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生きるとは、死ぬまでこころを成熟させる行為なのかも - ユング心理学に学ぶ
(このノートは、大変長いです)
「こころ」とは?
それは感情や想いなどとして実感させるけれど、実体はつかめないもの。
所詮は脳が感じさせるだけの現象で存在しないモノなのか…。
でも鼓動や胃腸など身体と実につながりを感じさもする…。
いまだ科学的には厳密な定義がされているワケでもなく、いくら頭で理解しても、支配しきれるものでもない。
それゆえに、我々は"それ"を思う通りにできず苦しむ。でも"それ"は人生を色濃く彩りもする。
そんな「こころ」のあり方は、「無意識(潜在意識)」に影響されることを、実際に様々なこころや精神の不調を抱える人達に向き合った中で自然科学的アプローチで捉えようとしたのがスイスの心理学者ユング(1875-1961)です。
「無意識」というワードは、何やら非科学的な響きをもたらすかもしれませんが、科学的にもその存在は様々に指摘されております。
我々が生きるにおいて必須な呼吸や心拍などの活動も「無意識」に行われていながら、時に「こころ」の状況に敏感に反応する(怒りを感じると心拍数が上がり呼吸が荒くなるなど)ことからも、日常的にも実感のあるものではないでしょうか。
このノートでは、日本にはじめて本格的にユング心理学を導入した河合隼雄先生(1928-2007)の著書*をベースに、「こころ」というものに様々な角度から向き合い、これをお読みの方々の日々に、少しでも「こころおだやかな」時間が流れればと切に願いつつ、まとめたものです。
ユングも、河合隼雄先生も、こころや精神の課題を抱える様々な人と向き合い、苦しむ方を「治す」立場としてではなく、苦しむ方が抱える課題に当人と共に向き合い、当人が自ら苦しみを乗り越えていくことを見守っていく立場を貫いています。
こころの課題に悩む方に向き合い多くを救ってきた河合隼雄先生は「人のこころなど分かるはずがない」と語っております。
それは、2500年前にインドにて、こころに向き合い、苦しまなく生きる智慧を遺したブッダのに通じる姿勢なのでは、と勝手ながら感じています。
ブッダも「自分のことすらままならぬものなのに、なぜ人の(こころなど)をどうこうできると思うのか」というスタンスながら、人々のこころの苦しみに向き合い生き抜いた人とされています。
実際、河合隼雄氏はユング心理学と仏教の接点についても様々な共通点や関連を指摘しています。
結局は、人は古代より「こころ」というものに苦しみ、ゆえにこころ幸せにある生き方を求めて、宗教や哲学、科学を発展させて今に至るのでしょう。
と、前置きは長くなりましたが、下記、河合隼雄先生の著書の引用をメインに、僕が過去に学んだ脳科学の知見も取り入れた形で箇条書き的なメモとして書き連ねております。
氏の著書は膨大で、自分もまだその一部しか読み取れておりませんし、とてもこのノートで体系化できるものではありません。そして自分の理解も極めて表層なものですので、あくまで、個人の箇条書きメモとしてご笑覧くださいませ。
「自我」と、無意識にわたる「自己」というもの
人間は覚醒している間、常に「意識」があるが、その「意識」は、自身が自覚できてない体内の生理的状況や体外の環境、はたまた記憶の奥底に眠るイメージなど様々な「無意識(無自覚)」な心的内容に影響を受けている。
脳内では、パラレルに様々な処理や判断、解釈が行われ、それら大量の情報をそのままでは人は理解することができず、それら情報を「理解できる合理的な物語」として(無自覚な脳のプロセスで)統合されたものが「意識」として"感じ取って"いる。
我々が感じる「わたし」という意識(自我)も、同じように無自覚な脳のプロセスからの様々な情報をもとに生成されている。
ユングは、意識/自覚できる「わたし」の中心を「自我」と呼び、一方で、自身では自覚できない無意識も含めた「こころ全体」の中心として「自己」というものがあると仮定しています。
この「自己」は「自我」と一致するものでなく、自我全体を含み、「こころ全体」の中心としています。
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人が統合された「自分」という自我(意識)を保つにおいて、無意識ながら存在する「こころ全体」は様々な影響を及ぼしています。
人は本人は自覚がなくとも、「生きられなかった半面」として、こころの「影」を持って育つもの。
例えば、"大人しく真面目な"人間性の「自我」を育てていった人においても、こころのどこかで"積極的で行動的な"人間性への憧れつつも、フタをするように生きていくようなこともある。
そうした「生きられなかった半面」をユングは"影"と呼んで、時に人格の形成において無意識から意識(自我)に影響を及ぼしていくことがある。
後に詳述しますが、日常でも耳にする「コンプレックス」といった言葉も、無意識に潜むこころのあり方が、意識に影響を及ぼすものの一つとしてユングにより指摘されています。
これら無意識のこころ全体が、自我の形成において影響をあたえる自己の心のあり方が影響を及ぼしている。
ゆえに、こころの課題に向き合うためには、自覚(意識)できている自分(自我)のこころのあり方だけではなく、無意識のこころ全体(自己)を断片ながらも捉えようとし、それと向き合っていくことが大切である。
これが、ユング心理学の特徴です。
こころの奥底には、誰しも共通した「普遍的無意識」がある
自覚できないこころ全体、こころの奥底においては、コンプレックスのように「個人の過去の体験をもとに生まれた無意識なこころのあり方」もあれば、「人類に普遍的に潜むこころのあり方」としての「普遍的無意識」というものがある。
無意識なこころの在り様なので、それ自体を捉えることは困難であるが、われわれは自己のある側面をシンボル(象徴)という形で把握できることがある。
たとえば、誰のこころにも、潜在的には悪の概念に近いものがあり、一方で、慈悲に近いものもその一つと考えられる。
ここでは詳細を避けるが、男性性と女性性(父性性と母性性)といったものも、肉体的な性別とは別に潜在的に誰もが両面をもつもので、自我の形成においては同性愛として育ったり、男性ながら母性性を示した人格をもつようなケースも生まれる(そして、それによる他者との関係による課題も時に生じてくる)。
スイス生まれながら東洋の思想に造形を深めていったユングの目からは、そして、その思想を日本に持ち込んだ東洋人である河合隼雄先生の目からも、西洋人と東洋人の自我/自己のあり方の違いが指摘されているのは興味深い。
両氏によると、西洋人は個人としての自我に重きを置く一方で、東洋人は、他人とのつながりなど、他者と共有した概念をもつともいえる「普遍的無意識」をふくめた自己により近い自我のあり方に特徴があるようだ。
西洋人から見ると、一見自分の意見がはっきりせずに理解が難しい東洋人の姿や、一方で、個人の主義主張を振りかざすよりも周囲との和を尊ぶほうが"しっくりくる"東洋の価値観があったり。
近代西洋の価値観が色濃く反映を続けている現代においては、その差は薄まってきているかもしれないものの、こうした自我/自己の西洋と東洋の差を頭に入れておくと、様々な西洋/東洋における価値観の差についても多角的な視点で理解できるようになるのではと思う。
