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桜の頃

桜の頃

 はらはら散る桜の花びら。私の意識は朦朧としている。現世か幻かわからない。もう私の命は風前の灯。この時期で良かった。かの人に一目会ってこの世を去りたいもの。何もなさず、何も残さなかった私の唯一の執着。

 かの人に会ったのは、物心ついた頃だった。私の家には桜の木があった。私は、その下で桜の花びらを集めていた。桜の毛氈。花びらは柔らかく、淡雪のよう。夢中になって拾っていた。さあっと吹く風。舞い上がる

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震えるキス

震えるキス

 「キスして。」

 泣きながら、ミハルは言った。もう会えない。会うこともかなわない。ミハルとさよならしなければ、ならないから。ミハルが目覚めたら、俺はもういない。

 俺は、ガジュマルの木の精だ。なぜ人の形を取ったのか。

 ミハルに恋をしたからだ。

 俺は、ガジュマルの観葉植物だ。俺をミハルが、連れ帰ってくれたのだ。

 ミハルは、俺を日当たりのいい窓際に置いてくれた。

 目覚めたら、おは

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ブラックダイヤモンド

ブラックダイヤモンド

 今宵は新月。暗闇は、あたしたちのホーム。ターニャはウィンクをする。漆黒に溶け込むチョコレート色の肌の彼女。

 「レッツゴー、ハニー。」
 「誰がハニーよ。」

 夜目が効くあたしたち。ターニャは狼人間、あたしはろくろ首の末裔だ。とはいえ、この現代社会で人間を喰ったり驚かしたりして、生きているわけではない。

 人間社会に溶け込み、しれっと生活を送っている。生計は、どうやってたてているのか?

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梅花香14

梅花香14

「ほい、またおいらの先走りみたいだね。」

清吉は、冗談めいて言う。

「いつまでたっても勘違いはなおりゃ

しねえや。」

その茶化したもの言いにおこうは悲し

げな顔をする。清吉の苦い記憶にかぶ

せるように、また彼を傷つけてしまっ

た。もう清吉は二度と誰にも心を開く

ことはないだろう。ただの魂を吸う対

象のままでいたらよかった。「獲物」

のままでいたら、ここまで彼を傷つけ

ることは

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梅花香13

梅花香13

清吉は驚いて、おこうを見つめる。

おこうはそっと清吉から視線をはず

す。張りつめた沈黙が続く。おこうは

静かに息をはく。心を決めたように清

吉の目を見つめる。

「私は梅の化生でございます。」

「ああ、だからか。」

清吉は納得したようにうなずいた。清

吉の返事は思いがけないものだった。

おこうはびっくりする。

「なにが、だからかなのでございま

すか。」

「いやあ、おこうさんの

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梅花香12

梅花香12

「…後でわかったことなんだがその

晩の座敷で、小勘が男をくどいたら、

男はその気になるかどうかという話が

持ちあがったらしい。それを種に賭に

なったんだ。で、深川界隈で一番色恋

沙汰に縁のなさそうな人間、つまりお

いらに相手役の白羽の矢が立ったとい

うわけだ。かっこうのお笑いぐささ。」

清吉は自嘲的に笑った。

「そこで、道化になって馬鹿ができ

るほどの度量もなく、なにもなかった

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梅花香11

梅花香11

月に薄雲がかかっていた。朧月夜。

清吉は小さな稲荷神社の境内でそわそ

わと待った。今夜はかりんとうを売っ

ていても足に地がつかないような心持

ちだった。高嶺の花だった小勘に情を

かけられるとは思ってもみなかった。

彼は降ってわいたような幸運をかみし

めていた。暗闇に浮かび上がる狛犬も

時折聞こえる木々のざわめきも怖いと

は思わなかった。ひたひたという足音

が聞こえてきた。清吉は

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梅花香10

梅花香10

「清さん、かりんとうおくれな。」

一人の芸者が声をかける。銀鼠色の

唐桟(とうざん)に黒羽織を引っかけ

て素足に桐の下駄。左づまを取った立

ち姿はすらりとして仇っぽい。

「小勘(こかん)姐さん、いつもあ

りがとうございます。」

清吉は小勘に丁寧にあいさつをした。

深川随一の流行り奴で、素晴らしい三

味線の腕と無類の声を持っていた。

すきっとした美貌と気の強い、はっき

りとした

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梅花香9

梅花香9

「かりんとう、深川名物かりんと

う。」

若かりし頃の清吉。その頃は夜、花街

で商売をしていた。特に、かりんとう

売りの口上のごとく、深川界隈を売り

歩くことが多かった。清吉はいきで気

風がよくて、あっさりした深川の土地

柄が好きだった。いつもだいたい同じ

ところをまわっていたので、顔なじみ

の客もできた。かりんとう売り名物の

大きなちょうちんに灯がともってい

る。月はさやかに

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梅花香8

梅花香8

「清吉さんはいい声をしていらっ

しゃいますね。」

今日はどうしたのだろう。清吉は苦

笑する。

「同じことを言われたよ。今日はこ

れで二回目だ。」

「あら、おもてになりますこと。」

「そんなんじゃねえよ。いつもかり

んとうを買ってくれるなじみの嬢ちゃ

んに言われたのさ。」

「そのお嬢さんはお目が高いこと。

温かくて優しい声は清吉さんそのもの

ですもの。」

清吉は居心地が悪く

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梅花香7

梅花香7

おこうは受け取り、かりんとうを口

に入れる。食べたとたんに彼女は目を

丸くする。驚いたようにおこうは言

う。

「こんなにおいしいもの、はじめて

いただきました。」

「そうかい。じゃあ好きなだけおあ

がりなせえ。」

おこうは無心に食べ始める。その童女

のようなふるまいに清吉は、もしかし

てやんごとなき身分のかたじゃなかろ

うかと思い至った。だとしたら、浮世

離れしたところも、

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梅花香6

梅花香6

女は小豆色の霰小紋の着物に黒繻子

の掛け襟と帯を身につけ、眉を落とし

丸髷を結っていた。愛嬌のあるふっく

らとした頬と白い肌、優しい目元をし

ていた。清吉は近在に住むどこかのお

かみさんかと思ったが、それにしては

浮世離れしすぎていた。女は微笑んで

会釈をした。その時に白い歯がちらり

と見えた。清吉は慌てて会釈を返しな

がら、お歯黒をしていないからひとり

ものだが、妾だろうかと

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梅花香5

梅花香5

この神社の境内にはたった一本だけ

梅の木がある。古い梅の木で、幹には

いくつものこぶがあった。この季節に

なると白梅が咲き、えも言われぬ香り

が漂う。ごつごつとした幹と可憐な白

い花の取り合わせが清吉の目には好ま

しく映った。毎年、彼はここの梅の花

を見るのを楽しみにしていた。梅の木

の下には床几が置いてあった。清吉は

木の箱を下ろした。床几にゆっくりと

座る。梅が優しく香る。

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梅花香4

梅花香4

こじんまりとした神社の境内。ここ

の宮司はきれい好きなのだろう。境内

は掃き清められ、すがすがしい空気に

満ちていた。清吉は仕事が終わると、

ここの神社に参拝するのが日課になっ

ていた。小さいながらもきちんとゆき

とどいた手入れのされたこの神社は、

心休まる場所だった。清吉は手ぬぐい

を首から外し、手水舎で手を清めてか

ら拝殿に向かった。拝殿で賽銭箱に銭

を入れて鈴を鳴らし、柏

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