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ルールはどこまで守る?
人間と言うのは不思議なもので……頭を使わずとも、しぜんある種のルールに従っているらしい。
挙げればキリがないが……身近な例で言えば、「交通ルール」。まあ、幼稚園児や小学生ならば、「赤信号では止まりましょう」とか「横断歩道では手を上げて」などと教えられるのだろう。つい赤信号なのに横断しようとすると、「先生に言ってやる!」なんて言いかねないイヤらしい優等生がいてもおかしくはない。
しかし、大人になってから、つい見上げる信号に対し、先生の教えを思い出して行動を決定するなんてことはまずないだろう。
そう。赤信号を見れば、つい反射的に立ち止まる。もちろん、敢て信号無視をする人もいるだろうが……たぶん、どこかで後ろめたさを覚えているのかも知れない。
僕などは案外律義な方で……数年前まで赤信号では、仮に夜、人通りも車も絶えている時間帯でも、アホのように立ち止まっていたものであった。
そんなある日……ふと考えてみた。なぜ、赤信号を見たら止まらなければならないのか?
当然、交通事故等に巻き込まれないため……と言う大義名分はある。
が……車も人もいない交叉点で、いちいち立ち止まる必要があるのか?
もちろん、多少でも人通りがあって、そこに小さい子供でもいる場合……僕の信号無視に釣られて横断した結果、それが事故に繋がったとすれば、言い訳のしようもない。
しかし、全ての「危険」に繋がる条件をクリアしているケースでは、断じて「ルール」は存在しないだろう。
多少でも、信号無視に「後ろめたさ」を覚えるとしたら……それはたぶん道徳律なんぞではなく、知らぬ間に頭に刷り込まれた、言ってみれば「洗脳」されている証ではないのか。
まあ、「交通ルール」などはほんの一例にすぎないが……改めて世界を見渡してみると……いかに自分が知らず知らずのうちに、様々な「ルール」に雁字搦めであるかが分かるだろう。
そう。「言論の自由」などと言う「大義名分」にして……実は、多くの「ルール」に縛られているはずだ。
ネットなどで見かける、根拠不明の誹謗中傷の類い。当然、これにいかに対処するかは一筋縄ではゆかないが……実は、もっと深い所の「暗黙のルール」に縛りつけられている場合も存在するだろう。
このnoteを例に上げるならば……カクカクシカジカの内容は、書かない方が懸命だろう……。
もし、その理由を熟知しているのなら……かかる理不尽を糾弾し、それを打破するための方策を練り、行動に移す可能性もあるはずである。
しかし、一番恐ろしいのは、理由を自らの頭脳で考えることを拒絶し、刷り込まれた「洗脳」のままに、自らの意思を削除してしまうことだろう。
いずれにしても、僕は「ルール」全てを「悪」である、などと言うつもりはないが、少なくとも、自発的な人間の思考に関所を設けるような「ルール」に関して……しかも、無意識の裡にその「ルール」に従ってしまいそうになったのなら……まずは、自らの頭脳にその理由を問うことだけはやめるつもりはない。
取りあえず、交通ルールとしての「赤信号無視」を勧めるつもりもないが……国家のシステムに関しては、断固たる意思を以て、「信号無視」も厭わない覚悟だけは持ち続けたいと考えている。
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