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異世界に遊ぶ

 アニメを見ていると、圧倒的に「異世界モノ」が多い。たぶん、「指輪物語」あたりが根っこになっているのだろう。
 召喚なりされて、荒唐無稽のドタバタが始まるわけだが……基本、主人公が本来の日常で抱えていたはずの、数々の悩み事が大方割愛されている場合が多い。

 受験や家庭のイザコザ、友人との確執……平凡な日常の繰返しに対する漠とした不安……家族の病や死……恋愛の不確実性……この世に生きている人間ならば、何人たれ逃れることの出来ない宿命だろう。

 そこから一時でも逃れたいという願望が、夢や異世界といったファンタジーに人を誘うに違いない。

 僕だって、そうだ。一杯ひっかけながらアニメを鑑賞していると……ふと、ありもしないエルフとの交流も、魔王との争いも……登場人物の一人になって楽しんでしまうこともある。

 とは言え、僕としてはどうしても気になってしまうことがあるのだ。アニメ空間で、好き放題、時には死んでさえ蘇ったり、意気地なしの身が圧倒的な勇者に大化けして、自由奔放に駆けずり回りながらも……ふと、トイレにでも立った瞬間、何やら空しさに襲われることがあるのだ。

 空想の中とはいえ……俺は本当に自由なのだろうか?

 思えば、異世界の舞台としては、定番のごとく中世のヨーロッパが下敷きになっている。
 言わずもがな、キリスト教に雁字搦めにされた時代だろう。魔術も魔女も悪魔も、キリスト教の捏造した妄想に違いない。

 もとより、我々視聴者からすれば……そんなことはどうでもよく、アニメの原作者にしたところで念頭にはないのかも知れない。

 確かに、日本人の一人として考えてみれば、宗教の柵は薄く、舞台がどこであれ、楽しければいいのだろう。

 しかし、僕がトイレに立った時に覚える不安とは……やはり、どうあっても振り切れない日常からの圧迫なのだ。

 用を済ませ、グラスの酒をあおり……再び、異世界に身を投じようした瞬間……僕はふと、自分が……何もキリスト教とは言わないが……ある種、宗教的陶酔に逃避しているような気分に陥ることがある。

 もしかしたら、無宗教のはずの日本人の唯一の宗教が「アニメ」ではないのかと……

 朝、目覚ましに叩き起こされると同時……僕達はいやでも日常との対峙は避けられない。
 もしかしたら……少しでもアニメの勇者に近づきたいのなら……この日常という、途轍もない魔王との対決にこそあるのかも知れないのだ。
 日常に於て、僕達は魔法も使えないし、色っぽいエルフの助力もない。
 にもかかわらず……

 早朝の電車に揺られていると……時としてヘッドホンを耳に、スマホでアニメを見ている人を見かける。

 僕にはなんだか、知識から目や耳を塞がれた暗黒中世の、祈るしか術のない庶民の、空しいお祈りの姿に見えてしまうのだ。

 本当に闘うべき魔王こそが……実は、日常に君臨する教皇なのかも知れないのに……

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銀騎士カート
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。