2021年の日記集:どうして気づいてもらえないのか

【7月20日】

誰も助けてくれない。

その言葉の手前には「はじめから他人をあてにしていたら」という言葉が付いているんだと思う。

結局、自己責任。 という話をしたいわけではなく、それくらい人を動かすのは難しいことなのだ。動かすどころか、気づいてもらうことが難しい。

...

黙っていたら、他人にはわからないことの方が多いのだ。
困っていることや助けてほしいことが。
それなのに「なんで気づいてくれないんだ」と思ってしまったりする。

自分が、嘘をついていたら。
嘘をつくとき、どこかで「嘘だとわかってほしい」という気持ちがあるときがある。
「できます」「やりたいです」
期待を裏切りたくない、見放されたくないから発した言葉は 気持ちとは裏腹に、その言葉のまま相手に届く。

...

小さいころ"いじめられていることに、どうか気づいて欲しい"と思っていた。

会社で働いているとき"本当は任せてもらった仕事が怖い"と思っていた。

気付いてもらえなかった。あるいは、気づいてくれていても手を差し伸べづらかったのかもしれない。

「大丈夫です!」
作り笑顔でそんなことばかり言ってしまっていたから。

自分がどうしたいか。
それが決まっていないと相手も助けづらいのだろう。

「あの…実は…」

自分の思っていることを切り出した途端に、沢山の人が助けてくれるようになったように思う。

...

自分が思っている以上に、言葉や行動にしないと伝わらない。
言ってもやっても、伝わらないこともあるくらいだから。

こんな持論に加えて、最近気づいたこと。
SNSで楽しそうな投稿ばかりしている友人と会う機会があった。

そろそろお開きというころ、切り出された。

「実はさ...」

辛いことがあったけれど、誰にも言えなかったらしい。すごく勇気を振り絞って伝えてくれた。

SNSでは発信されていることがすべてだ。
投稿されていない生活や本心や苦悩が沢山あるのだ。

分かった気にならないこと。
自分が見ているのは、相手の1部分でしかないこと。
見せたい部分だけであること。

分かった気になると、サインを見逃してしまう。
友人と話して、そんなことを思った。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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