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100万回死んだブス

子供の心に杭を打つ、親の言葉


私はブス。そう、叩き込まれて育った。


日本の「謙遜」というありがた迷惑な文化によって、私はいつも、
いつもいつもいつもいつも、人前で「この子はブス」と宣言され続けながら、生きてきた。

母親たちがもし、未だこのありがた迷惑な文化を継承しているのだとしたら、即刻、やめなければならない。長年、ブス宣告され続けながら生きてきた私は、自分を認めてやれず、常に心の中に怒りを抱えてきた。

「かわいい」と言ってくれなくていい。何も言わないで、欲しかった。
母親になった私が今、願うことはただひとつ。この子の自己肯定感を、育ててやること。

この子が私と同じ苦しみを味わうことのないように、困難に直面した時、それに立ち向かう力が湧くように、私は自分を育てなおし、この子のことも育てていく。自分を信じ、強く生きていけるように。


思春期に完成した、私の辞書

「人の容姿については、言わないものだ」

そう教わってきたハズなのに、自分の子供にそれをやる。
他人の子には決して言わないような酷いことも、1番大切な我が子には無意識のうちに、それも人前で、やっている。

これって、すごく恐ろしいこと。そして、罪なこと。驚くのはそれを「無意識」にやってしまっているってこと。

「うちの子、チビで」
「うちの子、鼻が低いでしょ?」
「うちの子、旦那に似て頭が大きいのよ」
「うちの子、顔じゅうホクロだらけでね」

私も、そうだった。「うちの子、ブスでしょう?」そうハッキリと言われたわけではない。

顔の特徴的な部分のことを、いつもいつも人前で確認され、その度に私はそれを意識し、それが積み重なっていくうちに、私はその特徴を「悪」だと認識するようになった。

「だから私はダメなんだ」
「こんな顔だから、私は何をやっても価値がない」
「私がこの顔で何かをしたって、意味がない」
「こんな私を、好きになってくれる訳がない」

そう、自分のことを決定付けるようになっていった。何気なく発せられる、親の言葉。

本当は我が子が1番可愛いと思っているのは当然で、私の親も、そうであったのに、人前ではわざと自分を低く言う習慣が抜けずに「うちの子は・・・」と繰り返し言っては、純粋で真っ白な子供の心に、新たな価値観を刻み込んでいくのだ。

子供の心にはその言葉が1枚、1枚は薄い紙であっても、長い時間をかけて、分厚く大きな壁となって、ある日突然、目の前に立ちはだかる。そうして完成された私の辞書には「自分はダメな人間」というマイナスな言葉がたくさん、並べられていた。

思春期になってその辞書を手にした私は、マイナスをまず、ゼロにするために、膨大な時間を費やすことになる。

私が言われ続けた、呪い

「私はなぜこんなにも、自己肯定感が低いのか」

だいぶ大人になってから、それに気づいた。私がずっと、呪いのように言われ続けてきたこと。

家族といる時も。
親戚といる時も。
近所のおばさんがいる前でも。
私の友達がいる前でも。
母が昔の友達と再会したその場面でも。

私の顔の、ある特徴的な部分のことを、言うのだ。
「     」

日本人の母親で、人前で我が子を褒めることが出来る人は少ないかもしれない。だいたい多くの母親が謙遜し余計な一言を、言ってしまう。

「ウチの子、笑うと歯茎が見えるでしょ?」
「女の子なのに目が細いのよね〜」
「頭が大きくてバランスが悪いのよ」

など、我が子の容姿のことは平気で、他人に言いふらす。

私も、そうだった。
小学生の頃は、気にしていなかったと思う。しかし中学生になったある時突然、自分の顔が恥ずかしくなり、周りの皆が私の顔を、口には出さなくても心の中で「変だ」と言っているに違いないなどと、思うようになった。そうすると益々それはエスカレートしていき、

「私はこんな顔だから、何をやってもダメ」
「私はこんな顔だから、ダサい」
「私はこんな顔だから、価値がない」

と、自分にも良い所が沢山あるハズなのに、それには気づくことができないという体質になっていった。そうすると次には、物事がうまくいかないのは、この顔のせいだという思考回路が仕上がっていく。

勉強ができないのはこの顔のせいだ。塾に行っても皆が私の顔を笑っている気がして、勉強に集中できない。集中できないのは、この顔のせいだ。だから私は、勉強ができない。塾に行っても、成績なんか上がらない。

部活でレギュラーに選ばれないのは、皆が私の顔のことを見ているから、気になって練習に打ち込むことができない。だから上達もしない、ずっと補欠。こんな顔の私が、選ばれるワケがない。試合で活躍なんかできるワケがない。

好きな人がいる。でも、ダメ、私はこんな顔だから。彼に好きだなんて言ったらあっという間に噂が広がり、笑いものにされて私は傷つく。ブスだもの、彼が私のことを好きになるワケがない。


