人の顔色
少年時代……少なくとも中学の頃まで、僕は人の顔色を窺うタチであった。
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中学時代O先生という国語の教師がいて、かなりおジィさんだった印象があるのだが……僕の作文を最初に評価してくれた人だった。
O先生の授業というのも一風変わっていて、教科書などほとんど使わず、ひたすらのお喋りに徹していたのだ。その日見かけた事物や、思い出話、あるいは道徳的訓話の類いであった。ちょっとこ難しい小説の話も、子供相手というのでもない姿勢で熱心に説いていたはず。案外自身、小説でも書いていたのかもしれない。
ちょうど、京都方面への修学旅行が終わった食後……これをネタら作文を書けという流れになった。
僕は……当初、「三十三間堂」を見学した際の、異常なまでの感動を綴る予定だったのだが、直前になってこれを自らに禁じてしまったのだ。
というのも、当の修学旅行に於て、通例のごとく「枕なげ」に夢中になり、仲間の絆を育んだ手応えを覚えていたのだ。
そして、もし作文を書けと言われたら……この「枕なげ」を書こうと、暗黙にうちに仲間裡で約束してしまったのだ。
結局、僕は……授業での作文に於いて、この「枕なげ」を……自分の好みではない……仲間うちに受けるというだけを念頭に書くことにしたわけだ。
はっきり言って、自分でも判っていた。こんなのは作文ではなく……単なる友人の名を列挙しただけの戯言であると……
書いた作文は、その場で何人かが読み上げることとなった。
中の良かった友達がまず……自分の書いた「枕なげ」の作文を……自分でも笑いながら読み上げる。
O先生はなにも言わなかったが、溜め息交じりであった。
先生は次に、僕に朗読を命じる。
もとより、先の友達同様のコントまがいの駄文であった。
読み終わった後、O先生はクラスのみんなに僕の作文の感想ほ求める。
多くの感想は……「その場にいるみたいで、楽しかったです」というものであった。
とたんO先生は声を荒げると、
「今のカート君の作文、あんなものは作文でもなんでもない!」
O先生はそのまま席を蹴って、教室を出ていってしまったのだ。
僕は、殆ど頬っぺたをヒッパタかれた気分であった。
僕は、その日学校に居残り……頭に温めておいて「三十三間堂」に関する作文を書上げ、職員室のO先生の机に置いて帰宅した。
翌日……廊下ですれ違ったO先生は何も言わなかったけれど、ニヤッと笑ったその顔は今でも覚えている。
ちなみに、枕なげを一緒に楽しみ、同じような馬鹿げた作文を書いた……僕が大友人と信じていた奴は、僕より偏差値の高い高校に受かり……
そいつの、卒業アルバムに残した科白は今でも忘れない……
騾馬生活から、サラブレッドへ……