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ルーティーンに生かされていた


ルーティンなんてない方が自由だ
というより、
ルーティーンで動くなんてむりだ
そう思っていた。

仕事に間に合うならば何時に起きてもいい、
起きれるれんなら何時に寝てもいい
やることだってやりたい時にやらせてくれ
期限には間に合わせるから
と。そんな風に。


この1週間ほど、完全に無職になり(海外ワーホリ中のため)ルーティーンというものが私の身体から完全に消滅したことになる。
朝めが覚めたら起きて、夜眠くなったら寝る。
ただし、早寝早起き体質なのでそこまで生活は変わらない。空いた時間は今は仕事探しに明け暮れている。もちろん休憩は挟みつつ!

私は今、使い時間を自分の好きに使うことができる。なんでもできちゃう、自由だ。
と思っていた矢先、完全に自由になると
本当にやりたいことに身が入らなくなる現象。
なぜだろう。

仕事探しだって時間制限がないが故に
永遠に仕事探ししたりしている。
多分、効率的にはそんなによくない動き方をしているんだろうなぁ
なんて思いながらも、ダラダラと。

休憩しよ!と思ってネットサーフィン始めるといとも簡単に予定時間は過ぎてしまう。これこそ自由すぎるが故の罠なのか。


毎日仕事に行くことは
私の毎日の生活を整えることに役立っていたようだ、ということに気付く。夜の限られた時間でやる好きなことは楽しみな時間となり時間いっぱい楽しむことができた。
仕事終わりの楽しみって感じで。 


そういえば学校も同じ、
学生の頃の私は、美術や音楽が好きだったのでまだ終わらないでーと全力でその時間与えられた課題をやりきったんだった。
その頃から好きなことだけ時間に縛られずできるとどれだけいいだろう?もっと自由だといいのに、好きなこと集中して勉強した方が効率いいんじゃないの?なんて生意気にも考えていたなと思い出す。

時間制限がなんとなくあるからこそ、やる気も出るし、自由も楽しめるって本当だろか……。
こんな現象に陥りつつも、なぜだ、私が望んでいた自由が今ここにあるのに、それを思う存分楽しめばいいじゃない、って思う自分をまだ捨てきれずにいる。


自分にとっての自由と制限のバランスが、私はまだうまくとれないでいるんだろう。

完全なる自由を望んでいた私だったのに
意外にも「仕事に行く」という
ルーティーンにも入らないような些細なルーティーンに私は生かされていたんだなと思う今日この頃でした。


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