これを長い間、続けていったらどうなるか。
自己肯定感なんか、育つワケがないのです。


アスリートはそんなこと、気にしてない。

私はバレーボール観戦が好きで、試合に熱中している選手の姿は素敵だなと思う。引き込まれつつも、私はここでもふと考える。

「すごいな」

試合に熱中し、ボールを取りに行ったり、ジャンプしたりしている姿はカッコイイけど「顔がブサイク」になってしまう瞬間がある。そりゃあそうだ。必死に闘ってるのだから。けどそれを気にしている選手は、いない。そこが「すごいな」と思うのだ。

選手がいちいち、
「いつ写真を撮られているか分からない」とか
「飛びながら球を打つ時でも、笑顔で!」とか
「終盤の辛い場面で醜い顔になるのは嫌」とか
自分の顔を気にしながらプレーしてたとしたら、観ている方は興ざめだ。

「なんなんだよ」って。

私も学生の頃は運動部に入っていて、好きだったし、楽しかったし、上手くなりたいと思っていた。でもいつも途中で邪魔が入る。必死に球を追いかけようとした瞬間(あ、私いま必死過ぎてめっちゃブサイクになってる!)と我に返り、球に追いつくことを諦めてしまうのだ。

今考えたら、凍るほど寒い。
あんた今、その試合に勝つ為にプレーしてんじゃないの?選手が自分の顔を気にしながらプレーしてるのなんてシラケて面白くもない。

今でこそ「誰もあんたの顔なんか見てないよ!」と突っ込めるが、私はずっと、ダメだった。顔がブサイクになるのが恐怖だった。試合に集中できなかった。練習でもそうだった。

オリンピックの舞台で必死にプレーしている選手が、ブサイクな顔になってしまった。それを観て、その選手のことが嫌いになるだろうか。「好きだったのに、あんなブサイクな顔で球を拾って・・・」と残念に思うだろうか・・・逆だ。そんな姿に人は心を打たれ「感動」するのだ。

私は全く見当違いなところで、1人で勝手に、消耗し続けていた。


私がウツになった日

突然だった。
ある日、朝起きたら私は不安で不安でたまらなくなり、出勤する夫を前に少しパニックになった。それは家に1人残されてから加速していき、次の瞬間、完全に、ハマった。

強い不安感、動機、めまい、激しい頭痛。立っていることも出来ず、横になる。横になっても、天井がぐるぐる廻る。急に涙が出る、とにかく悲しい。

絶望、辛い、食欲ゼロ、すぐ疲れる、眠れない、イライラしなくなる、人のことも自分のこともどうでもよくなる、子供を叱らなくなった、興味がない、化粧をしなくなる、テレビを見たくない、本も読みたくない、音も聴きたくない、人に会いたくない、人が怖い・・・

私は、ウツになった。
愛想笑いもできなくなり、人と会っても無表情だったと思う。そんな私を心配して友達が誘ってくれるが、申し訳ないがそれも悩みのタネになった。

まさか、自分がウツになるとは。人生の底を味わった。


私は 「身体醜形障害」 だった。

身体醜形障害。
44歳になって偶然、これについて知った時、今まで長いあいだ抱えて続けてきた、何か掴めない、得体のしれない闇の正体を、一瞬にして突き止めた感覚が、私じゅうを駆け巡った。このような障害があることも、知らなかったのだ。

これは、自分の容姿が必要以上に醜いと思い悩む精神障害で、実際にはそんな酷い姿ではない事が多く、他人から見ると「え、どこが?」と理解されない事が多い。

自分としては醜くて仕方がないのに、人からの理解は得られないため(どうせ言ったって分かって貰えない)と誰にも話せず、1人悩み続ける事が多い。

私は、恥ずかしくて人前に出られない程の醜い姿でもないという事は、だいぶ大人になるまで、信じることが出来なかった。人から可愛いと言ってもらっても、どうしても、受け入れる事ができない。

毎朝、鏡を見ながら自分に向かって「可愛いね」と言い続けたらいいと言われたが、私はこれ、2回しか続かなかった。だって、可愛くないのだから。脳がそう言い張っている限り、表っ面だけそんなことしたって意味がない。

美人で、スタイルが良くて、頭もいいのに自分に自信が無い人がいる。その反対に、あまり「可愛い」とは言えないけれど、自信に満ちた人生を送っている人がいる。

高学歴で、背が高くて顔も良くて優しいのに、不安で、仕事に集中できない人がいる。その反対に高校中退で、イケメンと言うわけでもないのに、美人を連れてバリバリ稼いでいる人がいる。この違いはいったい、何なのか。


「なんでこんな顔に産んだの?」じゃない。
「なんで可愛いって言ってくれなかったの?」だ。
 それすら欲してない、
「せめて何も言わないで欲しかった」

親からの言葉は、
幼い子供に、
じっくりコトコト、
長い時間、
温度を保ちながら、
膨張して、
根を張り巡らせ、
絡みついて、

ホドケなくする。


しかし母親が悪いわけでは、ない。

私は母に自分の顔の特徴的な部分のことを言われ続け、人前で言われ続け、傷ついてきた。そして自分の価値を認められなくなり、自信の持てない人間になった。

子供にとっては母親の言うことが全てで、信じ込む。それでも私は、母を恨んだりはしていない。それは何故か。

母も私と同じだからだ。母は子供の頃から兄弟と比べられ、傷ついてきた。他の兄弟よりも気が弱く、いつも我慢をしてきた。言いたいことを言えずに、心の中に不満を溜めてきた。私よりも上を行く、劣等感の塊のような人なのだ。

