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目覚まし時計の階級闘争

 カネも女もいらない。地位も名誉も求めない。とにかく……「目覚まし時計」のない世界にゆきたい……
 時々、そんなふうに思う時がある。

 世の中、何が癇(かん)に障(さわ)るかと言えば……朝、がなり立てる凶鳥(まがどり)の絶叫にも似た、あの小癪なる……あえて人間精神に打撃をあたえる周波数の、狂気の軋(きし)み……華麗なりし夢の花園を踏みしだき、光のメロディーを紡ぐ満天の星々を蹴散らし、月も蕩(とろ)ける海辺の静寂を破る……あの忌忌しい、絶望の呪い……そして何よりも、愛しき順子ちゃんとのお伽の国での逢瀬を引き裂く……あの嫉妬深い、情けも優しさも、刹那の猶予さえ奪い去る……悪魔の化身たる目覚まし時計のベルの音!

 僕の憶測だが,目覚まし時計が発明されたのは、たぶん産業革命以降のことだと思う。
すなわち、エンクロージャー等の影響で、自らの故郷を離れ、人々が都市に押し寄せてからだろう。「労働者」の誕生である。
 それまでの労働とは家族単位で、時間の制約はなかった。なに、当然自然の摂理という制約はあったにして、各自好きな時間に働き、好きな時間に休んでいたはずだ。
 もとより、生活は苦しく……「豊かさ」を求める心情は巷に溢れていたことだろうが……

 況んや、肉体以外に売り物を持たぬ都市に群がる人々の腹の虫は、さぞや怨嗟の中……満腹の欲望に突き動かされ……凍えた寝床で「豊かさ」の夢を貪ったことだろう……

 「豊かさ」を求める欲望に一端火が点いたところ、燎原の火のごとく……資本主義は世界を覆い尽くす。「豊かさ」の代償として、人は時間の奴隷に身を落とす。労働へと駆り立てるモノは、剣でも銃でもなく……始業終業を告知するベルの音に違いない。
 労働は搾取を産み、阻害をもたらす。資本家を除いて、「豊かさ」は到来するはずのない「神の国」にも似て、働くほどに遠ざかる。

 思えば「化城(けじょう)」という言葉がある。
「化城」とは何か。仏が衆生を導く際の方便。困憊(こんぱい)し意欲をなくした衆生に見せる、すぐ目の前の城。においたつ蜃気楼。衆生は再び、気力を取り戻して歩き出す。「化城」とは何か。もろもろの夢。希望という旨い朝飯。涎したたる正餐を期待させる快いプレリュード。しかし、正餐はない。夢はない。その代わりに、又「化城」は見える……

 労働者の憐れなる末路である。

 そして時は流れる……過労死の代償として、一時は「一億総中流」なる幻想がまかり通ってもいたのだ。BGMはてっきり、葬送行進曲だろう……

 そして時は流れる。幻想は破れ、目減りした「豊かさ」の背後には憲兵ならぬ、非情の目覚まし時計が張り付いて離れない。
 疲れ切った民衆は、ひと時の享楽に甘んじて、革命を唱える人間を「愚か」と罵倒する。
 確かに……「階級闘争」は、冬の花火に終わってしまったらしい。

 しかし。階級がなくなったわけでもない。「格差」という新しい言葉は何を意味するのか?
 たぶん、「目覚ましに怯える人」と「目覚ましを楽しむ人」との隔絶に違いない。
眠い目を擦りながら仕事のために起きる人……そして一方には、欠伸をかみ殺しながらも、楽しいゴルフににんまりと起きる人。
 貧乏人の僕には、「ゴルフ」などという在り来たりの例しか上げられないが……たぶん、ある種の人達には、早起きしても見たい、見続けたい世界が開けているのだろう……

 それでも、僕は眠い目を擦り、言葉も通じぬ非情の「機械」をなじりながらも……ふと、口をつく言葉がある。

 そう。「目覚まし時計の階級闘争」……

 

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銀騎士カート
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。