
鉄のフライパン
まだ踏ん切りはつかないのだが、「鉄のフライパン」の導入を考えている。
色々と調べてみると、俄然料理が美味くなるし、若干ながら鉄分の補給にもなるらしく……何よりも、長年使え、使えば使うほど育ってゆき、愛着も生まれてくるという。
僕にして、どちらかと言うと「使い捨て」よりは、長年愛着を感じつつ使いつづける品のほうが好きなのだ。
ギターや万年筆にしても、目一杯高価な奴を買ったせいか、共に十年を過ぎているが、ちょっとした染みにすら愛着を覚えている。
特に、万年筆……、安物はすぐにペン先が潰れてしまうのだが、愛用のMont Blanc149は、こっちの手癖までも飲み込んでいるようで、多分、他人が使ったなら使いずらいだろうが……僕としては、唯一無二の相棒である。
こんな僕のことだ……「鉄のフライパン」は向いているとは思うのだが……正直、料理は音楽や小説ほど愛しているわけでもなく……今までは、スーパーで安売りしているようなテフロンのフライパンをいくつか買い替えてきたわけで、愛着が生じたためしはない。
確かにテフロンの奴は、新品のうちはくっつくこともなく、手入れもいい加減で良く……所詮一、二年使えれば上等と言える。
多少人体に有害とも聞くが、ストレスのなしの利便性との引き換えとして目をつむってきた。
しかし、一端寿命のきたテフロンときたら……いっそイライラする。唯一の取り柄である、「クッツカナイ」が抜け落ちてしまえば、何の愛惜だにないガラクタに堕ちてしまうのだ。
そこで、「鉄のフライパン」を思い立ったのだが……一つ難関がある。
そう。「油がえし」という手間が必要らしい。
要は、使用前に必ず、多めの油で馴染ます必要があるという。中華料理店などでよく見かけるながめである。
大好きなギターなどでも、ついついメンテを怠ってしまう僕のことだ……果たして励行出来るだろうか?
思えば、僕が子供時代……家にあったフライパンといえば全て鉄製だったはず。
今、目を閉じて思い出そうと努めてみたのだが……祖母にしてもお袋にしても、「油かえし」などやっていたのだろうか?
それでも、肉を焼いたり、焼き飯を作ったり、目玉焼きなどを作って……変にこびりついていたとは思えない。
たぶん、テフロンなどない時代のことだから……多少くっつくのは普通、後は、フライ返しなとで、こそぐように使用していたのだろう。
確かに、目玉焼きがフライパンの上でスルスルとは動かなかったと思うが……
よし!
テフロンのどこか怠け者現代人に媚びた世界を一端忘れ、フライパンとは元来少しはくっつくものと開き直ってみけば……「鉄のフライパン」も案外導入しても良さそうである。
頑丈が取り柄の「鉄」のことだ。手入れをサボって、万が一錆び付いたとても、ガリガリたわしで磨いてやれば、再生してくるのだろう。
別に、どこぞの料理研究家ではないのだ。案外、長く付き合えるヤンチャな相棒になってくれそうである。
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