2021年の日記集:贖罪の方法

【4月29日】

人がどう思うかは関係なく、今の自分が思う「悪いこと」を沢山してきてしまった。

当時の自分も悪いと思っていたり、当時は悪いと思っていなかったり。 どちらもある。

たとえ、犯罪の名前がつかなかったとしても。

...

自分本位だった。 色んな人をを傷つけることをしてきた。
酷いことを言った、した。

そんな自分がいま、楽しく幸せに生活をしている。

もちろん、私だって傷つけられてきた。
でも、だからといって人を傷つけてよいわけではない。

よくあること、と言ってしまえばそうなのかもしれない。
みんなが通る道、と言ってしまえばそうなのかもしれない。

...

自分は幸せになっていいのだろうか。
これから、痛い目を見るんだろうか。
そんなことを考えると胸が苦しくなる。
嬉しいことが続いているときこそ、怖くなる。

これからも、きっと悪いことをするのだろう。
今の自分が悪いと判断しなくても、未来の自分が「あれは悪かった」と思うかもしれない。

過去はいつまでたっても消えない。
嫌なことばかり覚えていて、小さな幸せの記憶はどんどん薄れていく。

背負っていく罪は、これからも増えていくのだろう。
世の中の人たちはみんな、どうやってこの気持ちを処理しているのだろうか。目を背けたい記憶をそばに置いて、平常心で眺められる日が来るのだろうか。

...

では、ずっと申し訳なさそうに暮らしていくんだろうか。
俯いて生きていって、自分だけでなく周りも嫌な気持ちになるだけだろうか。

これは言い訳なんだろうか、わからない。

それはそれ、これはこれ。
そう割り切れるものではなく、人生はその「余り」でできているんじゃないかと思う。 モヤモヤと心に積もった余り。

いつか、いっそ積もり積もって、割り切れたらいいのだけれど。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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