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人生における自我形成と自己実現の重要性
ユングはこのように自我と自己を定義したうえで、子どもから大人へと肉体が育っていく過程において、まずは意識される「自分」という自我が形作られることが重要であると説いています。
そして、自我が確立されていく仮定において、生きられなかった半面としての「影」やコンプレックスなど様々な無意識内の心的内容が、ときに何らかの意味で確立された自我に対しバランスをとるなど補償することもあれば、ときに自我に対立するものとして表れてくることもある。
それら、無意識も含めた心全体の中心となる自己のはたらきによって、自我に送りとどけられてくる心的内容に対決し、それを意識化しようと試みることを自己実現の過程と捉え、それが人生の後半の仕事として重要であると説いています。
つまり、子どもから大人になる仮定で「自我」を育てていくことは理解しやすいものの、一方で、大人になって老いていく過程においても、引き続き、自分の「こころ」での葛藤は「自己実現」の過程として避けがたいものであるようです。
特に、それまで経済的もしくは社会的な階段を登ることを生きがいに生きてきた人が、人生のステージが変化していくなかで、突如やる気を失ったり、ストレスでうつ病を発症したりといった「中年の危機」(後に詳述)の事例は1970年代から指摘されており、これらには自我に対立する自己との対峙によって乗り越えうるものとしている。
そして、誰もが歳とともに、親や自身の老いや死を身近に感じていく中で、生きることだけではなく、死ぬことも含めた人生の全体的な意味を見い出せばならなくなり、その価値観の変容に対峙し苦しむこともあるものです。
この「老い」の過程でのこころの葛藤についても後に触れていきます。
このように「自己実現」というのは、頭で考えるのみならば、あれこれ解説をできるが、いざ本当に"生きて味わってみる"となると、とほうもない苦しみと努力とをともなうこともあり、難しいものとされている。
しかし、ユングは「私の持ったケースの約三分の一は、臨床的に定義できるいかなる神経症にかかっているのでもなく、自分の人生の無意味さ、無目的に苦しめられているのである。これが、現代における一般的な神経症であると言われても、私は反対すべきではないだろう。私の患者の三分の二はすべて、人生の後半にいる人たちである」
と述べており、だからこそ、自覚できぬこころをあらわす自己と向き合い、それを乗り越えていく作業の重要性を人生の後半における重要なプロセスだと説いています。
自覚できないこころの在り様というのはなかなか掴みどころのない話しではありますが、この先では、少し日常的にも語られる概念を通して、潜在する意識がこころにもたらす効果についても触れていきます。
コンプレックス
こころのあり方には自覚できない無意識のこころ全体としての「自己」の影響がある、と言われても、「自覚できない」以上、なかなかピンと来にくいもの。
そこで、まずは日常的にもよく使われる「コンプレックス」というものについて詳しくみていく。
日本語では「コンプレックス」は、単なる「劣等感」という意味だが、ユングの言う「コンプレックス」はもっと深い意味のものである。
無意識内に存在して、何らかの感情によって一つのまとまりをかたりづくり、これに関連する外的な刺激が与えられると、その心的内容の一群が意識の制御をこえて活動することがある。
この何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まりをユングは「コンプレックス」と名付けた。
これはある簡単な実験でも確認できる。
頭、緑、水…など、一連の単純な言葉に対し「それに連想される単語」を何でもよいから答える。その反応速度をチェックする、という「言語連想」の実験がある。
その実験において、人により、他の言葉に比べて、連想される単語が出るまで、少し遅れる単語に出くわすケースがある。これはある程度再現性もあり、知的な問題というよりも、潜在意識上の問題であるとユングは考えている。
たとえば、白という単語に即座に言葉を返せず、時間をかけて「黒」と答え人がいて、この人は実は最近親しい人の死の体験が心の底に強い感情を伴って存在しており、そのため連想過程は、白→白布→死人の顔→喪服→黒と辿ったことで時間がかかったなど。
自我の働きでは、白→雪とか白→黒といった連想は簡単なはずだが、その底にあるコンプレックスが働きかけて、自我の働きを乱す。
このようにコンプレックスは、それ自身ある程度の"自律性"をもち、"自我の統制に服さない"ので、実際生活のうえでいろいろな障害をわれわれに与える。
日常での「言いまちがい」などでも、こうした心の底にともなう感情による影響があるとユングは具体的な様々なケースに出会う中で考えていった。
親の教育のあり方が自身のコンプレックスとして自我の統合に影響を及ぼすケースはその典型でもある。
人間は、その親の欠点から自由になることは困難であり、その欠点をしらずのうちに取り入れてしまうことが多い。
そして、もしそれに気づいた場合、今度は反発するか、逃れようと務めるあまり、反対の曲に走る危険性が非常に高い。
たとえば「わたしの両親は厳格すぎた」ことに苦しみを感じながら育った人が、自由に育てられれるあり方を生きられなかった半面の「影」として自己に抱えて育ち、子どもに厳格であることを無意識のうちに避ける自分の姿がうまれ、今度は放任しすぎる親となって失敗したりする例が多いのである。
このように、ひとつのコンプレックスは、それと相対応するコンプレックスをどこかにもっているとさえ考えられる。
たとえば強い劣等感コンプレックスをもつひとは、どこかに強い優越感コンプレックスをもっているのがつねである。劣等感コンプレックスのために、いつも自分を卑下していたり、引っ込みがちの人も、実はその背後に大きい優越感コンプレックスがあり、実のところ、その両者の大きい落差によって余計に劣等感を感じさせられているというべきである。
自分のようなものは存在してもしかたがないと自殺をはかる人が、自分がせめて日本人として世間に役立てることは一人でも人口を減らすことだという、ナンセンスな話しを真面目に語ることもあり、これは自殺するほどの劣等感が、日本を救うためなどという優等感とが共存しているケースである。
様々な実際のケースから、これらコンプレックスの解消を目指すには、それとの対決が重要であるとユングは説く。
このことに従えば、自身の人格の形成において、自身のコンプレックスを避けることはあまり建設的でないことは明らかである。
しかも、コンプレックスは自我によって十分に経験することを拒否された感情によって色どられ、強化される点を考えると、いわゆる「劣等感をもたせないために」なされる教育的配慮は、むしろ劣等感コンプレックスを強化するのに役立っている場合さえあることを知るべきである。
劣等感コンプレックスの解消は、劣等の真の認識によってなされることが多いのは、人間にとって真に辛い真実である。
だからといってこどものコンプレックスの痛みにさるのは不発弾をさわるようなものでの慎重さも重要である。
