2021年の日記集:お話から何を感じ取るかは自由なのだ。

【3月10日】

『レインコートを着た犬』という本を読んだ。
吉田篤弘さんの本で、この本は「月舟町三部作」のうちの3作目に位置する。

ここのところ、毎週「考えを整える」面談をしている。
何者でもない私に、相談してくださる方がいるなんて。やってみるものだ。

その際に、とある喫茶店の話を聞いた。

「『月舟町』という喫茶店が好きなんです。なんでも、とある小説をもとにした喫茶店だそうで…」

月舟町…どこかで聞いたことがあるような。
調べてみると、私が持っている(そしてkenohiに置いている)本に出てくる町だった。

三部作の中では『それからはスープのことばかり考えて暮らした』が有名だろうか。なぜか私は二部までしか持っておらず、というか第三部の存在を知らなかった。
舞台が同じだけで話が繋がっているわけではないので、違和感なく読めてしまっていたのだ。

そんな経緯で購入し、あっという間に読了。

吉田篤弘さんらしい群像劇。1つの町の中の、映画館、本屋さん、食堂。
色んな生業の人達の日常。何も考えずに、サクサクと読み進めることができた。けれど、いくつかの文章が心にしっかりと残る。

なあ、青年。お前さんも精々踏ん張って、俺の歳まで生きてみるもんだ。

<中略>

予告編こそが人生。本編なんてものは決してやってこない。 それでいいのよ。余計な期待はしないほうが。 ちょいと垣間見る。ちょいとつまんでみる。 その方がどういうわけか旨い。

不安になると、つい言葉に頼りたくなるけど、自分が好きなことをきっちりやってれば 不安になる暇もないだろう。

おかしな話です。好きで選んだ仕事なのに、毎日繰り返していると、御飯を食べることや歯を磨くことと同じになって。

いずれも『レインコートを着た犬』(吉田篤弘さん)本文より引用

時折、文章を見つめて身体が固まるような思いをした。

筆者が、お話を手段に強いメッセージを伝えようとしているわけではないと思う。 むしろ、お話自体に力を入れている作品だろう。

なのに、どうしてか響く言葉たちがいる。
読んでいるときの私の頭の上には「!」という吹き出しが間違いなくついていた。

お話から何を感じ取る、学び取るかは自由だ。
きっと、読んだ人の数だけ「!」の瞬間はそれぞれにあるのだろう。

うん、やっぱり小説っていいなあ。

さて。今週末は、人生初めてのキャンプ。
テントで寝るのも、焚火を起こすのも、星を見るのもすべて楽しみだ。

後で振り返ったとき、このキャンプも私の人生にとって、重要な予告編になるのかもしれない。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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