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叫びはどこへ行った

 

 昭和史の古い映像を見ていて、一番印象に残るのは、僕の場合、戦後まもない頃の学生運動の熱気である。
 そう。叫びが、一つの言語として機能していたように思えるのだ。


 当時、マルクスをどれほど理解していたかは定かではないが、漠たるユートピアとしての共産主義を夢見ていたのだろうか。

 今更いうまでもないが、当時の反体制的若者の多くはその後、ちゃっかりと転向したのみならず……その一部は、彼らが最も憎んでいたはずの体制側の擁護者として政治を、そして経済を牽引してきたのだろう。   

 古い映像の中には、新宿の西口地下広場の、反戦集会におけるフォークゲリラの歌声も、言語としての叫びが折り込まれていたはずである。

 同時代には岡林信康という「山谷ブルース」で知られた反戦フォークのスターも生まれ、かの「はっぴいえんど」をバックに、「わたしたちの望むものは」を熱唱する姿が残されている。時に泣き、声が枯れるまでに叫び、聴衆もそれに応えてはいる。

 その岡林の近頃にコンサートに於ては、あの叫んでいた人物とは思えぬ好々爺が、「懐メロ」として「山谷ブルース」を歌う。
 当時よりも喋りは達者になった反面……そこに、叫びを見いだすことは叶わない。歌詞に於ても、「共産主義」を思わせる部分はすっぽりとカットされ、……確かに聴衆の中には当時の熱気に身を置いた人達もいるに違いないが……かっての共感の手拍子の代わりに、カラオケにも似た間の手しか感じることは出来ない。

 僕自身、特段憂いているわけではない。

 マルクスの「資本論」を読了したのはずいぶん後年のことだし……そこに、バイブル的な価値を見いだすこともなかった。

 今では「反体制」という言葉すら反故になったきらいがあるが、それは必ずしも今現在の「体制」を全面的に支持しているとも思えない。

 それはおかしいだろう!

 そう抗議したいことは山ほどあるが……昨今、ごく一部を除いて「反体制」的な塊としての抗議は見かけない。
 たまに見かけても、「共産主義」の残党とばかり、冷たく瞥見されるのがおちかも知れないのだ。

 そう。叫びを忘れてしまったのだ!

 はっきり言って、僕は政治的にも経済的にも……これが理想の形といえるものを、提示することは叶わない。偏に浅学、非才の身を嘆く他は無いが……叫びの余力だけは残ってると信じたい。

 叫びとは究極の言語であり、叫べるうちは人間なのだと……憐れむべし、今は、そう呟くしかないのだが……

 ここで、ちょっと付け加えておこう。先に、アニメ「氷菓」について書いたと思うが……実はこの「氷菓」という言葉には「叫び」が隠れているのだ。

 氷菓=ice cream……i cecream……I scream……私は、叫ぶ! ……と……

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。