このように、こころは、科学をベースとした西洋医学のように、この状態に対しては、この処方で解決するといった、わかりやすさがあるわけではない、難しさがある。
だが、それゆえに、あまり方程式的にあてはめようとせず、個々の事例に丁寧に向き合っていくことが大切であり、これは、現代における画一的な教育をもたらす教育現場にて、こころの不調を訴える子どもが増えている状況にも一石を投じる事実ではないかと考えております。
子どもの精神不調について
日本に限らず、科学技術も発達し、個人の自由や主張が重視させる西洋(ならびに一部アジアの)先進国においては、発達障害など子どものこころにまつわる課題が増加している。
これには様々な要因の指摘があるが、西洋的な自我のありかたにおける影響や、科学技術の発達、核家族化、個室の広がりなど、様々な要素がこころにあたえた影響とは切っても切れないように思われる。
明治維新以後の日本は西洋の価値観を影響を大きく受けている。
西洋近代に確立された自我は、壮年男子の英雄像で表されるとユングは説く。
この社会においては、老人、子ども、女性は、無理をしてでも、そのような自我=意識の確立や維持に励み、男の意識を確立してそこにおいて活躍するか、それぞれの意識をもって傍役に甘んじることになる。”可能性”としては、「男の意識」を確立することは誰でも可能であるが、やはり、若々しい男性が有利であることは否めず、女性にとっては、それは自身のこころに負担がかかるあり方とも言える。
今世紀(20世紀)の後半において、自然科学の爆発的な進歩によって、人間は異文化との急激で密接な接触により、自分たちの選択している自我の意識が唯一のものではなく、他にも多くの可能性があることを知った。このため、現在の状況は、よりほかの自我の「可能性」を求めて、様々な混乱をきたすことになった。
たとえば、近代西洋の自我の強力さにまだ固執する人は、誰でも老若男女を問わず、壮年男子の意識を持ちうると考え、それに向かって、女性解放などの運動への努力が生まれた。女性も男性と同等に生きられること、生きるべきことをそれは主張する。
もしくは、東洋の若者たちが、西洋的自我の確立を願って努力しているのも、この動きに入れられるだろう。このことに”無意識に”うごかされている日本の若者たちが、内的にやり抜くべき仕事を単純に行動化し、自我の確立に混乱を示し様々な精神障害に繋がり、子どもによる家庭内暴力などの一因となっている可能性が指摘されている。
特に、子どものときから広い可能性に向かって開かれている環境が、その環境がゆえに、社会の中で固定した役割を取りにくいということが指摘されうる。
つまり、人間の意識体型が一定のときは、子どもは早くそれを作り上げて成人になり、その上で社会から要求される役割を身につけようとする。
たとえば近代西洋の自我のあり方であれば、子どもも早く一人前に父親のしごとを手伝って「一人前の男」として成長をとげようとそだっていくように。
しかし、現在では男性の役割、女性の役割、などの境界は曖昧になり、一体、どのような意識を確立することによって「大人になる」のかが曖昧なのである。
たとえば女性だからといって、一昔まえのように結婚して家庭に入り子どもを生んで育ててといった画一的な役割にこだわらず、男性と並んで社会で活躍していく役割こそむしろ良しとされたり、男性だからといって、社会で活躍する役割ばかりではなく、家庭で家事や育児をこなす役割をこなすことこそが良しとされるなど。
どういった「一人前」への成長のあり方があるかの「可能性」が開かれているのが、現代の特徴とも言える。
こうした環境においては、子どもは、そうした開かれた可能性をあれもこれもと追っているうちに、一定の道筋を進むことが難しくなり、いつまでも未成熟なままでいるようになる。
これは様々なことに無気力な子どもが増えていることにつながりうる。
可能性の拡大や追求は、どうしても西洋的自我と結びついて、進歩発展や拡張の方にばかりすすむようであるが、真に可能性を望むのならば、老の意識、女の意識、少年の意識などをこそ、もっと追求すべきであろう。
つまり、老いるという、西洋的な自我感においては、直視を避けたくなる事実に対して、まっすぐ向き合うからこそ得られるこころのあり方や、とかく可能性や効率という視点での「早い成長」を重視するがゆえに、おろそかにされがちな少年だからこそのこころのあり方などといったものの、真の価値に意識を割かねば、現代のこどもたちにひろがる様々なこころの課題に対して解決に繋がりにくく、むしろ近代西洋的な「薬の処方」や「特別指導学級での指導」といった画一的な対処で"効率的に"向き合う姿勢は、逆効果となる可能性すらある。
実際、河合隼雄先生の診てきたこどものケースでも、おじいちゃんおばあちゃんと同居していた両親と子どもが、おじいちゃんおばあちゃんとの同居をやめて、両親と子どもだけの生活になってから子どもの頻尿に悩まされた事例が紹介されている。
その母親は、祖父母が孫(母親の子ども)を甘やかすことが教育上良くないと思い、きっちりと勉強や習い事に向き合えるよう、あえて祖父母と離れた暮らしをすることを選んだのだが、子どもや母親とのカウンセリングをすすめるうちに、こどもにとっては、実は、隠れてこっそりおやつをもらう体験や、子供らしく甘えられる対象としての祖父母の存在は、その子のこころのあり方に大きなバランスをもたらすものであったということがわかってきた。
その後、祖父母と同居に戻さないまでも、祖父母との交流を一定に保ちながら暮らすことで、頻尿の症状が改善していった。
このように、たとえば、一見意味がないどころか、効率や拡大目線では「弊害」ともうつる、老人の存在が、子どもというデリケートなこころの成長過程において大きな役割をもたらしている事例は実にたくさんあるそうだ。
現代の子は、本来生きるにおいて当たり前に存在する「死」や「老い」という存在と触れる機会が減り、その生活のありかたを目にする機会すら減ってきたことで、その子のこころの成長においてバランスが取りにくくなってきている可能性があり、これは(後に述べる)中年から老いていくという過程において、生きる意味に対してや、老いるという事実に対する強烈な葛藤として、後の人生において苦しみをもたらすことにもつながるかもしれない。
近代西洋の価値観が入る前の日本に戻ることがよいというわけではないが、
老人が若返り、女性が男性化することのみが「可能性」の追求ではない。
西洋的な自我との対決と相互作用をはかることこそ、現代の日本人に課せられた責務のように思われる。そう河合隼雄先生は強調する。
中年の危機
人間が自我を確立するということは、その自我にとって受け容れ難いことを排除するということである。中年になって、ある個人が社会的地位や名声などを築きあげたとき、それは自分の自我をある程度一面的なものとして限定した結果として生じてきているものである。ユングは中年のはじまりは35歳から40歳くらいの間にくると考えているが、そのときに自分が今まで無視してきた反面に気づき、それを取り入れようとすることから、中年の危機がはじまる。今まで排除してきたものは、それだけの理由があるから排除してきたのであり、それを取り入れるとなっても、ユングの言うように、そんなことを社会も自然も評価するはずがないので、その人はたちまちにして困難に陥るし、時には破滅を迎えるかも知れない。従って、ユングは「問題の意味や目的は、その解決にあるのではなく、われわれが断えずそれについて取り組んでゆくことだ」とさえ述べている。
