「キャラAはまだ子供にも関わらず、自分を厳しく律し、大人っぽくあろうとしている。ゆえに『子供っぽい名前が嫌いだから苗字で呼んでほしい』と頼む→しかし仲間たちはそれを無視する」というシーンを通じて、この仲間たちとすごすことでAはいい意味で子供っぽく自由に生きていけるだろうと暗示する ~アニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ U149」の場合
◆概要
【「キャラAはまだ子供にも関わらず、自分を厳しく律し、大人っぽくあろうとしている。ゆえに『子供っぽい名前が嫌いだから苗字で呼んでほしい』と頼む→しかし仲間たちはそれを無視する」というシーンを通じて、この仲間たちとすごすことでAはいい意味で子供っぽく自由に生きていけるだろうと暗示する】は「キャラの感情などを暗示する」ためのアイデア。
◆事例研究
◇事例:アニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ U149」(第1話)
▶1
本作の主人公は、橘ありす(12歳の少女)。
彼女はとある芸能事務所に所属している。アイドル志望だ。しかし、まだデビューすらしておらず、「早くアイドルらしい活動をしたい!」とやきもきしながらトレーニングに励んでいる。
第1話冒頭、
・Step1:ありすはちょっと異様なほど大人っぽい小学生として登場する。彼女は「早く大人になりたい」と願い、「大人にならなければ」「大人っぽくふるまわなければ」と極めて厳しく自分を律しているようだ。
・Step2:例えば物語序盤、クラスメイトから「ありすー!」と声をかけられた時。ありすは「橘と呼んでくださいと何度言えば……」と苦言を呈している。ありすという名前は子供っぽいので嫌いらしい。
さて、第1話中盤。
・Step3:ありすは「第3芸能課」に配属となり、同年代のアイドルたちとともにデビューを目指すことになった。
・Step4:で、同僚アイドルたちと初めて顔合わせをした日のことだ。ありすはいつものように「橘です。下の名前で呼ばないでください」と挨拶した。
・Step5:学校の友達なら「はいはい、しょうがないわねー」と従ってくれるだろう。ところが……最年少の市原仁奈(9歳)が寂しそうな声で訊いた「仁奈たちと仲よくしたくねーですか?」。
・Step6:嗚呼、あまりにも無垢で純粋な言葉!ありすは口ごもる「そっ、そういうわけでは……ただ、その……子供っぽすぎるというか……苗字の方がいいかなーって……」。
・Step7:だが仁奈は納得しない「ええ!?仁奈、ありすってお名前すっげー好きでございますよ!」。
・Step8:ここまで言われたらもうどうしようもない。ありすは渋々ながらも「……では……市原さんにだけなら……」。
・Step9:すると傍にいた赤城みりあ(11歳)が「私もありすちゃんと仲よくしたーい!」。龍崎薫(9歳)が「薫もー!」。横山千枝(9歳)が「ちっ、千枝も!」。ありすに駆け寄った。
・Step10:年下のかわいい女の子たちに囲まれたありす。こうなったら如何ともしがたい。ありすはやむを得ず、「しっ、仕方ないですね……」。
▶2
上述の通り、ありすは大人っぽい少女だ。
「大人っぽさ」は彼女の個性であり、それは素晴らしいものだ。
とはいえありすの場合、「大人っぽくふるまわなければ」という意識が強すぎて息苦しそうに見える。彼女はまだ小学生。様々な可能性に満ち、様々に変化・成長していく時期である。だが「大人っぽくなければならない」という意識がそれを邪魔してしまっているらしいのだ。
そんな中、彼女は第3芸能課の仲間たちと出会った。そして不承不承ながらも、ありすと呼ぶことを認める(Step5-10)。つまり、初っ端からありすのやり方が通じない!
過度に大人っぽくふるまうことが許されない場、それが第3芸能課なのだ。
多くの鑑賞者は、「第3芸能課の仲間たちと出会ったことで、ありすはいい意味で子供っぽくなっていくのかな?」「『大人っぽくふるまわなければ』なんて固定観念から自由になり、大いに変化・成長していくといいなぁ」と感じたことだろう。
つまり、「ありすはまだ子供にも関わらず、自分を厳しく律し、大人っぽくあろうとしている。ゆえに『子供っぽい名前が嫌いだから苗字で呼んでほしい』と頼む→しかし仲間たちはそれを無視する」というシーンを通じて、この仲間たちとすごすことでありすはいい意味で子供っぽく自由に生きていけるだろうと暗示されているわけだ。