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夢の味のカレーライス
今までの人生に於て、一番美味しかったカレーライスについて話そう。
時は遡る。僕がまだ二十歳ごろのことだ。
学生時代のジャズクインテットの、トランペット担当のT君の兄貴が某劇団に所属していて、その繋がりで音楽の担当をまかされたのだ。
完全にオリジナルの、全てに於てかなり前衛的な不条理劇だったと思う。
当然脚本も前もって渡され、稽古にも定期的に参加したが、内容の晦渋さにホトホト参ったものであった。
いや、それ以上に、これ叉オリジナルという楽曲の、譜面の読めぬ僕としては四苦八苦だったはず。
それでも、それ以外は劇の盛り上がりのまにま、殆どアドリブで是とあれば、僕としても多少は安堵したものだ。
劇団員は全員プロを目差し、演出家のヒゲもじゃなどは、大道具などの大工仕事の折り、口癖のように呟いていたものである。
「将来の天才演出家にも、こんな時代があったんだ……」
もとより演劇なんぞ僕にとっては門外ながら……俳優の卵達はいずれ劣らず個性的で、とにかく熱気に溢れていた。
僕にして当てられっ放しながら、人懐こい劇団員とはすぐに仲良くなり、中にはギターやピアノをこなすのもいて、即席のバンドを組んで楽しんだこともあった。
とにかく、劇団員達は芝居の話になると饒舌で、ベケットとか別役実とかの名前がポンポンと飛び出す。そして芝居という「夢」の話になると、その語り口からして、誰もが名優に見えたほどだ。
ただし、当時二十歳の僕は、文学とも無縁であったし、将来の夢といわれても……ぼんやり、イラストレーターになりたいと思っていたくらいである。
いずれにしても、稽古……そして何度かの公演の間に、旧知のごとく仲良くなり……俺達は永遠の友人だ! などと言って抱きついてくるような手合もいたのだから……
僕のサックスによるアドリブも、完全に前衛を気取って、調性など無視で、しかもワザと潰れたようなダーティーな音で叫んだりしたのだが、演出家には気に入られたようであった。
かにかくに、公演も無事終了。
色々と片づけの終わった後、全員揃って打ち上げという段取り……
ところが、そもそもが貧乏劇団の貧乏役者の集まりとあれば、どこそこに繰り出すというわけにはゆかない。
ついては、……これは予て予定したらしいが、カレーライスがメニューに上がったのだ。
ところが、貧乏の悲しさ……肉を買うカネがない。
野菜は、どこぞ地方から送ってきてのが段ボールにたっぷり……要は肉なしの野菜カレーである。
とにかくデカイ寸胴鍋で煮込むわけだが、野菜の切り方なんぞマチマチ、入れるルーも何種類かごちゃまぜだったはず。
そしてたっぷりと煮込んで野菜もトロトロになったところで、全員輪を作って板の間に胡坐をかく。
さて、給仕なのだが……なんと皿がない。
が、そんなことはお構いなし。アルミホイルを皿代わりに、プラスチックのスプーンでカレーをかっ込む。
僕自身はっきり言って、家ではビーフカレーを好んでいただけに、ちと退き気味だったのだが……猛烈な勢いで食する劇団員達に当てられ、恐る恐る口に含んでみると……
美味い! 間違いなく、美味い!
たぶん、大盛りを二人分くらいはお代わりしたと思う。
その後、どこぞ差し入れだという安物のシャンパンを飲んで大はしゃぎが続いたのだが……調子に乗って飲みすぎたらしく、家に辿り着くまでの記憶も吹っ飛んでしまった。
今にして思えば、あの野菜カレー……なぜあれほど美味しかったのだろう。
理由は判っている……牛肉こそ一片も入ってはいなかったが、あのカレーには「夢」という飛びっきりのスパイスが利いていたからだろう……
永遠の友……などと言われたものの、僕達は、少なくとも僕は……彼らの一人として再会するこことはなかった。
残念ながら自らを天才と嘯いていた演出家の名前も、今日に至るもで聞いたコトはない。
劇団員達も……たぶん今ではバラバラになり、それぞれの人生に齷齪しているのかも知れない。
それでも、僕は信じたい。あの日食べたカレーの味を、彼らがフト思い出すことを。
僕が、そうであるように。疑いようも無く……あのカレーライスは「夢の味」がしたのだから……
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