現実と空想のハザマにあって……
僕は、運転免許証を持っていない。
思えば、大学に受かった直後、学費等を工面してくれた叔父1から、
「免許くらい取っておけ。カネは俺が出す」
……と言われたのだが、あっさり断ってしまった。車には全く興味がなかったのだが、今にして思えば、運転以外にも利用価値はありそうだし、取得しておいても損はなかったと思えるのだが……
ただし、もし僕が車の運転などしようものなら……やたら事故っていたやも知れないのだ。
そう。普通に歩いていても、あるいは自転車に乗っていても、僕はふと注意力が散漫になることがあるのだ。
要は、頭の中の空想や、目に見えているけしきに対し……あらぬ連想が繰り広げられ……目は開けているはずなのに、実は何も見えていないという瞬間があるのだ。
歩行に於ても、電柱にぶち当たったり、知らず信号無視したり……自転車の場合は、つい先だっても、目の前に広がる廃屋に注意が持って行かれ、段差に気付かず横転してしまったのだ。膝をイヤというほど強打したのだが、案外骨が丈夫らしく、痛み止めにロキソニンを二回ほど、後は湿布を二三度貼っただけで事無きを得たが……
一般的に言えば、通勤途中など……当然色々とけしきは移り変わってはいるはずが……多くは、昨日も一昨日も、多分明日も明後日も同じだろうと思い込んで、なんら感慨を抱くこともないだろう。
僕にして、その方が俄然多いのだが……時として、
あれ? こんな所にこんなcaféあったっけ?
あれ? ここにはラーメン屋があったはずだけど……
あれ? 今二階の窓からチラと見えた女の子、可愛くなかった?
あれ? この駐車場……その前に何があったっけ?
なんてことが引金になって、空想が始まってしまうのだ。
この瞬間は、完全に視界の情報と脳は遮断されてしまい……ま、見えてはいるが見えていない、といった状態なのだ。
電柱にぶつかるのも当然かも知れない。
こんな僕のことだ、車など運転しようものなら、毎日が地獄だろう。
ただし……僕は車の運転みたいに人に危害を与えぬ限りは、突然始まる空想の連鎖を制御したいとは思わない。
額の瘤や、足の殴打……あるいは電車の乗り越し程度なら許容範囲なのだ。
僕が一番恐ろしいと思うのが……日常のけしきを、スマホの地図アプリのように認識し、そこに何ら違和感を覚えないという感覚である。
ちょっと大げさな言い方になるかも知れないが……生きること自体が、予め用意された、人畜無害のアプリの道筋に沿ってしまわないか……という危惧である。
どんなに見慣れたけしきであったにして……時は流れ、空間は歪み、常に変化を繰り返しているものだ。
一見、何ら動きの見えない一本の巨木にしても……アプリ上の画像とは違い、確実に落葉し、芽吹き、光に向かって枝を伸ばし続けているはずである……
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。