三分小説 006「インスタントラブ」
「へー、趣味はお菓子作りなんですね」
「え、僕ですか、なんだろうな」
「気の知れた仲間とチェアリングかな」
「ああ、いいですよ、今度行きましょう」
「来週ですか、ああごめんなさい」
「その日は仕事が入っていて、」
「他の人じゃないですよ、本当に仕事なんですよ」
「翌週の土曜日はどうですか?」
「よかった、じゃあ渋谷駅に迎えに行きますよ」
「はい、また連絡しますね」
「ふー」
俺は冷めきったコーヒーを口にした。
今ので3人目か。
「しかし、今の子は相当かわいかった。当たりだな」
マッチングアプリの女性との会話はレシピがある。
順序を間違えずに、会話を重ねていけば、
ほぼ100%完成する。
恋愛なんて、3分あればいい。
さっそく約束をスケジュール帳に書いた。
平日も休日も予定で真っ黒だ。
この後の待ち合わせ場所に向かう準備をしなければ。
顔をあげると、目の前の席で本に目を落とす女性がいた。
ショートカットで、色白。
年は同じぐらい30代半ばだと思う。
ただ、月夜の明かりのような、透き通るような肌をしている。
頁をめくる、その指の美しさに目を奪われた。
「ふー」
一瞬、息を吐き、彼女を落とすためのレシピを考えた。
本を好きな女はだいたい、村上春樹が好きだ。
そこから三浦しをんの話に移行し、
最後に石田衣良で仕上げれば、できあがり。
今回も3分。
「本、お好きなんですか?」
「……」
あれ、気づいていないのか?
「当然、声をかけてすいません
本が好きで、何を読んでるのか
気になってしまって」
無言の時間が少し流れ、
顔のイメージよりも
やや低い声で返事があった。
「ええ、好きですよ」
「村上春樹とかですか?」
「ドストエフスキーです」
「え?ドスト…」
「エフスキー」
「ああ、ドストエフスキーですねー」
レシピと違う結果に、動揺してしまった。
立て直さねば。
そう思った瞬間、彼女は席を立ちあがった。
「今度、本の話でもしましょう」
笑顔で俺の前から立ち去った。
その後、他の子との約束で六本木に向かったが、記憶がない。
その日から、例のカフェに行く時間が増えた。
彼女は姿を表さなかった。
数日過ぎた土曜日。
彼女がいた。
美しい。
ティロティロティロ
スマホが騒ぎ出した。
その音で、マッチングアプリの子と約束した日だと思い出した。
「もしもし、何時間待たせるつもり?」
「ごめんなさい、ちょっと間に合いそうに」
「はあ、なんとなくタイプだから話したのに」
「あんたよりかっこいい人との約束を断ったんだからね」
「今すぐきてよ!」
「無理です」
「とりあえず会えばいいじゃない?」
「自分の条件になんとなく近い人に会うのはやめたんです」
「突然なに?」
「何を考えているのかわからない人の心を動かしたいんです」
そう言って通話を切るボタンに指を置いた。
なにやら大きな声で叫んでいるけど、
耳には入ってこない。
深呼吸をして、彼女の隣の席に座った。
レシピはない。
「この間はどうも…」
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