初めて自分らしく笑えた日。
「生まれた環境を言い訳にしない」
これは、僕がいつ何時でも忘れないように、
心の中で大切にしている信念。
でも昨日、ある飲み会がきっかけで、
僕の人生の中に、もう一個、信念ができた。
「本当の自分で生きる」
たけひろ
シャルコーマリートゥース病。
はい?と思った方、その判断は間違ってない。
こんな病気、聞いたこともないだろう。
僕も初めて聞いた時、
外国の美人な女性を、頭に思い浮かべた。
そう、彼女の名前のような病気こそ、
僕が生まれつき抱えている難病である。
ちょっとどんな感じか説明すると、
心臓から遠いところの感覚が
だんだん鈍くなる病気である。
別に悲観しているわけではないが、
治療法は、今はない。
まあそんな、俗にいうThe難病ってわけではないのだが、治療法がないから、難病になった、みたいなものだ。
この病気、ちょっと厄介なところがある。
筋肉の伝達能力が鈍く、
歩くこと、走ることが結構大変なのだ。
「おーい、足わる星人ー。」
「なんで体育休んでんだよ。」
「ゴリラみたいな歩き方やな。」
小学校、今考えれば可愛いもんだが、
ちょっといじめを受けていた。
でも、その時味わった辛さが、
今の自分の強さを作っている気もする。
あの時は、小さい僕にとっては、大変だった。
「なんで俺は他の人と違うんだろう。」
「俺の足って、恥ずかしいものなんだ。」
障がい者って、カッコ悪くて、蔑まれる存在なんだ。若かりし頃の僕は、こんなことを、不覚にも考えてしまった。
自分のことを大きく見せようと、普通の人の歩き方の真似したり、バカにされないようオラついてみたり、
今思えば、ちょっと目も当てられないが、自分なりにもがこうとしていた、足掻こうとしていた。
どうしようもできない、人生というものに。
環境に甘えたくなくて、
病気のせいにしたくなくて、
そしてなによりも、
普通の人と同じ生き方をしたくて、
自分らしくないけど、ひたすらに強がる、
小さい頃は、そんな毎日が続いた。
「俺にだって運動できるんだぞ」
高校に上がった時に、テニスを始めた。
始めた頃は、まあお決まりだ。足が思うように動かず、何もできずに、悩み狂う毎日。
そんな僕でも、それなりにやっていくうちに、上手くなっていったのだ。僕みたいな人が、テニスをできるようになるのは、だいぶ奇跡に近い。昔の自分を褒めたい。
難病患者ができるようになったから、すごい!とか、当時はそんなことどうでもよくて、
自分が他の人と同じことをできるということが
ただただ嬉しかった。
当時は、人並みにできるだけようになるだけでも、大変だったのだ。
「友達だって作ってやる。」
「認められてやる。」
「絶対に足に負けたくない。」
大学では、運命的な出会いもあって、
一番大きなテニスサークルに入った。
これも高校のテニスと一緒で、
普通の人と同じように、サークルを楽しめることが、ただただ、嬉しかった。
認められたい、すごいって思われたくて、
そのサークルの幹部にまでなった。
幹部はすごいことだ。
ろくに運動もできないのに、みんなのことをまとめるという難しいことを、持ち前の明るさとコミュ力で補っていた。
「俺ってすげえだろ、俺ってできるだろ」
「障がい者なのに、頑張ってるんだぜ」
「たけひろさん頑張ってますよね、足が悪いのに、すごいです!」
そう言われるのが、ただただ、嬉しかった。
今思えば、承認欲求の塊だった。
人から見て、かっこいい自分を演じることに、生きる意味を、見出していた。
ちょっぴり恥ずかしい。
しかし、そんな自分とも、ここでおさらば、
ここまでの話は、昨日までの話である。
ある会社のインターンからの帰り道。
僕は、そのインターンを、一緒を乗り越えて来た、ある一人の友人と、帰っていた。
彼は今まで会った人のなかでも、とびきり素直で、優しくて、強くて、信念があった。
何よりも、僕と気が合ったのだ。
あった瞬間から感じたあの感覚、
どんな時でも、心が許せる、そんな存在だ。
彼と、インターン終わりに帰る途中、
駅で、階段に差し掛かった。
この階段に、名前をつけてもいいぐらい、
思い出に残っている階段だ。