人生の後半の問題に直面して生きることは、このように困難なことであるが、それによってこそ社会的な一般的評価とかかわりのない真の個性を見出してゆけるのである。
この人生における変化の問題が現在において多くの人に関心を持たれるのは、平均寿命が急激に伸びたことも見逃せぬ要因になっていると考えられる。
より強くより高くと思って努力を続け、ある程度目標を達成して、疲れ果てて死んでゆくというパターンは少なくなり、多くの人が老いてゆくことについて考えざるを得ないのである。しかも、より強く高くという価値観が中心のカルチャーにおいては、老いは低く評価されがちとなるので、いかに老年を生きるかが大きい問題となってくる。自然科学の力によって、いくら年老いても若者に負けぬ強さを維持しようとしても、それはしょせん無理な話しであるし、人間の心の動きは、ユングが指摘したように、中年のときから下降に向かって準備し始めるのである。
強いことはよいことだ式の考えではなく、強いことも弱いことも、善も悪もそこに含みこんだ全体的な世界観を人生の軌跡全体にわたってもとうとする、「ライフサイクル」に対する価値観の変化が生じうる。
このような思想がアメリカで広がったの背景には、当時ベトナム戦争における失敗後のアメリカにとっては、今までの「より強く高く」が主たる価値観だった時代と違って受け入れやすかったであろう。アメリカがセカイのなかで最も正しく、最も強いものであるという考えを彼らは捨てねばならなかったからである。
欧米中心主義が崩壊してゆくことと、ライフサイクルの考えが一般に受け容れられてゆくことは、あんがい、深いところで結びついていると思われる。
人生の後半の意味を強調するユングが、西洋的な「自我」とは違った自我の概念をもつ東洋の思想から強い影響を受けていた。
※インドの四住期 : 学生期(学び、心身を鍛錬する)、家住期(家族を養う)、林住期(世俗を離れ、自分らしく自由に生きる)、遊行期(一定の住所を持たず乞食遊行する)、日本の”隠居”、孔子の「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
ライフサイクルにおけるこのような価値観の変化は、未来を、現在を過去から繋がる原因-結果の連鎖の上で直線的に見てゆこうとする態度に変更をもたらすものである。それは従来から”科学的”な方法として単純に考えられていた、直線的な時間体験のなかで、過去の事象が原因として現在の事象の結果が生じている、というような理解の仕方をくつがえすものなのである。
それまで順調な人生を歩んできた人が、中年になって強い危機にみまわれることは、中年の危機として昔から識られている事実であった。
多くの場合、その個人の何らかの目標が一応達成された時に、このような危機が訪れることが多いようである。昇進したとき、家を建てたとき、子どもが入試に成功したとき、などの好ましい状態のところへ危機が訪れるのである。
多くの場合、本人は自分の心の内的な問題を意識していないが、ともかく抑うつ状態に悩まされるのである。
こうした、成人になってからの心理的な変化が一般的に注目をあつめるようになった背景には、すでに触れたような平均寿命が長くなったためと、物質的な満足感を一応味わうことが以前より容易になったことをあげることができる。昔に比べると多くの人がそれなりに満足のゆく生活ができるようになり、しかもそれ以後大分長く生きるとなると、一体何を目標に生きればよいのかということになる。
少し内省する人ならば、自分のなかに悪の存在があることを自覚するであろう。自我の確立は、ある意味では悪との闘いでもあるとも言える。自我の統合性や主体性をおびやかすものは、すべて自我にとって悪である。それとの闘いに勝って自我は確立されるが、その後に、われわれが今まで悪としていたことを、人生後半での心全体をともなう自己実現の過程では、取り入れる努力を払わねばならない。
人間の無意識内には、太母や老賢者などといった、個人の経験にはなくとも存在し意識に影響をあたえる、象徴的なイメージがある。それは時に天使や英雄などの姿として夢などで表現される。これらは「元型」と呼ばれ、個人の経験を超えた先天的なものとして、不燃的無意識、もしくは集合的無意識と呼ぶ。
人間の無意識内には、老若男女の元型が存在しており、無意識ないにおいては共存可能な元型も意識内においては共存はほとんど不可能である。人間の意識はそれをまとまりのある存在として自我=意識をつくりあげてゆくためには、そのルーツとしての元型は一つのものを選ぶのが、統合された自我として無理のない状態となる。
ある時代、ある文化の特徴は、その集団が自我意識のルーツとして、どのような元型を選んだかといった観点からみることができる。その集団においては、ある程度の無理をしてその集団のコンセンサスに絵適応した自我=意識をもったり、傍役に甘んずることによってゆくことになる。人間の心の全体性という点からみれば、一面的な自我は常にそれに対立するものによって、何らかの形で補償される必要があり、その点では、常に傍役を何らかの意味で必要としているものである。
老いについて
とかく現代においては、「自己実現」というのは、自身が望む「名誉、権力、名声、愛」などを”実生活”において手にしていくこととして認識されるかもしれません。
でも一方で、人は老いていくにつれ、そうしたものを手にするだけでは、心の満たされを感じきれず孤独に苦しむ晩年も珍しいわけではない。
そして、高齢化が激しく進む日本のような国では、それまでの国の成長を築いて生きたにも関わらず、急に手のひら返しで社会のお荷物のような目でみられることもあり、老人ホームに閉じこもったり、家で孤独死したり、決して明るい人生の閉じ方とはいえないケースも目にする。
人間としての尊厳を保つだけでなく、むしろ逆に輝かしい老いとさえ言えるような老いを生きるにはどうしたらよいのか。
ユングは1920年代にアメリカに旅行し、その時インディアンの老人たちが極めて威厳に満ち、悠然として暮らしていることに気づいた。その輝かしい老いの秘密は、彼らの宗教、あるいはその神話の中にあった。つまり、彼らの確信しているところによると、インディアン、特にその長老たちは太陽の運行を支えているのである。
インディアンの一人はこう語ったそうだ「われわれは世界の屋根に住んでいて、父なる太陽の息子たちだ。そしてわれわれは毎日、われらの父が天空を横切る手伝いをしている。それはわれわれのためばかりではなく、全世界のためなんだ。」
ユングはこれを聞いて、彼らの「気品」のようなものの由来が分かったと感じるのである。
われわれ自身の自己弁明、つまり我々の理性が形成する生活の意味が、彼らの生き方に威厳をもたらしているのであろう。
ユングは彼らの話しを聞き、周囲の光景を見ていると、彼らが世界の屋根に住み、神の近くに居て、太陽が天空を横切るのを助けているということを信じられそうな気がしたという。つまり、彼らを取り巻く自然のあり方も彼らの考えを支えているのである。このようにして、自然も人も一体として、強い確信をもちそれに生きるとき、老いの意味は強化され、威厳をもって老いることが可能になるのである。
