2021年の日記集:謝らない償い方

【11月23日】

「そんなことも調べていないの?そんなんじゃ、どこにも就職できないよ」
正義を振りかざした、人格否定の発言。

「お盆は実家に帰るんですか?」
プライベートなことに関して、無神経に尋ねたこと。
実家があるのは、当たり前ではない。

「久しぶりー!」

大学時代の友人から連絡がきた。
嬉しさと同時に、申し訳なさがこみ上げる。
私のあの時の言動を、どう思っているんだろうか。

あなたに過去、酷いことを言ってしまったこと。
覚えているのは、気にしているのは私だけかな。


では「ごめんなさい」と。

それは誰のための、何のための謝罪か。
自分の罪悪感を拭いたいからではないか?
相手に嫌なことを思い出させるだけなのではないか?

逡巡して、ぐっと飲み込む。

...

誰だって、段階がある。
相手に倫理的に気に入らないポイントがあると、それだけでスっと引いてしまうことがある。

でも、自分とて、いまだに失言(言葉自体もそうだし、考え方が偏っていたり、無知だったり、場違いな動作だったり )も多い。気づいていないものも含めて。

過去なら、なおさら。
目の前にいる相手は過去の自分かもしれない。

過去の言動自体は恥ずべきものだけれど、それだけで「人間失格」の烙印を押すべきだろうか。

「それはおかしい」
「そういうの、やめたほうがいい」

勇気をもって、言ってくれた周りの人がいたから今の自分がある。
感情的でなく、頭ごなしでもなく。

大事にしたい人には、私も機をみて言えるようになりたい。

倫理的な問題だけに限らない。
誰だって、始めは無知で技術的にも拙い。

過去の言動を、なかったことにしない。
過去の自分も忘れず背負って、生きていくしかない。

私は自分を疑い続けるために、読書をしたり調べ物をしたり、勉強を続けているのかもしれない。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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