劣等感を抱えた人間が、我が子を自己肯定感の高い子に育てることは正直、難しい。その根底には不満があるから、人の欠点を取り上げる。テレビを見ていても、芸能人にでさえ粗さがしをしてケチをつける。

母自身が、幼い頃から不満を心に溜め込んで生きてきたから、私に対する愛情は深いのに、子育ての面では自分の劣等感を吐き出す形になってしまった。私を傷つけることなんてもちろん、願ってはいないのに。

母は、子供への愛情がとても深い人。

母と私との違い。それはこの苦しみから開放されたいと、私の方が少しだけ疑問を持ち、行動に移したことだ。そして人は変われるんだと知ったこと。

母の実母、私の祖母が幼少期にどのように育ったかまでは、分からない。しかし同じようなことが、少しずつ形を変えながらも、繰り返されてきたのだろうと思う。

私はこの負の連鎖を、私の代で断ち切りたい。

子供を持たなかったら、こんな気持ちにはなれなかったと思う。だから私が変わるきっかけを与えてくれた我が子に感謝し、それと同時に、深い愛情を与えてくれた母にも感謝する。

まだまだ私自身が胸を張って子供への声がけがうまくできているとは言えない点では、意識し、努力をして生きていきたいと思った。

そうしていくと、自分の未来を決めた。


突然の・・・カミングアウト

両親が家に来ていた時、何かの話からか私が怒りだし、その勢いで「じゃあ話す!」と私が言い放った。

まさか醜形障害であること、ずっと顔の事で悩み続けていたことを親に、しかも母に、話す日が来るとは思いもしなかった。この事は、死ぬまで誰にも言わないつもりだった。言えるわけが、ない!!

その前に実は結婚13年目にして初めて、夫に話していた。

私はコンプレックスがあること自体気づかれないよう先回りして積極的に行動し、目立って生きてきた。そんな私のことを、自信満々で悩みなんかないのだろうと思う人もいた。

だからそんな私が、実は自分を大嫌いで、自信が持てないということを全部打ち明けると、夫は少し驚き、残念に感じたようだった。でもそのまま受け止めてくれ、理解をしてくれた。

私はココまでだと思っていた。夫には言えた。でも弱い母には、こんなこと言えない。受け止める器が無いのは目に見えている。ただ傷つけて弱らせるだけ。

夫へ打ち明けたことで、1番上の重くて頑丈なフタが取れていたのか。親には真正面から向かって話すことはできず、ソファーに母、父、私の順に横に並んで座り、私は思い切って、話しはじめた。



ぐしゃぐしゃに泣いた。

お母さんは私が小さい時からずっと、家族の前でも、親戚の集まりの場でも、私の友達の前でも、近所のおばさんの前でも、お母さんの昔の友達の前でも、私の顔のことを言った。

「ブス」という言葉は使わなかったけど、そういう意味に取れるようなことを、特徴的な部分、顔の欠点である部分のことを、いつも、いつも他人に、わざわざ、いちいち、話した!!!

それが始まると私は(またか・・・)と思いながらも、終わるのをじっと、じっと、じっと待って耐えていた!!!

恥ずかしいと感じている自分の気持ちを隠し、自分の心に力づくで蓋をし、ウソをつき、皆の前では笑っていた!

その傷ついた気持ちが、腹の中に小さな石を1個ずつ積み上げていくように蓄積されていき、大きな怒りに変わっていった!私の悲しみは、煮えたぎるマグマとなって、もう限界になったんだ!!!

私はずっと、自分が大嫌いだった。この顔が嫌だった。憎らしかった。

いつもいつも顔のことが気になって、顔のことばかり考えている。私はこんな顔だから、何をやってもダメだ。私はこんな顔だから、何をやっても価値がない。私はこんな顔だから、うまくなんていく筈がない!

私はずっと、自分を認められず、好きになれずに生きてきた。

私は今、子供を持ったから分かる。我が子が自分のこと大嫌いと思いながら生きていると知って、どう?

私はこのことを隠すために、悟られないように、むしろ積極的になって色々挑戦してきた。優勝も沢山したし、才能があると多くの人から褒められる。

けど私は一度も、それを自分に認めたことがない!友達から「おめでとう、凄いね!」と言われても、心の底から有難うなんて思えたことは一度もない!

こんな顔だから、私は別の部分で光を得ようと試みた、それで結果も得た、それなのに、私は自分を褒めてやれない!全然、気持ちが楽にならない!

こんなの大した事ないまだまだだ、いくらやっても満足感が得られない!安心できない!何をやったって、結局ずっと苦しいままだった!!

ずっと長いあいだ積み上げてきたものが、雪崩のように一気に崩れ落ちてきた。私はまるで子供のように、泣きじゃくっていた。


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