現在では一般に「神話」という語は否定的に用いられることが多い。「事実とは異なる馬鹿げた思い込み」というほどの意味で、それはよく用いられる。しかし、神話というのはそのようなものではなく、人生においてもっと深い意味を持っていることについて、ここでは論じてみたい。神話の価値を人間が認めなくなったことと、老人の評価が下落したことは、あんがい軌を一にしているのかも知れない。
人間が生きていゆくためには様々な知を必要としているが、科学の知は現代において極めて有力なものである。この世界を自分から切り離して対象化し、その対象を観察することによって見出した法則を集積して、科学の知が構成される。西洋近代に急激に発展した科学の知は、その有効性を全世界に示すことになったので、人々はそれに驚き、受け入れるとともに、「科学の知」を自分たちの世界観にそのまま持ち込んでしまうようになった。確かに、科学の知の強力さは疑いのないことであるのだが、それをそのまま自分の世界観としてしまうところに問題があるのではなかろうか。科学の知は既に述べたように、自分と世界とを切り離すことによって成立する。そのように個人と関係のない普遍的な知を提供するところに科学の知の絶対的な強さがある。
たとえば一人の老人が私の目の前にいて、体力や知力を検査したら、それらが衰えてしまっていることがわかる。科学の知によって測定した結果は、普遍的な知をもたらす。しかし、その老人が私の父だった場合、私という個人が私の父という個人にどうかかわるべきかについて、科学の知は何も教えてくれない。科学は本来価値判断と無縁のものである。科学的に老人の能力の低さが測定されたとき、”だから”老人は無価値だと考える人は、どのような世界観によって立っているのか。おそらく科学の力があまりに強いので、科学的に測定しうる強いものが価値があり、弱いものは価値がないと思うようになったのであろうか。
科学の知は、自分以外のものを対象化してみることによって成立しているので、それによって他を見る時、自と他とのつながりは失われがちとなる。自分を世界の中に位置づけ、世界と自分とのかかわりのなかで、ものを見るためには、われわれは神話の知を必要とする。
父親が老化して、その言葉がわかりにくくなったとき、知能検査の言語能力のスケールに照らし合わせて測定する科学の知に対して、父親もそろそろ神の国の世界に行くことになって、われわれの理解しがたい神の言葉で話すようになったという神話の知に頼る方が、はるかに自分と父親とのかかわりを濃くしてくれるのではないだろうか。事実、アイヌではまだまだ老人が尊重されているのだが、そこでは老人のわけの解らぬもの言いを「神用語」という。「あの世への旅立ちの準備で、神に近くなってきたからそうなると考えるのである」
われわれにとって課せられている仕事は、それぞれが自分にふさわしい神話をいいだしてゆくということになるであろう。
※この「神話」は信念や人生哲学と置き換えてもよいかもしれない。
個々の人間にとってふさわしい神話は、自身で見出してゆかねばならないが、それらにはある程度の共通性がある。
ある時代、ある文化にとって、ある神話的イメージが普遍的な意味をもつこともある。ある宗教を信じている人たちは、その宗教によって立つ神話的イメージを共有しているわけである
特に東洋では、孔子の「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」、インドの四住期(など、「老い」が感性の意味をもって位置づけられている。
インドの四住期は、人生を、学ぶ期間としての「学生期」、結婚して子どもをつくり仕事に専念する「家住期」、社会人としての努めを終え、一人家を出て暮らす「林住期」、人生の最後の場所を求め何者にも囚われず過ごす「遊行期」として、人生のあり方の理想として古代より語られてきた。
「林住期」「遊行期」は、西洋の人たちには理解しにくい、日本における「隠居」の概念にも近い。
ここで注意したいのは、だからといって東洋の方が素晴らしいなどと速断する必要はなく、われわれ日本人が西洋文明の恩恵のなかに行きていることは事実であり、それを支える西洋の近代科学の知と、東洋に古くからあった知との折り合いをつけて、それらを”自分のもの”にしていく努力があって、老いが感性として立ち現れてきうるのであろうということである。
老いてもなお働き社会に貢献することで、高齢化の課題を解決していく努力も必要だろうが、一方で「老い」というある種人生の最後の余白のような時間が生まれる人生の事実にどう向き合うのかという課題は、効率重視で余白を許さないかのような現代の中で、余裕のないこころで互いに批判や非難が溢れがちな現代の社会においてこそ、それぞれが自分の生き方として見つめ直すべき問題なのかもしれません。
死について
孔子やインドの四住期の思想であるような、「老い」をライフサイクルの完成としてみることについて述べたが、一方で、老いに続いてくる「死」をどうみつめるのか。
「死」は、人生の完成としてみるよりは、次の世界への入口として見る見方も存在する。
世界の多くの宗教が死後の世界について述べたり、復活や再生について述べるのは、人間の死後の生命の存在について何とか納得のゆく回答を与えたいと思うからであろう。
死を絶対的な終わりとしてではなく、それに続く異なる生への入口として受け止める方が、はるかに老いや死を受容しやすく感じられるのは当然である。
しかしここで問題となるのは、現代人は、昔のような地獄・極楽のような神話や宗教で描かれるような死後の世界は信じられないことである。
そうした現代人にとっては、時に「死」は、ただただ恐れ避けたいものとしてこころを苦しめる存在にしかならないことになる。
ところで、蘇生術の進歩により、一度は「死んだ」と思われた人が蘇生し、その時の体験を語ってくれることが増加してきた。それを医学者・科学者として調べた報告も行われている。
それによると、その体験談には、多くの共通点が認められるそうだ。ごく簡単に述べると、そのような時、人は自分自身の肉体から抜け出し、死に瀕している自分の姿を見る。そのときに、以前に死んだ友人や肉親が迎えにきてくれるのがわかり、素晴らしい愛と暖かさに満ちた「光の生命」とも言うべきものに会う。このとき、自分の一生の出来事を一瞬のうちに思い出す人もある、という。(走馬灯)
個々では詳細の議論はさておくが、ユングの指摘として興味深いのは、これらの「臨死体験」の報告例は、チベット仏教の「死者の書」で描かれている姿や、神話などで描かれる死の世界においても驚くほどの共通点があるということだ。
このような話しを聞いて、それは医学者失格だとか、怪しげなスピリチュアルな話しだと片付けることもできるし、アタマがおかしいということができるかもしれない。が、ここで非常に大切なことは、このような瀕死体験をした人は、その後は"死を恐れなくなる"という事実である。死はその人の心の中にしっかり位置づけられ、受容されるのである。これは素晴らしいことで、その人に相当な安定感を与えるのである。
