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思い出という奥津城
中学の頃……やたらネガティヴな思考にとらわれていた時期があった。
何か楽しいこと……例えば遠足や家族との行楽……そんな日の朝一番は、たいてい早めに目が覚めてウキウキするのが一般的反応だろう。
しかし僕の場合……朝の出発前に考えたことは……その楽しみがすでに終了した時の空しさだったのだ。
そう。まだ楽しい遠足が始まってもいないのに……頭の中ではその楽しいはずの時間はすでに終了し、帰りの電車なりバスに揺られ帰途についている自分が見えてしまうのだ。
だからこさ……いざ行楽に出発したとしても、頭の中では「すでに終わってしまった思い出」を追体験するに似て、一向に楽しめない……
そして、その楽しいはずの時間が終わると同時に、ふと夢から覚めて現実である「空しさ」を噛みしめることになる。
楽しいことは、僕の場合いつだって終わってしまった思い出という奥津城(おくつき ……お墓のこと)にしか存在しないように思えたものである。
そんな思念に取りつかれていたせいだろう、遠足だか社会見学だったかは忘れたが、朝雨が降り出して……雨天決行が決っていたにも拘わらず、僕は家族には中止になったと告げて、いつもの通学スタイルで家を出た。
所詮、終わってしまった思い出の追体験などまっぴら……と悟ってしまったらしい。
学校についてみれば、当然のように校庭には何台ものバスが待機している。すでに乗り込んでいる生徒達のはしゃぎ声も聞こえている。クラスメートの誰かに見つかれば、
カート君、何してんだよ、早く乗れよ……遅刻だぞ……
たぶん、誘いの声々が浴びせられたはずだ。
僕は、ほとんど顔を隠すようにその場を足早に通り過ぎて……普段と同じように校舎の階段を踏みしめ……いつもと同じように教室に入る。
当然、教室には誰もいない。窓から窺い見ると……僕が乗っていたかも知れないバスは、一台、叉一台と校門を抜けて……思い出の現場に走り去ってゆく。
僕は一人、誰もいない教室の机につく。もとより、いつまで待っても教師は現れない。
確かに……初めの一、二時間はやはり居心地が悪かった。休み時間には学年の違う生徒の姿がちらと見え……怪訝そうに通り過ぎてゆく。
自習でもするかと思ったが、そこは元来の怠け者とあれば教科書等閑に、ノートにいたずら描きを始めてみた。好きだった拳銃やドラキュラの顔……
途中で買ったパンを食べて昼休みも終わる頃には、僕は知らずノートに描きつらねた世界に没入していたらしい。
そこは、朝に校庭から走り去ったバスなんかでは、絶対に行くことの出来ない空想の動物園であった。馬や猿やライオンみたいな、ありきたりの生き物ではない……ほとんどお伽の国の生き物達が、ここかしこで僕を迎えてくれるのだ。
三本の角のある恐竜、翼を持った大蛇、火を吹く巨大コウモリ、一つ目のゴリラ、空飛ぶペンギン……
僕は夢中になる。
やがて、想像力は暴走する。多くの怪物達が檻をけ破り、雄叫び獰猛に襲いかかってくるのだ!
もはや拳銃では太刀打ちは叶わない。
僕は必死になって、自動小銃を描き加える。魔法の銃だ。弾丸は無数に発射できる。さあ、来るなら来い!
一騎当千……僕はその時、どんな漫画のヒーローよりも強い自分を自覚する。血を吹いて倒れる三つ目の巨人、腕を吹き飛ばされながらも襲い来るゾンビ……
助けて!
悲しそうな少女の声。つい見やるところ……ああ、あの憧れの順子ちゃんが、ミイラ男に追いかけられているのだ。ここは、男の見せどころだろう。
順子ちゃん、早くこっちへ! 俺がいるから、安心しろ!
僕は順子ちゃんを背後に庇って……
無我夢中で何が起きたかは定かならぬままに、やがて無粋のチャイムが鳴り渡る。すでに三時半を回っているのだ。
僕は我に返る。ノートには、赤いボールペンまで駆使した惨状が、ほとんど抽象画さながらに繰り広げられている。とても人には見せられない。僕一人の冒険物語なのだ!
僕は、証拠隠滅とばかり、凶行現場を描いたノートを引きちぎり……水まで掛けて、さらに引きちぎる。
当然じゃないか! ノートの最後には、あの順子ちゃんを抱きしめている、僕……
じきに、思い出の奥津城からバスが戻ってくる。僕は、カバンに筆箱やノートを突っ込んで階段を降りる。
校庭で、僕に気付いた友人が声を掛けてくる。
「どうしたのさカート君……休みかと思ってたのに」
「雨で中止だと思ってたんだ」
「雨天決行って聞かなかったの? 楽しかったぜ、本物のミイラを見てきたんだ」
「襲われたりしなかった?」
「まさか、博物館だよ」
「僕は、もう少しで取っ捕まるとこだったんだ」
遠足では経験できない、そして決して奥津城に葬り去る事のできない……取って置きの生きた思い出を抱いて……僕は、ちょっと意気揚々と校門を出た。
僕に助けられた順子ちゃんが、バスから無事降りるのを確かめながら……
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