんですけども。笑

そんな「小さくも、かけがえのない成功体験」の話をしてみようと思います。

ちなみに、画像は私の全盛期のラテアート(フェニックス)を載せてみました。



鬱病時代から一転・コーヒーに出会う


思い返せばあれは16年前…大学を中退したのち洋菓子屋さんでフリーターを続け、1年くらいして実家に戻ることに。その後、実家にて親や祖母と折り合いがつかず、気づいたら不眠症になり、そのまま鬱病になってしまいました。ちなみに当時は家の家事を手伝っていただけで、アルバイトもしておらず、その環境が鬱をさらに悪化させる要因になりました。

病院に通いながら治療の日々が続いていましたが、なかなか治りませんで、(ちなみに親には通院していたことは話していませんでした)友達が心配して私を外に連れ出してくれたりと、いろいろ支えてくれました。当時の私はわずらわしいとか思っていましたが、今となっては感謝してもしきれないくらいの恩を頂いたと思っています。

そのような友達の支えもあって、ある日「このままでは本当に引き返せなくなる」と思い立ち、前々から興味があったカフェの専門学校のオープンキャンパスに行ってみることに。



ラテアートとの運命の出会い


他人と会うのもすごく久しぶりで、おかなびっくりでオープンキャンパスに行きました。しかしそのオープンキャンパスで衝撃の出会いがあったのです。そう、「ラテアート」と出会ったのです。

これだ!と思った私はその専門学校に入学することを決意。そのあと何回もオープンキャンパスに通いました笑

結果的にこのラテアートとの出会いが自分の人生を大きく変えていくターニングポイントになるわけですが、正直な話、バリスタってかっこよさそうだな〜と思ったのが一番大きな動機です…この後の努力がなければ、この出会いも特に意味を持たないものになっていただろうなと思います。

ちなみに、専門学校でも親にお金をだしてもらいました…突然大学を中退して鬱になったかと思えば専門学校に入学するからお金出してくださいなんて、親不幸極まりないなあと今でも思います。そして環境に恵まれていたなと、ひしひしと感じます。このくだりは、人生後悔ランキング1位という感じです。

ちなみに専門学校に入学する年、この時22歳でした。



入学してから鬱が治るまで〜人生初の努力を始める〜


入学してからしばらくは薬の服用を続けており、その時は抗うつ剤や睡眠薬を何種類か服用していました。しかし、しばらくして薬の服用を勝手にやめてしまいます。もうこれ以上親に迷惑をかけたくないという決意と、学校に通うことで朝方の生活に切り替わったことがセロトニンの生成を促して、鬱が改善されていたので、考え方がだいぶ前向きになっていたんじゃないかと今となっては思います。

しかしながら、薬をいきなりやめたことで、薬がない不安などで精神的にも不安定になったし、副作用で昼間視界が揺れてたりして、なにかと眠れず辛かったです。しかし昼間に眠くなっても我慢して、全力で集中して動きまくって、めちゃくちゃ疲れた状態で夜を迎えて眠るという荒療治を行ったところ、いつの間にかまあまあ眠れるようになり、鬱もほとんど治りました。

ちなみに、お医者さんの指示を無視して薬の服用を勝手にやめてしまうのは危険なので絶対にマネしないでください。

入学してしばらく経った頃「バリスタの世界一を目指す」という目標を早々と立て、舌を鍛えるためにコーヒーを飲み始めたわけです。しかし、驚いたことに当時私はブラックのコーヒーを飲めませんでした。

そう、コーヒー苦手だったんです。

しかし無理やりにでもコーヒーを飲む習慣を作り、毎朝欠かさずコーヒーを淹れて通学の電車の中で飲むということをやっていました。なぜか夏でもホットを飲むという、よくわからない徹底ぶり。そして手引きのミルで豆を引いていたため右腕だけが筋肉質になるという事態に。

「朝起きたらコーヒーを飲む」という自分ルールを決めていたわけですが、今から考えると、これはif thenルールという習慣化の強力なテクニックの一つです。これにより365日毎日欠かさずコーヒーを飲むことができ、習慣にすることができていました。

学校の授業でコーヒーを飲むのはもちろんのこと、学校が終わったらカフェに行ってコーヒーを飲んだり豆を買ったりしつつ、空いた時間は全てコーヒーのための時間にしていました。

私は、部活もやってこなかったし、何かを頑張った経験なんてほとんどありませんでした。しかしここらへんから、人生初の努力が始まります。



超ド級のグリットを発揮・変態の誕生


*グリットというのは粘り強さや我慢強さ的な意味で、成功するには欠かせない要素のひとつです。私が唯一持っていた能力の一つでもあり、我慢強さには自信がありました。

専門学校に通って一年もしないうちだったと思いますが、当時講師として来ていた今の会社の当時の店長に「うちで働きなよ」と誘ってもらえました。願っても無いと早速働かせてもらうことになったのですが、この頃から私の努力がだんだんと異常で変態的なものになっていきます。

熱が出てもコーヒーの勉強をするのは当たり前で、気になる店があればどれだけ体調が悪くても行って味を確かめていました。「そんな時に飲んでも味なんて感じられないでしょう〜」と言われそうですが、確かにこれは非効率的だったと思います。笑

しかし驚くことに、コーヒーを飲む瞬間だけ、つまっていた鼻の通りがよくなって味を感じることができるという状態になっていました。

また、コーヒー豆を買っては師匠と崇めていたバリスタのおやっさんの店に持って行き、そのコーヒーを淹れてもらって一緒に味を見てもらったり、当時はまだ珍しかったスペシャルティーコーヒーを扱っているカフェに行きまくり、しかも一回行ったら質問攻めで2~3時間は帰りませんでした。確かその店のスタンプカードが30枚くらいたまっていたと思います。(一枚15杯でスタンプ満タン)



成長マインドセット獲得。努力は無限ループに…


そしてバイトに行く前は1~2時間早めに行ってコーヒーの勉強に励み、カバンの中にはコーヒーの本が常に5冊ほど入っていました。家では手網を使ってコーヒーの焙煎を行い、風呂場では湯船につかりお湯でひたすらカフェラテの注ぎの練習を繰り返しました。なかなか風呂から上がってこないことで親に不審がられたことも…

学校でラテの自主練を同級生とやっていましたが、凄まじく努力する自分についていけなくなったのか、いつしか一人で練習するようになりました。

しかし、寂しいことはなく、人生初の努力ができている自分がなんだか嬉しくて、この努力は輪をかけて激しくなっていきます。努力が楽しくて楽しくて仕方がないというこの感覚。まさに成長マインドセットを獲得した瞬間だったとも言えます。



ちょっと長くなってきたので、続きは次回。

それでは!





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集