このような点から考えると、死後の世界といったものの存在について議論はさておき、それについて自分なりの神話の知をもつことは、自分が老いや死をどう受け入れるか、という点で有用であることを認めねばならない。そして、瀕死体験の内容は、われわれが死についての神話の知を形成するときに、多くの示唆を与えてくれるものと考えられる。
ちなみに、夢の解析による深層意識に向き合ったユングは、それにふさわしい死を迎えている。彼は死が近づいてきたとき、自分が瞑想にふけったり内科医との接触を保つ場所として過ごした思い出の街が「もう一つの街」として光を浴び、完成され、住む準備がなされたことを告げる夢を見た。彼は夢のなかで、「あちらの世界」に「もう一つの住処」が完成されたことをしり、彼の死が近づいたことを知った。
それは、ユングが生きている間にその街においてなした努力が、あちらの世界の住居づくりの準備となっていたと考えられる。
そのような、「死夢」の事例は日本においても存在する。鎌倉時代の名僧、明恵は、その生涯にわたって夢の日記をつけ続けた稀有の人だが、自身が愛した自然が「あちらの世界」に見えて、それを一部引き抜いて自分の住んでいる所の傍らに置く夢をみて、「この夢は死夢なりと覚ゆ」と死の準備をして、見事な生涯を閉じた。
どちらも「死後の住居」についての神話の知を夢を通じて得ている所が共通である。そして、それが個人の人生経験と深く関与しており、キリスト教や仏教の教義にあまりとらわれていないイメージであることも共通している。彼らはこのような死後の生に関する神話の知に支えられ、輝かしく静かな老いを生きることができたものと思われる。
老後のために貯蓄することは極めて大切であるが、老後のために準備すべきことは物質的な面のみならず、ここに述べたような心の面においても重要なことがあることを心得ておくべきであろう。
社会がどんどん発展し、能率よく回転してゆくことを目標とするとき、老人たちはときに「無駄」であり「障害」になるのではないか、というのが、現代一般の老人に対する見方であろうと言えるだろう。能率よくする、無駄を省く、ということ自体はもちろん大切なことであるが、それは恐ろしい半面を持っている。何を能率よくするのか、無駄とは何か、などについてよほど本質的な考えをもっていないと、それは命取りになってしまう恐ろしさを持っている。能率よく、無駄なく育てられた子どもが、どれほど無味乾燥な、あるいは、創造性に乏しい人間に育ってゆくことか。創造ということは、常識的に「無駄」と思われていたことから生まれてくるものである。このように考えると、単純な発想によって現愛において「邪魔者」扱いをされる老人たちの存在は、現代の持つ弱点に対して、それをカバーし、反省をうながす知恵をそなえたものとして見ることができるのである。邪魔とか無駄とか考えられる、その存在の在り様のなかに深い知恵が内包されているのである。
ここで、「神話」の重要性を語る河合隼雄先生は、有名なファンタジーである「ゲド戦記」の中の一説を紹介する。
ゲド戦記より--
若い主人公が、大魔法使いに弟子入りして、その住処に向かう時のやりとり
「師匠、修行はいつになったら始まるだね?」
「もう始まっておるわ」
沈黙が流れ、主人公は言いたいのを必死にこらえていたが、とうとう我慢できなくなる。
「だけど、おれまだなんにも教わってねぇ」
「それはわしが教えておるものが、まだ、そなたにわからないだけのことよ」
これはやる気十分の若者と、知恵に満ちた老人との会話の典型のようなものだ。
ここで血気にはやる若者なら、老人がでまかせを言っているとか、結局は何も学ぶところがないと判断して、老人を棄ててしまうかもしれない。しかし、それは大きい損失である。老人の知恵を学ぶにはまず辛抱がいるのである。
さらに、同じゲド戦記にて、今度は主人公が老人となった後編で、若い弟子アレンに語るセリフが、河合隼雄先生によって引用されている。
「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択を迫られた時には。まだ若かった頃、わしは、”ある”人生と”する人生のどちらかを選ばなければならなくなった。
わしはぱっと後者に飛びついた。
だが、わしは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないのだ。
一つの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。
そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。
ひとつの行動とつぎの行動の間のすきまのような、”する”ということをやめて、”ある”という、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」
ゲド戦記では、その世界の均衡が破れかけていることに気付いた主人公ゲドが、均衡を正すための旅をするのだが、その世界の変化は、永遠の生命を持ちたいと願った者が、死者の国と生者の国の境目の扉をあけて、死者がこちらに帰ってこられるようにしたために起きたこととして描かれている。
この話は、まさにわれわれにとって考えなくてはならぬものではないだろうか。
現代は、生と死の均衡のバランスが崩れて、われわれはあまりにも死の問題を遠ざけようとしすぎているようにおもわれる。
死を視界から遠ざけようとして、その近くに存在する老人までも排除してしまう。しかし、その人も結局は老人となり死を迎えるのだが、そうなってから慌ててみても、あまりにも準備不足ということになるのである。
われわれは老人の言うことに対して、それが正しいか謝っているかなどという前に、ともかくそれを「心の中にだいじにしまっておく」(ミヒャエル・エンデ「モモ」より)ことが大切ではなかろうか。
日本の神話の事例を数多く紹介する河合先生は、「うばすて山」についても語っている。
「うばすて山」は、様々なバージョンが日本の各地であるようだが、概していうと、社会のお荷物として山に捨てなければいけなくなった年齢の自分の母親を山に担いでいくも、いたたまれなくなって、こっそり連れ帰って、家に母親を匿う男性が、村に起こる様々な課題を、母親から教わる「老いの智慧」によって次々と解決に導く。その智慧が男性からもたらされたのではないとしった村の長が、老人を山に捨てるというしきたりを見直すに至る。そういった物語である。(このようにハッピーエンドではない例もあるようだが)
「うばすて山」の昔話では、「無駄をなくそう」と皆が努力しているなかで「無駄を大切にしよう」と老人の知恵は語る。「死は恐ろしい」と考える人に対して、それは「生と死の均衡」こそが、人間の生にとって大切であることを教えるのである。何か価値の有ること、何か意味のあることをしなくてはならぬ、人々が忙しくしているとき、老人は何もしないでそこに”いる”ことが、人間の本質といかに深く関わるものであるかを示してくれるのである。
科学の発展は人々の心身を司る「たましい」を奪ったのか
人間の自我はいろいろな文明を築き、近代になって科学技術を用いて、相当に自然に操作を加えコントロールすることをおこなってきた。したがって、人間は他の動物と比較にならないほど便利な生活をするようになった。とはいっても、人間は自然の一部であることにはまちがいないので、人間の自我が自然と著しい乖離をすると、神経症、心身症などの病に悩まされる。あるいは、自我の一人歩きがつよくなったとき、人間存在の全体性を回復しようとうする補償作用として、神経症、心身症などが生じる、とも言うことができる。
