時には飛びたくなる
僕はパソコンはiMacの27インチを使っているのだが、時としてブルートゥースのマウスのポインターが挙動不審になることがある。
フォルダーやアプリ起動のためにクリックしようと思っても、ポインターが言うことを聞かない。勝手に動いたり、消えたり、飛び回ったりするのだ。こんなイライラすることはない。ネットで調べても、たいして有効な改善策は見つからない。とはいえ、いつの間にか正常に復帰しているのだから、特別深刻には考えてはいなかった。
つい先だっても、ポインターが勝手にに飛び回り、無駄を承知でいろいろネットで調べてもみた。もとより、徒労に終わったが、一つ……面白い意見を拝見した。
「ポインターだって、時には飛びたくなる……」
とたん……目から鱗が落ちたように思えたのだ!
思えば、僕の日常だって、かなりポインターみたいなものだ。自分の意思とは無関係に同じ時間に叩き起こされ、同じ道を歩き、同じ電車に乗り、同じ職場でクソ仕事に耐える。帰りも、ご主人様の意向のまにま、再び同じ電車に乗り、同じスーパーで、同じ安物の食材を漁る……
家に帰り、自由時間を取り戻したとしても、日常の制約は山ほどあるだろう。
俺というポインターを操るご主人様とは、一体何者なのか?
そう。生きる……という意思を持った瞬間、人は レント(地代などの収入)に負ぶさった輩以外は、「労働」という地獄の獄卒に操られるポインターになるしか生きる術がないのだろう。
そして、やっと許されたわずかの時間……僕は、自由なポインターになれるのだ!
創作すること……夢を見ること。
僕はふと思う……宇宙の摂理という神様に操られた、ポインターの一つである「月」。
よくも耐えてきたものだ! 僕ら人間の生息するずっとずっと昔から、指令のまにま盈月(えいげつ)と虧月(きげつ)をサラリーマンの日常さながらに繰り返してきたのだ。
君に……夢を見る時間はあったのだろうか?
君に……自由なひと時があったのだろうか?
僕は……、夜空を仰ぎ見る。見てみたいのだ……
月が……自由なポインターとして、飛び回り、神様の預かり知らぬ「夢」というアプリを開き……ドーナツ型の姿に変身している……そんな姿を……
ぜひ、見てみたいのだ!
僕は二度と飛び回るパソコンのポインターに、難癖をつけるつもりはない!
追伸……再び、気が狂ったようにポインターが飛び回る。ご主人様を振り切り、神を振り切り……自由に飛び回り、自由に踊り……そして、パタリと動きを止めた。
そう。いずれ、我々にも無縁てはない、「死」の静寂が訪れたのだ……