ミステリーに生きる
涼しくなってきたので、先日久しぶりに公園読書を楽しんだ。
家を出る前、押入れに手を突っ込んで……つい指に触れた文庫本の、題名も作者も知れずバッグに押し込んだしだいであった。
目的の公園で自転車を降り、ベンチに腰を下ろして、文庫本を引っ張り出してみると、ロブ・グリエの「消しゴム」であった。随分前に読んだ奴ながら……思えば一時ヌーボーロマンにハマり。ビュトールの「時間割」などかなり熱を入れたはず。
本日持参した「消しゴム」も、これはたぶん安部公房の「燃えつきた地図」にも繋がる実験作だろう。
ミステリーの様相を呈しながらも、死体も犯人も出てこない……ネタバレになるので作品には触れないが……やはり、精神が特殊な揺さぶられ方をするのは間違いない。
思えば、我々の人生も言って見れば一編のミスとリーに違いない。特異な事情の持ち主でない限り、現実の警察も探偵も出て来ない。
しかし、自分がこの世に誕生したという……途轍もない事件の中、いくつもの犯罪が演じられ、証拠は過去に葬られ、犯人の行方も判らない。
記憶という唯一の証拠物件たる記録を繙いたにして、事実関係は錯綜し、時に捏造も加えられ……場合によっては黒塗りで判読不能のページにも出くわすものだ。
もとより、厳然たる死体も、犯罪の痕跡も不分明とあって、犯人を突き止める手段とてあてずっぽうに彷徨うしか術がない。
しかし、明らかに犯罪の痕跡を読むことは出来る。偶然の場合もあるし、ふとした思い付き、あるいは連想の類いから……過去に起こった犯罪を探り当てるのだ。
時には、地中に秘匿された小箱や壜の中に、血に塗れた衣服の切れ端が……あるいは錆びたナイフが掘り出されることもある。
いったい、いかなる犯罪が人生という舞台上で引き起こされたのか?
その時、我々は犯人を追う探偵でもあり、もしかしたら懸命に逃げつづける犯人そのものかもしれないのだ。
公園からの帰り道……僕は前を行く人も、バイクのライダーも、僕が求める犯人ではないかとの錯覚に襲われた。
と同時に、僕は何度も背後を振り返りたくもなってくる。
そう。僕自身を犯人と決めつけたもう一人の僕が……背後に迫っているように思えたのだ……
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。