こころと体の現象の間の関係については、様々な主張がある。「悲しいから泣く」のではなく「泣くから悲しく感じる」という、体の変化がこころ(感情)を生むという主張もあれば、脊髄損傷により身体からの情報が脳に届かない方でも情動が経験されることもある。
こころと体にある種の関係があることを認めつつも、そこに単純な因果関係が存在するのではなく、むしろ一体となって、相対的に独立した一個の総体を形成する、という考えもある。
たとえば、透明な四壁で囲まれた水槽のなかを、一匹の魚が泳いでいたとする。このときに互いに直角な2つの側面からその魚の姿を撮影する。それぞれの映像にはある種の相関関係があり、それぞれは独立した存在をあらわしているのではなく、水槽のなかを活動する魚という存在の、ある面を映していることになる。この活動する実体は、2つの映像の内容より高次元の存在である(映像は2次元がが実体は3次元)。
この高次元の存在が、人間存在であり、それぞれの映像の内容が、それぞれ「こころ」と「身体」の状態として認識されるもの。そんなたとえだと理解しやすいかもしれない。
かりに、その「高次元の存在そのもの」を「たましい」と呼んでみる。
われわれは、それ自体を直接に識ることはできない。
しかし、それの顕れとしてのこころの現象や身体の現象は認知することができる。
それを認知し、ある程度コントロールできる主体として、人間は「自我」をっている。
しかし、心と体とはともに自我の想いのままになるとは限らない。
人間はたましいそのものに直接はたらきかけることができないのだから、まずは自我のコントロールをできるだけ弱め、たましいの働きを尊重し、それがこころや身体の現象としてどう認められるかを見るということになるだろう。
これは、自分の生きている身体の状態を、自分が生きているものとして体感するということでもある。
ここで「たましい」という言葉が出てくることに、違和感を感じたり、怪しげな匂いを感じる方もいるかもしれない。
現代以上に神話が信じられ、それがゆえに神話のこころに対する効力があった時代では、「たましい」という言葉も神話同様に人々のこころにもたらす影響も現代とは違ったものだったかもしれない。
これは「ことば」というものがもたらす我々を縛る力によるものとも言える。
人間は「言語」をもつ故にこそ、自分の経験を蓄積し、それを他人に伝達することができるという利点をもつ。しかしながら、そのような言語を駆使して自分の考えを自由に表現できるという半面、むしろ、言語の方がわれわれの考え方を規定することもあるのでは。
たとえば「あいつは敵だ」と言語を用いて認識すると、その人の言うことなどほとんど聞かなくなったり、誤解してしまったり。
近代科学の隆盛は一般に科学信仰とも言うべき傾向を生み出し、それは「たましい」という言葉や考えを拒否してしまった。しかし、現代人は自分の「こころ」を超えた高次元の存在があるらしいとか、何か大切にするべきものがあると感じるものの、それが何かわからないまま、「こころ」を超えたものとしての「身体」を過剰に気遣うことにもなる。
こころと体を超えた存在としてのたましいに対して時に想いを寄せる態度をもつことによって、自分の存在に深く根付く体験をしていったときに、一個の総体としてのこころと体としてのありかたへ理解が深まるのかもしれない。
直線的な「成長」から円環的な「成熟」へ
神話や宗教は、ある程度「普遍性」(誰の目からみてもそうであること)がなりたつ。が、世界に「普遍的」な物語などあるだろうか。そこでは「近代科学」が、俄然力を持ってくる。
でも、科学は観察者が研究対象から「切断」されることで、誰の目から見ても成り立つ法則という「普遍性」を持つ。
それがゆえに、この視点を人間”関係”に持ち込むとうまく行きにくい。近代科学の方法論は、関係を切断した対象についてのみ有効な方法なのである。
このあたりが不明確な人には、「関係喪失」の病になることが多い。子どもを自分どおりの「良い子」にしようと親が努力すると、子どもが病むのは当然である。夫婦関係でもそうである。
ある文化、ある時代に流行する物語がある。そして、多くの人がこれを標準、理想と考えることによって苦しむこととなる。たとえば、どんな子どもでも努力さえすれば一流の大学に入って、一流企業にはいって、という幸福物語が流行する。
そして、そのためには「”よい”幼稚園」に入学して…、と物語の細部までが決められてしまい、親はすべての子供たちに、その幸福物語を期待する。期待するだけならまだしも、強制になってくると、子どもの負担は急に大きくなる。
この世に生きてゆくために必要な強さをもつ自我をつくりあげ、その自我が自分の無意識に対して開かれており、自我と無意識の対決と相互作用を通じて、自分の意識を拡大・強化してゆく。無意識の創造性に身をゆだねつつ生きることは、相当な苦しみを伴うものではあるが、それを回避せずに生きるのである。
成長の過程というのは、一直線の段階的進歩のイメージでのみ把握してはならない。成長を一直線の過程としてみることはわかりやすい。自分はどこまでできてい、それに対して誰はどのあたりであるのか、などと考える。それはともすると到達点の設定ということまで考えることになり、「到達した人」に対する限りな尊敬心を誘発したりする。
が、ユングが個性化の”過程”として過程であることを強調するのは、そこに「完了」ということは有りえないと考えるからではなかろうか。
人間の成長は、直線のイメージで描くことも可能であり、ある程度必要ではあるが、円のイメージで把握することも大切では。すべてははじめから、全体としてあり、成長するということは、その全き円をめぐり、しかし、全き円の「様相」はそのときどきに変化してゆく。それは成長といおうより成熟という言葉で考えるほうがぴったりかもしれない過程である。
力強さだけではなく柔軟でしなやかなこころへ
われわれは時にこどもから教えられることがある。大人と肉体的な成長をとげ、世の事柄が分かってきているように感じてきても、こどもから教われることがあるように、心が開かれていることが、大切なのでは。
心理療法において「宗教性」ということが深くかかわってくるので、カウンセリングにおいては、宗教教団との関係がいろいろな形で生じてくると河合先生は語る。
日本においては、オウムや統一教会などのイメージも相まり、総じてタブー視される傾向がある。
自分の宗教は「無宗教」と認識する日本人には興味深いことだが、海外に出ると、日本は「神道の国」とみられていることに時に驚くことがある。
考えてみると、我々の多くは、初詣で神社に参り、鳥居をくぐる時は一礼をしたり、願い事をする前には「二礼二拍手一礼」などの「儀式」を何の疑問もなくすることがないだろうか。
なかなか神社にすらいかない人であっても、受験の時は絵馬に合格記念をしたり、車を購入したら神社の安全祈願の御札やシールを貼ったりするものではないだろうか。
それは、自覚があまりなくとも、立派な宗教を重んじた行為でもあり、ある種の「儀式」を重視しているからとも言える。
