アゲハチョウ挽歌
仕事で駅に向かう途中……まだシャッターを下りた商店街の入口近くの路上に、アゲハチョウが伏していた。
艶やかな羽の、美しい蝶。しばし立ち止まってしまったが、風に揺れる以外動くけはいはない。
優しい小学生でも通り掛かればとも期待したのだが、早朝のことだし……いずれ近くの商店主によって、吸い殻や落ち葉もろとも、ゴミとして塵取りに掃き入れられるのだろう。
羽は外れ、足はもげ……やがて大量のゴミと交じり合って、この世から永遠に消え去るに違いない。
なに、蝶ばかりではない。人間だって……いずれ同じ運命なのだ。
思えば、人間には記憶というゴミ箱がある。雑多な記憶が、あんがい雑然と放り込まれているはずである。
今、思い出そうとしなければ、永遠に失われてしまう事物もありそうだ。
確かに幽霊を見たこと、西の空にUFOを目撃したこと。廃屋を一緒に冒険した昔の友、既にこの世にはいない家族……胸をときめかせた少女達……
僕はちょっと切なくなってくる。
そう、今……本当に今、思い出さなくてはいけない、多くの人達が、僕の記憶のゴミ箱に埋まっているのだ。
名の知れた人物というなら……仮に人々の「記憶」からは消え去っても……新たに「記録」として、方々からその痕跡を漁ることで……蘇ることもあるだろうが……僕の記憶に淀んでいるような人物は、僕が死ぬと同時に、永遠に消えてしまうは確実である。
例えば、大好きだった叔父の気取った顔、子供の僕を寝ずに看病してくれたお袋……肉ジャガを煮る祖母……
……そして何よりも、僕が愛したK子さん、……その短い人生の一コマであるとところの……最も美しかった瞬間!
……バスの中で、後ろ手にツツッと制服のスカートを引き上げた時の優雅な仕種……
好きです、と告った時の、桜色に染まったかんばせ……
今、僕が思い出さなくてはと思うと、真実胸が苦しくなる。
目を閉じれば、眼前に彷彿するというのに……僕には、それを写す彩管の才はない。
出来るのは……決して忘れてはならない人達の姿を、常に思い出し、どんなに辛くても、文章なりとも閉じ込める努力を惜しまぬことだろう。
仕事が終わり、帰りの、シャッターの上がった路上には、もとより朝に見たアゲハチョウの姿は掻き消えていた。
それでも……ふと目を閉じると、僕にはハッキリと見えたのだ!
かの美しいアゲハチョウが、優雅に天空を舞う姿が……