紙のつぶて
働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり……
啄木の歌がつい口をつく。
今年から幾分稼ぎの良いバイトに変えたので、少しは生活にユトリが生まれるかと踏んでいたのに、見事な誤算であった。
当然、去年から引き続き贅沢は避け、同じものを同じように……勿論値引き商品も抜かりなくと心得てはいるが……ユトリどころか、この一年かえって赤字のていたらくである。
もとより己の甲斐性のなさは理解してはいるが……とにかく物価の上昇には呆れるしかない。スーパーで買い物をしても、予定の金額をはるかに超えてしまう。加えて消費税の負担もズッシリと身に応える。
金持ちだけが優遇され、貧乏人はジリ貧に甘んじなければならないのだろうか?
政府の無策による経済の低迷は人心にも少なからず影響を及ぼす。
中国では、一時の繁栄ががた落ちして、ヤケクソになった人がとんでもない無差別殺人を繰り返している。中国政府は自らに非難の矛先が向けられることを恐れ、懸命の情報操作に忙しいが……いずれ、飛んでもない事態に発展する恐れもあるだろう。
日本でも短絡的強盗が、時には殺人までいとわず後を断たない。しかも若年齢化も進んでいるらしい。
少しでも考えれば、そんな割に合わないこと……と、言ったところで、明日に期待の持てない現状の、今今今の焦燥の中、カネカネカネの歪んだ世の中としあれば……後先考えずのキチガイ沙汰も、ある種の物理法則のようにも思えてしまうのだ。
憤懣が凝り固まり、その重量を増せば、重力の法則のままに転がり落ちてしまう道理である。
それでも多くの日本人はかなり我慢強いのだろう。必死になって現状を堅持し、……当てにもならぬ政府をそれでもどこかで信じ、よりよい明日を夢見ているのかも知れない。
「何時かいい時ゃ来るだろさ 何時かいい時ゃ来るだろさ 言いつつ死んだお婆さん」
……という戯れ歌がある。
模範的市民であるお婆さんには申し訳ないが……「いい時」は、たぶん来ないだろう。
……このままでは。
しかし、押さえ込まれた不満はやがては限界を迎えるだろう。
政府も、そんなことは百も承知のはずだ。
テレビでは、相変わらず芸能ネタやスポーツの話題ばかり。
新聞なども、戦前の、ひたすら好戦的に戰を煽ってきたのが本質であり、記事を四方から取り囲む広告の圧力の前にあって萎縮は進んでいる。
もちろん、目や耳を塞がれたとしても国民の不満はこの瞬間にも膨れ上がる。やがては、芸能人のゴシップや、視聴者にとっては一銭の助けにもならぬ億万長者のスポーツ選手の話題など……歯牙にもかけなくなるかも知れない。
その兆候は確かにある。このnoteの記事に於ても、世の中に対する憤懣は溢れている。
そう。取り合えず、隣国とは違って……言論の自由だけはあるのだろう。
当然それを阻止するソフトな戦術として、政治や経済について語ることは「ダサい」という風潮をしきりと煽ってもいる。
しかし、限度はある。我々の最後の、そして最大の武器である「言論」がいずれ革命的力を持ち始めることもあり得るはず。
それを阻止するために、ソフトな弾圧の一線を超え、よりハードな……そう。色々と屁理屈を捏ねながらも、いずれ「言論統制」が実施される恐れも杞憂ではないだろう。
もとより、現状に於ては、我々の言論などは、かっての学生運動における火炎瓶の威力もないし……単なる「紙つぶて」なのかも知れない。
それでも、僕は信じたい。仮に「紙つぶて」てあっても……これが積み重なれば、魔王をKO出来る剛腕のパンチになることを……
少なくとも、まだ「言論の自由」が保証されているうちに……