高田馬場の改札から出てすぐの階段。
僕の人生を変えた階段だ。
(やばい、手すりが近くにない、どうしよう…)
バランスが取れない僕は、手すりを使わないと階段を下りることができない。
当時の僕は、手すりを使うことは障がい者の自分をさらけ出すことと一緒で、恥ずかしいことだと思っていた。
だからこそ、彼に自分のことを、
障がい者って思われることが嫌で、嫌で、
手すりを使わずに階段を下ろうと、
無理しようとしてた
でも、その時、なぜかふと、
こんなことが思い浮かんだ。
(〇〇になら、さらけ出してみてもいいかな)
勇気出して言ってみた。
「手すりを使いたい。」
と、そっと一言。人生で一番勇気を出した。
今まで誰にも見せることが無かった、
自分の弱みを、さらけ出してみた。
すると、彼は、なんの気無しに、こういった。
「え、あ、うん、全然いいよ。」
その言葉を聞いた瞬間、
なぜか自分の目に大量の涙が溢れ出してきた。
自分でもいまだになぜあそこで泣いてしまったのか分からないのだが、きっと、心の底から嬉しかったのだろう。心の底から、感動してしまったのだろう。
別に、自分が障がい者だってこと、隠さなくてもいいんだ。みんなあんまり気にしてないんだ。
おそらく、生まれて初めて、
そう思えた瞬間だった。
2019年12月26日。僕はあの日を忘れない。
その後の飲み会で、
彼と泣きながら乾杯した。
「障がい者として歩む人生が、たけひろじゃん、何も隠す必要はないし、俺はそんなお前が好きだよ。」
彼に、説教されるが如く、そう、言われた。
今までの自分が、
音を立てて、崩れる音がした。
人って、こんな暖かいんだ。
取り繕ってた自分、強がってた自分、
なんだったんだろう。
思えば思うほど、涙が止まらなかった。
今までの人生、21年間の、人生の辛さが、
そこで、はじけた。
はじけてはじけて、はじけまくった。
まるで、深い海の底から、
もがいてもがいてもがき苦しんで、やっと日を見て、水面から顔を上げた時の感動の如く。
障がい者の僕を、
助けてくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
認めてくれる人がいる。
心の中の奥深くで僕が勝手に感じてた、
僕と、それ以外の人の間にあった壁。
全部、崩れた。
障がい者として歩む人生
それが、俺なんだ。
別に、恥ずかしいことじゃない。
今まで強がって生きて来たけど、
これからは何も隠さなくていいんだ別に。
何も我慢しなくていいんだ。
「手すりを使いたい」って、
言っていいんだ。
彼のたった一言で、僕の人生は180°変わった。
障がい者として歩む人生も、悪くないじゃないかと、思えるようになった。
何よりも、本当の自分でいていいことが、
ただただ嬉しかった。
自分に素直になった僕は、
まるで生まれ変わったみたいに、
見える世界が変わった。
何も取り繕わなくていい自分を感じたら、
溢れ出る感情、想いが止まらなかった。
ずっと生きていたい!100歳まで!
これからも自分の足で歩いていたい!
素敵な人と結婚したい!
誰よりも多くのことを知りたい!
たくさん仕事したい!
たくさんの人に囲まれたい!
自分に関わる人全てを幸せにしたい!
夢に向かって本気で生きたい!!!
目の前の人を心の底から幸せにしたい!
あれもしたい!これもしたい!
まるで、2歳児の如く、
21年間我慢していたその感情は、溢れ出した。
ずーーーーっと本気で生きたいって思ってた。でも、周りに合わせて、遠慮してた。
でも、もう、我慢しない。溜め込まない。
21年間、眠ってた、本当の、本気の自分
生き切る!命ある限り!
そう、2人で誓った夜だった。
忘れられない乾杯。
彼には、この場を借りて、
ありがとうを、伝えたい。
そして、最後に、
「みんな、俺、変われたよ。」
今まで僕のことを、
応援してくれた人、支えてくれた人、
気づけなかったけど、
ずっと側にいてくれた人、
今まで、ちょっぴり強がっててさ、
心の底から笑えてなかったよ。
本当の自分で、本当の俺で、
また、乾杯しよう。
たけひろ
※この記事であった出来事は、
2019年12月のものです。