2022年の日記集:幻想の区切り

【1月5日】

いつのまにか「今日は昨日の続き」だった。
小学生くらいの頃はまだ、今日と昨日は違う日と感じていた気がする。

日々と同じように、今年も去年の続き。
年が明ければ何かが変わる気がするが、気がするだけ。
誰かと入れ替わったり、魔法が使えるようになったりはしていない。

...

それでも、区切りは好きだ。大学や専門学校、あるいは高校といった最後の学校の卒業を終えると、もう区切りらしい区切りは訪れない。

卒業後は今の生活を続けることは許されず、次の選択肢を選ぶ必要があるような、絶対的な区切り。

就職1年目を入学とするならば、社会人は何年生で卒業なんだろう。
卒業どころか、私もいつか"仕事大学"に加えて"子育て大学"や"介護大学"など、同時並行で通うことになるかもしれない。

あれ、大抵の大学は二重学籍は駄目なんじゃないのか...?なんてバカなことで真面目に思いついてしまう。

「えー、本学個人事業主学部は、休暇取得も宿題も卒業時期も自由です。あなたが決めて構いません」

自由というのものはなんと恐ろしいのか。
そのままでは、大きすぎて扱うこともかなわず、結局は自分で制約を作ったり小さく切り分けたりしないと、なかなか扱いが難しい。

思えば、会社では泣きついて巻き取ってもらったり、そうでなくてもヘルプを出すことが可能だった。
今は…まあ頼ることもできなくはないけれど、基本的には自分でやらないと、何も進まない。昨日の続きのままだ。

だからこそ、例え幻想であったとしても、実質的な変化がないとしても...。
一年の移り変わりという、大多数の認識が一致している区切りはなんだか嬉しい。

幻想なのに、こんなにも何かが変わった気がしたり、希望を持てたりする凄さがある。

...

もう二度と、自動的には卒業式は訪れない。
一つ、万人に訪れるであろう式を思い出したけれど、新年早々に書くには悲しすぎるのでやめておく。

社会人になるということ。提供される側・享受する側だけ…だけではないか。それが中心であった人間が、提供する側・作る側にもなるということなのかもなあ、なんて思った。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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