友人とは……
学生時代、就職の季節が近づいて、詳らかには覚えていないが……何やらアンケートのようなものを書かされたことがあった。
その一つに、友人の名前を何人か書き記す欄があった。
僕は結構思い悩んでしまった。三人ほど書くことになっていのだが……仲間のうち、たった三人に絞るのも難しい。当時組んでいたバンドのメンバーは五人だったし、他にも連れ立つ連中はそれなりに存在したはず。結局は振られてしまったが、ツンデレ彼女も当然、候補の一人であった。
僕は結局、一番目にトランペットのT君、二番目にピアノのO君……三番目は色々なやんだが、音楽を離れても哲学の話でよく論争したI君の名前を書くことにした。
直後のことだ。これは全く偶然なのだが……アンケートの集計の時、僕はふと他の人は誰を友人と記したのか気になって、チラ見してしまったのだ。
僕としては当然、トランペットのT君ならば、僕を友人の一人に加えているものと信じていたのだか、……果たして、そこに僕の名前はない。
そして、O君の欄にも、I君の欄にも僕は不在であった。
ちょっと悲しかったことは否めない。
ただ、たった一人……僕が候補にすら上げなかったドラムスのH君が、友人として僕を真っ先に上げてくれたのだ。
H君にはよく車で自宅近くまで送ってもらってもいたが、浪人した僕より年下の、ちょっと「弟」的な存在だったと思う。
もとより僕は、自分が友人の欄から除外されたことを特別根に持つこともなかったのだが……やはり、何故? という思いはあった。
まあ、有り体に言えば、僕自身サックスを吹いている以外存在感希薄なとこがあったらしい。
例えば、仲間と連れ立っていても……例えば、T君やI君がちょっといなくなると、「おい、あいつどうした?」と即気づかれる反面、僕がふっと姿をくらましても、誰も気づかないという位にカゲが薄かったのだ。
と同時に、僕本人に人間的魅力といったものが皆無だったのだろう。
当然色々と自己批判は試みたものの、僕はちょっと悪意に満ちた推理も働かせてしまったのだ。
そう。件のアンケートは、とり合えず就職のタメの資料なのだ。ついては、就職に少しでも有利な人物をあげたのではないだろうか?
思えば、僕には保証人たる父親はいない。当時、僕は平然とその事実を公言していたものだ。反して、仲間タチは揃って社会的地位のある父親がいるのだ。
翻って、ドラムスのH君の家は、かなり大きな段ボール関係の会社で、当人も跡継ぎとあって、就職には無関心だったのだろうか……
それでも、当のアンケートの結果は、「友人」とは何か? ということを考えるきっかけにはなったかも知れない。
以来、僕は「友人」という表現を殆ど使ったことはない。
卒業後、小説を書き始めの頃だが、行きつけのcaféのマスターとファッョン論などで息統合し、色々遊びにも行ったのだが……ふとした切っ掛けで仲は薄れ、今では全く会ってもいない。
バイト先での仲間も、人から見れば「友人」と見られたかも知れないが……実際の所、自分の本音を語ったこともなく……あくまで「知り合い」としか思っていない。
もちろん、連絡さえすれば、一緒に飲める人物は何人か思い当たるが……僕は金輪際自分から連絡を取ったことはない。
つらつら考えるに……僕にとって唯一「友人」だったのは、既に故人である無頼の叔父2だけだったようだ。
肝胆相照らす。……という表現がある。自らの弱さ、醜さも酒精の勢いのまにま、吐き出しあっていたのかも知れない。
しかし、本当だうか?
はっきり言って、僕は自らの心の心奥すら、全く分かっていないのだ。たぶん、一生かかっても、底の底までは到達出来ないだろう。
自分にすら計り知れない心奥を、他人に披瀝するなど可能なのか……
それが出来ない以上……僕にとって「友人」は、生涯不在なのかも知れない。
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。