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福笑い

 
 正月というと、いろんな遊びが頭に浮かぶが……昨今、本当にそんな伝統どおりに遊んでいるのだろうか?

 ちょっと、ガキの時代を思い返してみよう。

 まず、凧揚げ。

 ……ちっちゃい頃、確かに凧は買ってもらったが……糸を引っ張っていくら走っても……空には舞い上がらず、地ベタを擦っていた記憶しかない。
 「カラス凧」だったことだけは記憶にある。たぶん、空には「残飯」はないと判断したのだろうか……

 次に、羽子板。

 ……だめだ。羽子板をついている女の子のイメージはウッスラ残っているが……自分が羽子板を持っているイメージは湧いてこない。
 顔に墨でバッテンを描いたりするのも、漫画でしか見たことがない。

 次は……そう、独楽回し。

 ……実は、木製の本当の独楽も回したが……僕としては、「地球独楽」というジャイロ効果を応用した奴が好きだった。かなり長い時間回り続けてくれるので、安心感があったらしい。
 一般の独楽は……なぜか不安感が漂って好きになれなかったのだが……今考えるに、もしかしたら、そこに「人生」を見ていたのかも知れない。
 そう。回りつづけること……すなわち働き続けなくては生きていけない宿命。それでもいつかは……回転も鈍り、老人のようにヨタつき……そして、回転が止まるとガクッと倒れてしまう、まさしく「死」の瞬間の象徴だったのだろう。
 たぶん、いつか別れなければならない、家族を重ねてしまったらしい。

 次……ええと……双六。

 たぶん「人生ゲーム」の原点なのだろう。人生など知りようもなかったのだから……あまり遊んだ記憶もない。
 マセた友達の一人が「バンク」とかいう、土地を買ったり売ったりのゲームが好きで、無理矢理に遊ばされたが……所詮「遊び」……百万長者になっても何も嬉しくはなかったはず。

 次に思い出すのが、カルタ。

 これも、トランプとか……祖母に教えてもらった花札あたりでは、かなり遊んだの思う。流石に「いろはカルタ」は、家にはなかったはず。
 そう。誰に教わったのかは定かではないが……「ポーカー」は好きだった。
 ただし、「ポーカーフェイス」と「無表情」の違いはなかなか理解出来なかったけれど……

 他にも正月の遊びはいくつもあるが……僕にとって一番興味深いのは「福笑い」なのだ。

 目隠しの状態で、勘を頼りに目鼻のパーツを置いてゆく遊びである。

 思えば、これにはかなりハマった記憶がある。要は、「おかめ」とか「ひょっとこ」など縁起の良い面を原形として、パーツを組み込んでゆくのだが……なにせ目が見えないのだから……後で見ると、とんでもない形相になっていることが多い。

 せっかくの縁起物なのに……「怒り」や「悲しみ」、時には「絶望」といった表情が出現することもマレではない。

 まさに、人の世の生き様の表徴かも知れないのだ。

 誰だって、笑顔で一生を過したいはずだが……運命というやつは、まさしく目隠しのゲーマーそのままに、意思だけでは何ともしがたい。
 まさしく福笑いさながらに、一生を通して、人は様々な表情の「生」を生きることになるのだろう。

 せめて年の始めくらいは……ちょっとズルをしても、笑顔から始めたいと思うのだが……

 皆様の「福笑い」が、笑顔であることをここにお祈りいたします。

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銀騎士カート
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。