酔生夢死
「酔生夢死」……という成句がある。
意味も無く、徒(いたずら)に一生を終える、という……かなりネガティヴな生き様である。
もとより、この発想を逆転して、肩ひじ張って齷齪生きるより、自由気儘に生きようぜ……というポジティヴに捕らえることも出来そうである。
いずれにしても、僕の信条であることに変わりはない。
出典は、北宋時代に活躍した程顥(ていこう)という儒学者らしい。
雖高才明智 「高才明智なりと雖も」
膠於見聞 「見聞に謬(あやま)れば」
酔生夢死 「生に酔ひ死を夢見て」
不自覚也 「自覚せざるなり」
要は……才能があって知識豊富でも、見たり聞いたりしたことに拘(こだわ)ってしまうと、酔いに生き夢の中で死ぬことになる、なかなか覚ることはないけど……
肝は「膠」の字にあるだろう。……「にかわ」……べったり張り付いてしまった「思い込み」と考えたい。
「見聞」は、今で言えば「情報」に当たる。
情報を鵜呑みにして、それに拘ってしまうと……結局はロクな人生を送ることは出来ず、本人にして、それを自覚することもない……
そんな生き方を「酔生夢死」とネガティヴに捕らえたに違いない。
そう。どんなに偉い先生の言葉でも、そのまま信じていいのか?
世間でどんなに賛嘆される政治家に対しても、そのまま誉め称えていいのか?
これが勝ち組の生き方だと、そんなハウツー本なんぞ鵜呑みにしていいのか?
我々に提供されている情報の全ては、手付かずの大自然でない限り、必ず誰かの価値観を以て再構築され、時には捏造された加工品に違いない。
加工品には、場合によっては毒ともなる添加物が含まれているものである。
そんな加工品を健康のためと思い込み、拘って、何も疑わずに摂取し続けたら……はて、どういうことになるのか?
これが食品ならば、肉体が蝕まれるだけだが……「あてがわれた情報」ならば……蝕まれるのは魂の方だろう。死に至るまで、そのことを自覚することも叶わぬままに生きることになるのかも知れない。
「見聞」とは、自らの足を使い、自らの感性をもって……いっさいの添加物のない知識として獲得するはずのものである。
「自然食」がブームになっているのなら……その延長として、「情報」も自然食を選びたいと考えている。
その結果、仮に孤独地獄に落ち込んだとしても、後ろ指差される負け組に伍したとしても、僕は一向に構わない。
そして、ポジティヴな意味としての「酔生夢死」を生きたいと、激しく思っている。