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梅花香10

「清さん、かりんとうおくれな。」

一人の芸者が声をかける。銀鼠色の

唐桟(とうざん)に黒羽織を引っかけ

て素足に桐の下駄。左づまを取った立

ち姿はすらりとして仇っぽい。

「小勘(こかん)姐さん、いつもあ

りがとうございます。」

清吉は小勘に丁寧にあいさつをした。

深川随一の流行り奴で、素晴らしい三

味線の腕と無類の声を持っていた。

すきっとした美貌と気の強い、はっき

りとした気性が人気の源だった。清吉

の上得意の客の一人だった。小勘は上

機嫌だった。

「なにさ、水くさい。清さんの声が

あまりにもいいから、思わずぼうっと

なってついつい買ってしまうのさ。」

清吉の顔が真っ赤になる。声が少し

震えた。

「姐さん、からかうのはよしてくだ

せえ。」

「おや、赤くなってかわいいねえ。」

「お座敷抜けてきたんじゃありませ

んか。早く戻らないとまずいんじゃな

いんですか。」

「憎らしいねえ。はぐらかすつもり

かえ。」

小勘はそう言いながらかりんとうを

清吉から受け取る。清吉に銭を渡す瞬

間に彼の耳元でささやいた。

「今夜九つ(午前零時頃)に近くの

お稲荷さんで待ってて。」

清吉は空耳かと思って、小勘の顔を見

る。

「…え。」

小勘は色気のある涼しい目元で彼を

にらむ。

「二度は言わねえよ。」

下駄の音も軽やかに小勘は去って

行った。清吉は胸の高鳴りを抑えるこ

とができなかった。生温かい春の風が

吹いた。心が騒ぐような春の夜だっ

た。

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