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黒板を引っ掻く
子供の時、庭先で遊んでいて、つい転んだ拍子に廃材から突き出ていた古釘がふくら脛に突き刺さったことがあった。長さ十センチ以上の、しかもかなり錆びたやつである。
痛さというより、突き刺さっているという感覚に恐れをなし、反射的に引き抜こうと試みたものの……今でもその感触は覚えているが……中で接着でもされているようで、なかなか引き抜けなかった記憶が強烈に残っている。別に泣き出しはしなかったが、たまたま近くにいた祖母が、即僕をつれて自分の行きつけの医院に直行してくれた。その間、痛みもなくスタスタ歩いていたのだから、大した怪我でもなく、黄色い消毒薬のガーゼをあてがうだけの、あっさりしたものであった。
ただし、この体験がちょっとしたトラウマになったらしく、以降、映画やドラマなどで、矢が突き刺さるといったシーンに対して、人よりも不快感を覚えるようになってしまった。
なかなか、表現は難しいのだが、ある種の悪寒のような、痛みとは叉違う、拭い難い、気持ちの悪さなのだ。
もしかしたら、黒板を爪で引っ掻く感覚に近いのかも知れない。
思えば、矢が刺さる体感的不快感は、トラウマが起因と考えられるが、黒板に爪の不快感はどこから来るのだろうか?
ちょっとネットで調べてみたが、納得出来る解説はない。所詮ネットの情報など、コピペの安直掲示板と思い知ったほどだ。調べて分からないのなら、考えればいいだけの話である。
些か自虐的ではあるが、黒板を思い切り引っ掻く様を想像してみた。
やはり、強烈な悪寒に近いが、それとも違う。同時に、爪に気味の悪い痒みと言うか、何かが溶け、崩れていくような感触が走る。
そしてもう一つ……無意識のうちに歯を食いしばってもいる。何かを堪えようとしているのだろうか? それとも、何かを噛みしめようとしているのだろうか?
ふと、頭の中に電球が光る!
そう。黒板を引っ掻いた時の不快感は……もしかしたら太古の記憶である、野獣時代の名残ではないのだろうか?
獲物を爪で捕らえ、引き裂き、血と脂の感触を覚えると同時、その肉に牙を剥いて噛み付く……。あの「キーーーーッ」という音は、犠牲になった獲物の、断末魔の叫び声ではなかったのか?
待て、待て。獲物を捕らえ、それを食するは本能に違いなく、生命体にとっては充足のはず。その過程に不快感を覚えるとは、どういうことなのだろう?
答えは、我々がすでに「人間」だからではないのか?
人類は小賢しくも、自らを「進化」と評価する向きもあるが、遍く生命体の世界から見るならば、造物主の賜物であったはずの「本能」を切り捨てた異端者に違いない。
本能の代替として脳細胞に活路を見つけ、万物の長と思い上がる道筋に於て、野獣時代の記憶を野蛮で唾棄すべき様態と思い込んだのだろう。
それ故の、不快感。かって自分が野獣であったことに対する拒絶反応。そう考えると、少しは納得がいくように思えるのだ。
とはいえ、万物の長と思い上がった果てに、人類は自らの親である神を殺し、神の親である自然を、自然の親である地球をぶち壊そうとしている。
人類は、今こそ謙虚になるべきだろう。進化の驕りを捨て、野獣であった時代を振り返ってみるならば……案外、黒板を引っ掻く音こそ、生命の奏でる、充足の歌声と聞こえるかも知れない……
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