ある宗教における教義、儀礼などを共有することによって、ひとつの集団ができる。それはただの一人で信仰しているよりも仲間ができたことによって強力となるし、相互の練磨を通じて、その信仰は洗練され深められるであろう。
宗教が教団をもつことのプラスの面は大きい。しかし、教団が大きくなってくると、教団の組織の維持や防衛などという「俗事」が、そこに大いにかかわってくる。また教団が大きくなって力をもつと、その力が政治の世界などとも関連してきて、ますます宗教の本来の姿からは遠いものになる可能性をもっている。
これが、現代における、仏教や神道に限らず、キリスト教やイスラム教など、「歴史も重なり規模が拡大した」あらゆる宗教の共通した課題でもあろうか。
宗教を信じることが必ずよいというわけではないが、それがもたらす儀式や、宗教の存在意義自体が軽視される現代だからこそ、我々が古代から「こころのあり方」として頼りにしていた「宗教性」(神話や昔話のようなものも含め)を失いつつあることは、果たして我々のこころの成熟において健全に作用するものなのかは、一度柔軟な目で見つめ直してもよいかもしれない。
「たましい」という概念も、科学重視の世界ではオカルトと速断するのは簡単だが、科学でもまだ認知しきれていないことは世の中にたくさんあり、人のもつ「意識」や「こころ」というもの自体がまさにその代表でもあることを考えるならば、現代の我々の考えで「あり得ない」「価値がない」と感じさせる物事こそ、あえて違う目線で解釈を試みる努力があるほうが、真実を見誤りにくいだけではなく、こころの成熟においても効果的ですらあるかもしれない。
実際、つい数百年前では、文明を"主導する"立場にあった西洋では、地球は宇宙の中心で動かぬ存在であると信じられていた時代があり、そこでは、地動説は「真実かどうか」ですらなく、問答無用の「異端」として、その可能性を議論すること自体が「ありえない」「無価値」とされ、時に処刑されることすらあったのだから。
科学技術の進歩が早く、それゆえに価値観の変化も加速する現代におていは、現時点で我々が信じる「これが正しい」という「常識」も、あんがいたった数十年後には「まったくのデタラメ」で変わることだって起こるかもしれない。
そんな中では「強固で力強い」こころのあり方よりも、より柔軟でしなやかなこころのあり方の方が、生きやすいだけではなく、事実「生き残りやすい」かもしれない。
宗教の話からいささか脱線してしまったが、ともかく人間のすることで”絶対に”よいなどということは、まずないと言っていいだろう。
宗教教団がマイナスの面を持つからといって、潰すのがよいと考えるのも速断であろうし、宗教性の保持こそがこころの成熟に絶対ということでもないであろう。
ものごとの様々な面をよく把握して、その場合場合によって考えることが大切である、と思う。
以上、河合隼雄先生の複数の著書の内容をベースに、時折自身の考えや意見を添えて書き連ねさせて頂きました。
本来、自身の考えの部分は明確に分けて記すべきかもしれませんし、文調もバラバラではありますが、概要としてはズレはないであろうと勝手ながら判断し、そのままにさせて頂いております。
ユングもそうですが、河合隼雄先生の思想として、こころ、そしてそれを形作る自覚できぬ「無意識」というものを、できるだけ科学的なアプローチ(つまり、普遍的に誰にでも当てはまる形で)掴み取ろうとする一方で、あくまでも、個々の人がもつこころのあり方は、その人のものでしかなく、他人が分かるようなものでもなければ、他人がどうこうコントロールなどできるはずもないものである、というスタンスを強く感じさせるものだと理解しています。
それがゆえに、どこまで体系化された概念は生まれても、結局は、それは「理論」にすぎず、目の前で悩む一人の人に対しては、その人と一対一の人間通しとしての「関係」を築くことから、その当人の抱えるこころの課題に当人と"共に"向き合い、その成熟を支えていくことの積み重ねにすぎないと語っており、事実、そうした生き様を遺してきていると感じております。
そして、そのこころの課題への対峙というのは、自身についても当てはまることで、ユングは実際、精神の不調に自ら苦しみ、だからこそ、こころに対する深い見識を得るにいたり、その著書の多くは70代になってからのものだそうです。
河合隼雄先生もそうですが、人生を通して、自身のこころの成熟に向き合い、だからこそ多くの方のこころの課題を支えてこられたのだろうと感じております。
この「こころの課題と向き合い、こころの成熟へむかう」という行為は、我々一人一人にもあてはまることで、それは一生をとおして行っていくことなのだろうと感じております。
そして、これらの書から学んだ大切なことは、こころの、難しさ、です。
とかく、わかりやすい解法や処方(薬など)で、「すぐにラクに」を求められがちな現代において、こころはそんなに簡単にどうこうなるものではなく、その奥底には、本人が自覚できてない過去の出来事はもちろん、本人自身のはるか先祖からの(あるいは時に先祖となる別な生物種からの)体験により刻まれた「こころのありかた(普遍的無意識)」が影響しうるほど、奥深いものであることを、警鐘とともに自覚すべきことを、ユングや河合隼雄先生の教えは伝えているのだと感じております。
ゆえに、氏の著書を通して学んだからといって、それら生半可な知識だけで(十分な体験なく)気軽なスタンスで実際のこころに対峙すべきものでもない、ということを強く主張しております。
自分も、様々なこころの課題に向かわせて頂く中で、実践上の有効性も感じ、河合隼雄先生やユングの心理学をかじりはじめておりますが、ブッダの教え同様に、知識や理論はあくまで「頭」のものであり、「こころ」は時間と体験を積み重ねていくなかでしか変化や成熟はなし得ないものだと、改めて感じております。
そして、こころの課題を解決すべき時は、苦しませるこころにまっすぐ対峙して、時につらい苦しい時間をとおしてこそ、こころを成熟に向かわせていけるという考えも、自身ならびに様々な方々の苦しみそこから時に快方に向かっていくさまを観て、強く実感させられるものでもあります。
自分としては、これらの座学の学びを、ただの知識と終わらせるのではなく、宗教的(仏道)、科学的(脳科学や心理学)だけにとどまらず、それらですら語られておらぬ、言語化しきれない"直観"的な体験からの学びなども踏まえて、柔軟なこころを育て、結果、様々なこころの課題に、求めて頂ける範囲で、共に向かい合って支えていければと考えております。
長くなりましたが、お付き合い頂き、有難うございました。
※このnoteを書くにあたり参考にさせて頂いた河合隼雄先生の書籍は下記となります。
無意識の構造(中公新書)
心理療法コレクション1 - ユング心理学入門(岩波書店)
心理療法コレクション2 - カウンセリングの実際(岩波書店)
心理療法コレクション3 - 生と死の接点(岩波書店)
心理療法コレクション4 - 心理療法入門(岩波書店)
心理療法コレクション5 - ユング心理学と仏教 (岩波書店)
心理療法コレクション6 - 心理療法序説(岩波書店)
宗教と科学の接点(岩波現代文庫)
こころの処方箋(新潮文庫)
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